菓子に魅せられた俺2
楽しんでいただけると嬉しいです。
「お兄ちゃん、お願いがあるんだけど」
「あー?」
ある休みの日、居間でだらだらと過ごしてた俺はやってきたレニタに声を掛けられた。
「買い物に行って欲しいの」
「買い物?」
「お母さんに言われたんだけど、わたしこれから遊ぶ約束してて」
そう言って渡されたメモは食材が並べられていて日常のお使いなのだと理解する。
「やなこった。お使いなんてダサい」
男がそんなことできるか。
渡されたメモをひらひらと振って返せば、レニタは意味ありげに口の端を上げた。
「ふぅん、いいんだ?わたし、これからヘリー先輩のところ行くんだけど」
ヘリー?誰だそれ。
レニタの意図がわからず、だが俺が知ってる人じゃなければわざわざ名前を出すわけはないと記憶を手繰る。
ヘリー、ヘリー……そういや同じクラスにいたな。菓子パーティーの常時メンバーの一人で、いつもへらへら笑っててマシュマロみたいな。
「あのデブか」
「ちょっと失礼じゃない?」
思ったことをそのまま口にしてレニタに顔をしかめられた。
けど仕方ないだろ?運動が苦手で、横に膨れてていつも甘いもん食ってて。
まぁ、それはいい。
「で、そのヘリーがどうしたんだ?」
「知らないの?」
「何がだよ」
呆れ顔のレニタを見上げれば、レニタは腰に手を当てた。
「ヘリー先輩って、お菓子世界の神童って呼ばれてるのよ?」
どうやらレニタはヘリーの元へ菓子作りを教えてもらいに行くらしい。
ってか菓子世界の神童ってなんだ。
神童ってことはすごい上手いってことだろうが、こんな小さな町で神童なんて呼ばれたってたかが知れてる。
とはいえ、せっかくの菓子が食えるチャンスを台無しには出来ない。
俺は腹筋を使って跳ねるように起き上がった。
「わかったよ。買ってくりゃいいんだろ?」
「うん!お願いします」
レニタは満面の笑みでさっきのメモと預かったらしい財布、そして買い物用の籠を差し出してきた。準備万端だなおい。
お使いなんざ格好悪いが菓子のためだ。仕方ない。
ご機嫌で外出するレニタを見送ると、俺はお使いをさっさと済ませてしまう事にした。
できればクラスの奴には会いたくないが、と思いながら足早に進む。
まずは野菜、それから果物。
「あれ、ヨエルじゃん」
と、同級生であるウルフと顔を合わせちまったのは肉屋でのことだった。
だがどきっとする俺を余所に、ウルフは当然のように食材満載の籠を腕にかけていた。
「買い物?偉いじゃん」
ウルフはなんと、俺の籠を手にするとそんなことを言ってきた。
偉い?ダサいの間違いじゃなくてか?
瞬きをするとそいつは人好きのする笑みを浮かべた。
「オレんとこと違ってヨエルんとこは母ちゃんも妹もいるだろ?なのに家の手伝いとか、偉くね?」
言われて思い出す。
こいつの家、お袋さんが病弱で寝込んでるんだっけか。
妹も姉もいないし、となるとこいつは毎日家事をやってるわけで。
「偉いのはお前だろ」
お使いなんてダサいと思いながらこそこそ買い物をしていた俺は気まずくなって視線を外した。
「オレはほら、必要に迫られてだし。ヨエルの家に生まれてたら絶対やってないぞ」
なんていい奴なんだこいつ。
ウルフとはそんな接点はなかったけど、こんなやつだったんだな。
じん、と感動を覚えているとウルフは隣に並んで尋ねてきた。
「何の肉買うの?」
「あー、シチューにいれる肉?」
けど詳しい指定がないんだよな。お袋はレニタに行かせるつもりだったから言わなくてもわかるって感じだったんだろうが、どれ選べばいいんだ?
「ふーん。んじゃこれお勧めだぜ。この肉いつもは売ってないんだけど、うちは今日は用途に合わないから買えないんだよな」
「おう、この肉は特別だ。買ってったら絶対母ちゃんに褒められること間違いなしだ!」
同級生の言葉に肉屋のおっちゃんが親指を立てて推してきた。
「んじゃあそれで」
よくわからんがそれで美味いシチューが食えるんならいいよな。
「毎度あり!」
肉屋のおっちゃんが手早く包んでくれて、金を払ってウルフと店を出る。
「サンキュ、助かったわ」
「ん、じゃまた明日な」
「ああ」
そうして互いに片手を上げて挨拶を交わすと俺はのんびりと家路についた。肉屋までは急いでたが、ウルフに会ってからはそんな気はすっかり失せていた。
家の為に何かやるのって……ダサくないんだな。それを笑う方がダサくて。
「俺ダサいな」
あえてぽつりと呟いて、よし、と気合を入れる。
あえて自分からやりたくはないが、やる時は堂々としよう。
ゆっくりと家へと帰ると、俺は買った食材を台所のそれらしいところに保管する。
そこまでやれば、後はやることなんて何もない。再びソファに寝転んでうたた寝をして。
「ただいま」
気づけば夕方になり、レニタが帰ってきた。
菓子作りを教えてもらうと言ってただけあってレニタは甘いいい香りをまとわりつかせていた。
「おかえり。美味くできたか?」
「ヘリー先輩ってすごいのね。いろんなコツとか注意点を教えてくれて、ちゃんと膨らんだスフレができたわ」
「……スフレ」
「美味しかったなぁ」
冷めるとしぼむ、持ち返りのできないレアな菓子だ。つまり持ち帰ることは――できない。
「おい、土産は?」
思わず声が低くなる。
菓子を持ち返るから買い物に行けと言ってたはずだよな。
指を組んでうっとりするレニタに恨みがましい目を向けると、レニタははっとして手にしていた鞄を開けた。
「はい、これ」
そう言ってテーブルに並べられたのはカヌレとレモンケーキ。それからマカロンが黄色、ピンク、薄紫にオレンジと幾つも出てくる。
「多くねぇか、マカロン」
確かマカロンは菓子の中でも難易度が高いやつだったか。これはもしや失敗作か?
胡乱気な目を向ければレニタは頬を膨らませた。
「別にいいのよ食べなくたって。このマカロンはわたし達じゃなくてヘリー先輩が作ったものなんだから。お兄ちゃんが喜ぶかなって思って多めにもらってきたけど、いらないわね」
そういって回収に伸びる手に先回りしてマカロンをひっつかむ。
よく知らないが菓子作りの上手いらしいヘリー作だというなら不味くはないだろう。
「待て、これは俺への報酬だろう」
言うが早いか一つ目のマカロンを口に運び――愕然とした。
なんだこれは。
表面はつるりとしていてそれなりに硬さがある。だが歯を立てればさくっとした食感がして、軽く甘くほどけていく。中に挟まれたガナッシュが後をひいて……
やっべぇ。なんだこれ。
俺は目の色を変えて次々にマカロンに食らいついた。
色が違えば味もまた少しずつ違っていて、作り手の繊細さが伝わってくるようだ。
「あっお兄ちゃん待って。わたしもまだ食べてないの」
俺のあまりの勢いにしばらく呆気にとられていたレニタが慌てて残り一つのマカロンを確保した。
――それほどまでに俺の食いっぷりは半端なかった。
美味いなんて言葉じゃいい表せないほど、このマカロンは美味かった。神がかってるとしか言いようがない。
ぱっとしないぽっちゃり女子ががこれを?
いつも変わらない静かな笑みを浮かべるヘリーを思い出すが、どうにも作る姿は想像できない。食ってる姿の方がしっくりくる。
ヘリー……か。
俺はカヌレとレモンケーキを食べながら、これまで気にしたこともない女子の存在を思い浮かべるのだった。
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