後日談
楽しんでいただけると嬉しいです。
ヘリーに告白をして、結ばれたおよそ一年後。
俺は工房の親方に扱かれつつも何とかやっていた。正直、仕事はきつい。まだ半端者ですらない、見習いの見習いといったところだが、それでも日々親方の技術をモノにしようと必死にもがいている。
いつか一人前になって、その時は今度こそ水色の宝石をつけてヘリーに贈るのだ。
「おう、今日もやってるな」
「はい」
毎日毎晩、通常の仕事が終わった後に自分の創作時間となる。仕事中は決してできない、俺の作品作り。作っていかないことには上達なんてしないからな。
そうしてヘリーはそんな俺に菓子の差し入れをしてくれて、それがまた俺の力になっている。
「お兄ちゃん、ちょっとダイエットしたら?」
ある時、レニタが心配そうに俺に言った。
「ダイエットか……」
レニタの言わんとすることはよくわかる。
週に一度しか食べていなかったヘリーの菓子を、俺はここ最近毎日食っているのだ。おまけに学校にいた時は友達と走り回っていたが、今は朝から晩まで工房に籠りっきりで身体を派手に動かすようなことは全くしていないわけで、結果的に……肥えた。
認めたくはない。認めたくはないが、流石に不味いか。
「お兄ちゃんはずっと工房にいるから知らないのかもしれないけど、この頃ヘリーさんが美人だって男の人達に人気なのよ」
――なに!?
顔を顰めるレニタは、瞠目する俺に更に続けた。
「お兄ちゃんが太り始めたのと反対に、ヘリーさんはやせ始めたでしょう?」
「ああ」
そのことについてはすんなりと同意する。
ヘリーはパン屋に勤めていて、意外と重労働なんだと笑っていて。その上菓子を作っても俺がそのほとんどを食いきってしまうもんだからヘリーの口には入らず、ヘリーは自然と痩せていったのだ。
まるっとした柔らかなヘリーも可愛いが、今のヘリーは体系の整った清楚系の美人というのが正しい表現だろう。
「恋人が太ってきてる今がチャンスだって言ってる人もいるみたいよ」
言われてそっと鏡で自分の姿を確認する。
以前はそれなりに筋力があって脂肪はなかったはずだが、今は落ちた筋力のかわりに脂肪がついているようにしか見えない。
さっきレニタが言った言葉。ダイエット。これをしなければ、俺はただのみっともない菓子好きのデブになる。
だが……
「無理だろ」
痩せる為にヘリーの菓子を止めるなんてできやしない。
ヘリーだって目移りはしないだろう。なんたって美味そうに菓子を食う俺が好きなんだから。
俺の呟きを聞きとったレニタが肩を竦めたが、俺は意見を変える気にはなれなかった。
そんな一週間後のこと。
日が完全に暮れた後の工房にウルフがやってきた。
深刻そうな表情はそれだけで何かあったんだとわかるが、一体何があったのか。
「落ち着いて聞いて。――ヘリーが花の都の菓子店に来ないかって誘いを受けたらしい」
「はっ?」
花の都の菓子店に、来ないか?
その言葉を反芻して考える。
花の都はレニタが憧れる、このあたりでは一番大きな都だ。人も物も多くて、このあたりの最先端をいっている。
そんな都の、菓子店に誘われた?
「今日ヘリーの噂を聞きつけて来たらしいんだが、そのままその場でヘリーが菓子を作って、それでかなりの高待遇で交渉がされたらしい」
「おい、待てよ。それって」
血相を変えて立ち上がると、ウルフも頷いた。
「もし誘いに乗ったら、ヘリーは花の都に行くことになる」
王都程遠いわけじゃないが、花の都も行き来するには泊まりになるのは確実だ。
それはつまり、別れを意味しているのでは?
「こうしちゃいられねぇ……!」
俺は手にしていた工具を置くと大慌てで鞄をひっつかんだ。
「気をつけろよー」
ウルフに工房の鍵を投げると、ウルフはそれを受け取って手を振った。
そのウルフの声を背に駆け出す。
ヘリーの菓子作りの才能が大きな都で認められた。
それ自身はすごいことだと思うし、誇らしい気持ちになる。だが、それが俺との別れに繋がるのは話が別だ。
ヘリーは菓子を作ってまわりの奴に食べてもらうことが何よりも好きだ。
大きな都の菓子店に行けばより多くの人に菓子を食べてもらえるわけで、そうなれば。
「っ畜生、身体が重い!」
自分の緩んだ身体に悪態をついて、それでも俺は必死に走った。
くそっ、たったこれだけ走っただけで疲れるとかないだろ。しかも遅すぎんだろ。
こんなのはダメだ。痩せよう。
「夜分遅くにすみません、ヘリーいますか?」
ようやくついた家で、遅い時間にもかかわらず俺はその戸口を叩いた。
激しく息切れしてるが、とにかく一刻も早くヘリーの顔が見たかった。
「ヨエル君、どうしたの?」
やがて出てきたヘリーは驚きながらもタオルを手渡してくれた。
汗、出すぎだろ。
「花の都から誘いがきてるって本当か?」
渡されたタオルを握りしめて真剣に見つめると、ヘリーは驚いたように目を大きくさせた。
「もう知ってたんだ」
「さっきウルフが教えてくれた」
「そっか……」
と、ヘリーは視線を落とした。その動作は気まずそうなものしか感じなくて、俺はとっさにヘリーの細くなった腕を掴んだ。
「っ行くな!」
突然の俺の行動に驚いたヘリーが俺を見上げる。
「頼むから行かないでくれ。たしかに花の都の菓子店ならたくさんの人に菓子を食ってもらえるかもしれないけど、それでも、行かないでほしい。かわりに、俺がいくらでも食べて喜ぶから!だから」
「ヨエル君、大丈夫だよ」
焦燥感を募らせる俺にヘリーはゆったりとした口調で微笑んだ。
その笑みがたまに見せるあの満開の笑顔で、思わず言葉が止まった。
「大丈夫。その話はちゃんとその場で断ったから」
「そう、なのか?」
せっかくの話であることは間違いない。だが、断ったとところでどうしてこの笑みが浮かんでるのか。
戸惑う俺にヘリーはそっと俺の手をとった。
「うん。私ね、作ったお菓子を喜んでもらうのは好きだけど、それは売り買いするようなものじゃないの」
ゆっくりとした口調でヘリーは続ける。
「そんな利益はいらないの。ただプレゼントして、喜んでもらうのが嬉しいの。だから仕事としてお菓子を作るのは嫌なの」
そう言って俺の手を両手でぎゅっと握りしめる。
「それにね、私が一番幸せにしたいのはヨエル君だから」
俺?
「誰よりもお菓子を食べて欲しくて、誰よりも喜んでもらいたいのはヨエル君なの。たくさんの人よりも、ヨエル君が笑ってくれるほうがいいの」
だから安心して?と言われて、そのあったかくて柔らかな手の温もりを感じて、俺はしばらく言葉を失った。
他の誰よりも、俺がいい……?
「っ、意味、わかってんのか?」
言われたこっちが恥ずかしくなって、つい視線をそらす。
「うん。もちろんだよ。私は、ヨエル君がいい」
区切って再認識させるように言われて、俺の何かが振り切れた。
「ヘリー、結婚してくれ。まだ見習いも見習いだけど、これからまだまだ一人前になるには何年もかかるかもしれないけど、ずっと一緒にいてくれ。俺にはお前しかいない。ヘリーじゃなとダメなんだ」
本当は一人前になって水色の宝石で仕切り直ししてと思ってたが、どうしようもない。
自分の中の何かが溢れて、どうにもならない。
冷静に考えれば雰囲気もなにもない、最悪なプロポーズだっただろう。
だが――
「はい。末永く、よろしくお願いします」
ヘリーはこれまで見た中で一番輝くような笑顔を見せてくれたのだった。
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