第十四話 お茶
「お嬢様、どうしてここに?」
娘が着ている、光沢がある黒い生地に赤い布飾りが付いた服は、いかにも豪華だが、その恰好で供も連れずに出歩くのは不用心にすぎた。
「た、たまたま散歩していたのよ」
「……そうですか」
彼女は、子供のような仕草で私の手を取った。
横に並ぶと、思ったより小柄な彼女は、翡翠色の目で上目づかいに私を見ている。
頬骨の上に埋めこまれた、小さな緑色の宝石がチカリと光った。
「せっかくだから、お茶でも飲みましょう!」
彼女の父親との約束があるので、私は躊躇した。
「ね、いいでしょ!」
答えを聞く前に、娘は私の手を引き歩きだしている。
「今から寄る所がありまして」
足早に歩く彼女を思いとどまらせようとした。
「お茶を飲むのは、一瞬だわ。
さあ、もうすぐそこよ!」
彼女はそう言ったが、店に入るまでかなりの距離を歩いた。
案内されたのは看板のない店で、恐らく常連客だけで商売しているのだろう。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
両手を腹の上で揃えた初老の男性が、恭しい物腰で私たちを招きいれる。
こういう店は、今まで物語の中でしかお目にかかったことがない。
「部屋を頼むわ」
それを聞き、私はここまで来たことを後悔していた。
二人して個室などに入れば、彼女の父親との約束を半分破ったようなものだ。
私は繋いでいた手を強引に離し、踵を返そうとした。
ところが、思わぬ素早さで背後に回りこんだ娘が、私の背を押してくる。
私は彼女の両手に突かれる形で、店の奥へと入ってしまった。
◇
中庭に面した個室は明るく、花と樹木で構成された美しい植えこみが見渡せた。
「この部屋は、私のお気にいりなの」
部屋の中央には四人掛けの丸テーブルがあり、私を席に着かせたケイトリンは、向かい側の席ではなく、私の隣に座った。
しかも、椅子を私の方へ寄せている。
「お庭を見るには、この位置がいいの」
彼女が言い訳のように口にしたとき、こげ茶色の服をまとった中年の女性店員が入ってきた。
私の方を見て、片方の眉を上げる。
貫頭衣を着た人間が来るところではないのだろう。
「いつものやつを、二つちょうだい。
あと、お菓子は何があるの?」
「果物だと、西方からピピの実が届いております。
それと、ケラスがちょうど時期でございます。
焼き菓子、生菓子は、いつもの品ぞろえです」
ピピは果肉が柔らかい肌色の果実で、生で食されることが多い。ケラスは小粒の白い木の実だが、普通それを炒って食す。
どちらも非常に高価なもので、特にピピは一つで千ピクはするはずだ。
「ピピとケラス、両方ちょうだい」
「はい、すぐにお持ちします」
店員が消えると、彼女は身を寄せるようにして私の耳に声を吹きこむ。
彼女が身に着けた黒い衣装から、焚き込んである上品な香の匂いが、ほのかに立ちのぼった。
「あなた、どうして何も言わずに帰っちゃったの?」
「……ご挨拶ができなくて申しわけありません。
急な用事が入ったもので」
「用事と言うのは、市民権の申請?」
「いえ……」
「誰かに会うつもりだったの?」
なぜか、彼女は強い口調でそう言った。
「代筆の仕事が入ったのです」
私は、つき始めた嘘を形にしようとした。
「そう、お仕事なら仕方ないわね」
彼女は、寄せていた身体を少し離した。
「それで、自由市民になってこれからどうするの?」
ここは嘘をつく必要は無いだろう。
「旅に出ます」
「えっ!?」
ケイトリンの美しい目が大きく開く。
「ど、どこに?」
「……西方へ行こうかと」
私はとっさに目的地とは違う方角を口にした。
「なんで?」
彼女は、さっきよりさらに身を寄せてきた。
私の腕に、彼女の豊かな胸が押しつけられる。
そこから伝わる彼女のぬくもりに戸惑いながら、もっともらしい理由を考えようとした。
幸いなことに、そこで台車に菓子を載せた店員が入ってきたので、彼女は私から離れてくれた。
菓子の皿からは、炒ったケラスの香ばしい匂いが漂ってくる。
「こちらは、ピピの実を蜂蜜に漬けたものです。
こちら、焼いてソースをかけたもの、そして、こちらが身を潰し型にはめたものです」
テーブルに置かれた大皿の上には、ピピを使った三種類のお菓子が美しく並んでいる。
菓子はいずれも、作り手の優れた美的感覚をうかがわせる品だった。
「こちらはケラスの実を炒ったもの、こちらは焼き菓子、生菓子の取り合わせでございます」
台車から移された皿で、テーブルの上は一杯になった。
「南方産のお茶でございます」
そう言うと、店員は花柄の美しい陶器から二つの白い椀に交互に茶を注いだ。
懐かしい香りが立ちのぼった。
それは、いつか貸本屋で飲んだことがある茶の香りだった。
店員が出ていくと、私はすぐに茶を口に含んだ。
それは、かつて飲んだお茶と同じだが、比べ物にならないくらい上等なものだとすぐに分かった。
口の中に華が咲いたような、艶やかな味がした。
そして、貸本屋でも感じた懐かしい香り。
まるで夢に出てくる草原に座っているような気がした。
「ねえ、あなた、どうしたの?」
気が付くと、ケイトリンが心配そうな顔で私を見ている。
「あなた、涙を流しているわ」
頬に手をやると、指の先が濡れる。
我知らず、泣いていたらしい。
「このお茶は、なぜだか分かりませんが、とても懐かしいんです」
言葉に出してみるが、私の感じているものは、決して彼女に伝わらないだろう。
「これは、ガリア地方の西に広がる山岳地帯で採れるお茶なの。
山の斜面や崖に生える木だから収穫が難しくて、なかなか手に入らないのよ」
ケイトリンは白い磁器の椀を軽く回しながら、その香りを楽しんでいる。
「もしかすると、あなたの故郷は山岳地帯かもしれないわね」
いつもの夢が少年時代のものなら、その光景から山岳地帯はあり得ないのだが、私はそれに触れなかった。
お菓子はどれも素晴らしい味で、特ににピピの果実で作られたものは絶品で、甘く爽やかな後味を残した。




