公爵の憂鬱【1、何かが変わるとき】
「貴様……何をした……!?」
彼女を起こさぬよう出来るだけ声を抑え、グレンに問い掛けた。だがグレンは、「はい? 見た通りですけど?」と私の目も見ずに言う。
たとえグレンがどれだけ優秀な上位神官だろうが、家格も立場も年齢も私の方が上だ。あまりに失礼な態度ではないか。
「見た通りとは? 私には人様の婚約者を襲っているようにしか見えないが」
「何言ってんですか。僕がそんな事するような人に見えますか? これでも教養は備えてますけど。心外ですね」
「見えるからそう言っているんだ。誤解されるような振る舞いをしている時点で然るべき対応をとらなければならないのではないか?」
「なにそれ。僕は千聖さんの為を想ってなのに。そもそも公爵様が何とかすべき事でしょう?」
「なに?」
話の見えない口ぶりに、私は眉間に皺を寄せた。
反対にグレンは「あぁそっか」と、挑戦的な瞳で緩やかな笑みを浮かべる。
「興味無いから分からないんですよね? 最近千聖さんが眠れていないこと」
グレンの放った言葉に、私は、何も言い返すことが出来ない。それもそうだ。彼女がそうなっているとは知らないのだから。
「ああ……やっぱり。公爵様には言ってないんですね。婚約者なのに、ね?」
言葉を失っている私に、グレンはまた、勝ったと言わんばかりの瞳で唇は弧を描く。
更に追い打ちをかけるように「最近は死ぬ間際の夢を見るんですって。怖いでしょうね、きっと一人で不安でしょう」と、そう言って、すやすや寝息を立てる彼女を本当に心配そうに撫でた。
その優しい手つきに安心しているのか、ふわりと優しい笑みが溢れる。
メグとは違い、頭が良く、人の助けなど必要とせずなんでも軽くこなして、気丈に振る舞う彼女だが、まさかそんな悩みを抱えているとは知らなかった。
痛みさえ我慢していた彼女だから、あまり人に頼るということを得意としていないのだろうか。
ならば何故、私には言わず、グレンには言うのか。
彼女にとって、私とグレンはどう違うのだろう。どうすれば彼女に頼られるようになるのだろう。話し合う時間なら誰よりも沢山あった筈なのに。
「千聖さん自分じゃ気付いてないのかもしれないですけど、結構疲れてますよね。公爵家でゆっくり休めてます? たぶん休めていないでしょうね。だから僕が寝かせてあげるんです。よく寝られるように。見張っててあげるんですよ。安心して、寝られるように」
グレンは優しく彼女の頬に触れる。
手のひらで包み込んで、頬の感触を楽しむように、親指を滑らす。
自分なりに答えを見つけようとしていたところに、出しゃばった発言をされたから、「それは大きなお世話ではないのか?お前には関係ないだろう」と思わず強く言ってしまった。
私の言葉にグレンも反応して「関係ない? それ、本気で言ってるんですか?」と可愛らしく首を傾げるが、瞳は相変わらず挑戦的だ。
「そりゃあ僕は千聖さんの婚約者でも何でもないですけど。だからと言って貴方のものでもないですよね?」
「それは……」
「千聖さんは貴重な来訪者です。千聖さんの持っている知識や考え方、歩んできた人生そのものが僕達にとっては重要なものなんです。僕の知らない事を教えてくれる大事な人。千聖さんの全部を知りたい、知らない事があるだけで気が狂いそうだ。本当は閉じ込めて千聖さんの全部を調べたいけど、それは出来ない。だから、身体は大事にしてもらわないと」
あまりに狂気的な発言。
けれど、間違っていないのは確かだ。
彼女のストレスに、一番近くに居る私が気付いてあげなければならないのに。彼女が寂しくないよう、今の人生を楽しく歩めるよう、私が気を利かせなければならないのに。
グレンの言葉に、何も反論が出来ない。
彼女を屋台に連れていき楽しませたのも、彼女の悩みを聞きそれを解決させようと努力したのも、些細な変化に気付いて心配しているのも、全てグレンだ。
己の不甲斐なさが、身に沁みる。
“悔しい”と、感じるのは何故だ?
「彼女の、世界の事を知りたいのなら、メグでも良いはずだろう」
「あはは、メグさんが話にならないの知ってて言うんです? あの子は自分の興味の無いことにはすぐ話を逸しますから。その点千聖さんは、自分が分からなくても一生懸命答えてくれます。千聖さんじゃなきゃ、駄目だ」
グレンの言葉が、何一つ間違っていないことぐらい私にも分かる。
例えどんな感情が入っていようと、彼はただ己の仕事を全うしているだけだ。メグが神殿の研究に向いていないのも事実。
「…………はぁ。お前の、言いたい事は分かったが……。自分の婚約者をこの状況で男と二人きりにさせるわけにはいかない」
「僕だって公爵様にそう言われたら何も反論出来ない事ぐらい分かってます」
どうぞ、とベッドから腰を上げたグレン。
私が彼女を抱える様子を、腕を組んで眺めている。不服そうに、心配そうに、眺めている。
「ねぇ、公爵様」
「…………なんだ」
「千聖さんを傷つけたら僕、許しませんからね」
ゴールドの瞳が、漏れた灯りに反射して、ギラリと光を放った。
可愛らしい顔には珍しく眉間に皺が寄っている。
「ふん、分かっているさ」
振り返り、歩き出すと、「何だよ。僕があんなに頑張って運んだのに。公爵様は軽くお姫様抱っこですか。ムカつく」と、後ろで聞こえた。
きっとまだ腕を組んで睨んでいることだろう。
視線を残して、私は城の執務室へと向かった。




