菓子に魅せられた俺1
楽しんでいただけると嬉しいです。
告白しよう。俺、ヨエルは菓子が大好物である。
菓子なんて甘いものは女子供の食べるもの。だがしかし、十五にもなって俺はその菓子から手を引くことはできなかった。どうしてもだ。
あの鼻腔をくすぐるふんわりとした香り。サクサクした歯ごたえと共にほろほろと甘さの広がるクッキー、トロリと口の中で溶けていくケーキのクリーム、冷たくさっぱりとした中にも残るさり気ない甘さのゼリー。
はぁ……たまらん。
あんな美味い物など他にあるわけはない。菓子こそがこの世の正義だ。
――なんて断言できればいいんだがな。
俺は内心深いため息をつきながら、教室の一角で行われている女子の菓子パーティーを横目で見た。
くそっ、堂々と笑顔で食いやがって羨ましい。
鼻に届く甘い香りとは反対に苦々しく俺は胸中で毒づいた。
世間一般では、甘いものを男が口にするわけがないと認識されている。
もしそんなことが起こるとしたらそれは、可愛い我が子からのプレゼントとか、可愛い彼女の付き添いで止むに止まれずとか、そう言ったところだろう。
残念ながらまだ成人していない俺は子供などいるわけもなく、それどころか恋人すらいなかった。
いや、一応俺自身の為に言うが決してモテないわけではない。
紺色の目はややキツ目ではあるが精悍とも言えるし、運動が得意でよく目立ち、グループの中心にいることが多い。
そうなると注目されることも少なくないわけで、それなりに女子からの人気もあるし告白を受けることもある。
あるんだが、身体を動かし男同士で遠慮なく騒いでる方が楽しくて女子には興味がないわけだ。
菓子の為だけに菓子好きの女子と付き合うのを考えたこともあったが、男の癖に菓子好きだなんてバレた日にゃ町中の笑い者になっちまう。そこは慎重になるべきだと控えている最中である。
「ん〜このシュークリーム美味し〜」
なにっ、シュークリームだと!?
思わず勢いよく女子を振り返ると、そこには満面の笑みでシュークリームを頬張る女子達の姿が見えた。
ちくしょう、なんて美味そうに……!
ダメだ、菓子食いてぇ。今すぐ食いてぇ。我慢できねぇ!
「悪い、ちょっと帰るわ」
「はぁ!?これから遊ぶんだろうが」
「急用を思い出した」
じゃ、と手で挨拶をして俺は足早に教室を去った。向かう先は二年下の教室だ。
そこに目的の姿を見つけて慌てる。
茶色のなんの変哲もない髪を編み込んだ妹が、まさに調理実習で作ったカップケーキにかぶりつこうとしていたのだ。
「――っ」
間に合え、とばかりに大股でレニタの側へと向かい、背後から掠め取るようにしてカップケーキを奪うと、その流れのままに齧り付く。
間に合った。
「え……?」
突然手の中にカップケーキがなくなったレニタが固まってる間に、更にもう一口。
粉っぽい。が、菓子には変わりない。
「ヨエル先輩」
と、レニタの周りにいる下級生達が沸いた。特に下級生には人気なんだよな、俺。
そんな周りの声に気づいたレニタが怒りの口調と共にゆっくりと振り返った。
「……お兄ちゃん?」
その目が何を物語っているかはよくわかる。
「またわたしのお菓子取って」
「いつもいつも菓子なんて甘いもんばっか食って、太ったらみっともないだろうが」
「だからってなんでお兄ちゃんが食べるのよ」
「今手元に残してたって後で食ったら意味がないだろ?仕方なく処理してやってんだよ」
この会話はいつも通りのやりとりだった。
じゃなければ甘いものなんか食ってられるかとばかりに思いっきりしかめっ面をして見せるが、内心菓子に喜んでいることはレニタにはお見通しだ。
レニタは怒っているそぶりを見せちゃあいるが、その目の奥で思いっきり呆れと諦めの混ざった視線を俺に向けてこの茶番に付き合ってくれている。
すまん、妹よ。
「せっかく楽しみにしてたのに」
「菓子ばっか食ってないで運動しろ」
なんて会話しながらも俺はカップケーキを完食した。
ぽい、とついていた薄紙を丸めて机の上に置くと、まだ余っているカップケーキが目に入った。
くっ……。
「あ、あの、先輩。これ、私が作ったんです。よかったら……」
ふとレニタの隣にいた下級生の一人がおずおずと手に持っていたカップケーキを差し出してきた。
だが俺は少し迷惑そうな表情をして首を振る。
「俺はあくまでレニタの肥満を予防してるだけだ。悪いが余計に甘いものは食いたくない」
「そう、ですか……」
ちょっとがっかりして肩を落とす下級生。
だがそれ以上にがっかりしているのはまぎれもない自分だ。なんの憂いもなくそれを受け取ることができれば俺はどれだけ幸せなことか……!
妹の視線が痛い。刺さっている。
間違いなく俺が妹の立場だったら「何言ってやがる、この菓子好き野郎」と罵ってるだろう。だがそれを言わないレニタは視線はともかく優しい妹だった。
「さて、余計なもん食うんじゃねぇぞ」
そう釘をさすと、やることはやったとばかりに俺はレニタの教室を出た。
とりあえず目的は果たした。となればやるべきことは一つ。
花が大好きな妹のご機嫌とりにと俺は花屋へと向かった。
――俺が菓子好きだと気づいたのは学校に入ってからのことだった。
それまでは何も気にせずレニタと一緒に満面の笑みでかぶりついていたわけだが、
「ママのマドレーヌ大好きなんだ~」
「あのね、今日の軽食はブラウニーだって!楽しみ~」
という女子の会話を聞いた一人の男子がこう言ったのだ。
「甘いもんなんか食ってられるか。肉だろ肉」
あまりにも予想外な言葉にもの凄く驚いた覚えがある。
夕飯前の軽食に菓子を食べないのか、と。
「だよなー。俺んとこ今日は肉まんじゅうだぜ」
「羨ましい。オレなんか妹にあわせてクッキーだぜ?」
「っは、ダッセェ」
一人が言ったことでまわりの男子は共感するように口々にそう言い、まるで一人取り残されたかのような気分だった。
菓子食えないのか?ダメなのか?え、ダサい?
思わず瞬きをしてると男子達の視線が俺を向いた。
「ヨエルんとこは?」
思春期が始まるかどうかという頃合いの俺は格好の悪い姿なんか絶対に見せたくなかった。
それ故に、こう言った。
「甘いものとかあり得ないだろ。全部妹にやってる」
「軽食くわないのか?腹減らねぇ?」
「減る。けど甘いものはまじで勘弁」
話を合わせながらも内心冷や汗だらだらだった。
なぜならこの時俺は――足りないからとレニタの分すら巻き上げることがあったのだから。
ヤバい。ばれませんように。
そうひたすらに祈り続け、その日、俺は菓子断ちの意思を固めた。
そしてすぐに俺はお袋には菓子はもういらない!軽食は別のものにしてくれ、と頼み込んだ。
お袋もそろそろそんな年頃なのねぇと甘くないものを用意してくれるようになった。
だが――すぐに菓子が食いたくなってレニタの菓子をじっと見つめ続け、見かねたレニタが俺の軽食と交換してくれるようになった。
いつか、いつか絶対に菓子断ちを……!と思い続け数年。
幼少の軽食が必要な時期を過ぎ、レニタすらも軽食が必要なくなったのを機に今度こそ、と意識を新たにした。
軽食さえなくなれば調達するすべがないのだから諦めがつくというもの。
だが俺の思惑は、自分の菓子への思いの前に脆くも崩れ去った。
禁断症状とまではいかないが、菓子に飢えて飢えて、飢えまくって目が荒んでいたんだろう。
そのうちレニタが菓子パーティーや女子内で作って配るものを持ち返っては俺に渡してくれるようになり――今はすっかりこの通りである。
いっそのこと菓子好きなんだとカミングアウトして楽になろうと考えたこともあったが、それまでの俺は菓子好きなことがバレたくないあまり誇張表現し、周囲からはすっかり甘い物嫌いとして有名になってしまっていたことですぐに断念した。今更言えるわけがない、と。
ああ、なんて情けない俺。
今までのことを思い出してため息をついて、俺は花屋へと入るのだった。
読んでいただきありがとうございます。
オスクの妻レニタの兄の話になります。
これから約十日間、番外編まで含み毎日更新となります。
よろしくお願いします。