フン族と匈奴
そろそろフン族についてまとめようと思う。原文は異邦人としか書いてないが、Q1a2b1ーL527はフン族じゃないと思います。ネットにある大半の欧州のフン族の末裔はこれになっています。ネットの話は本当に良い加減で人種ロマンばかりで嫌になる。これ欧州最大の勢力です。ですが、おかしいと思うのは、一番活躍した場所じゃなくて、何故か騎馬民族と縁の遠い北欧の島が起点となってる事です。
これをおかしいと思わないのが不思議。その原因はフィンランド=フンランドだという俗説の誤りにあります。これは書きました。次に、ゴットランド=ゴート族の発祥の地。これも変な話です。そもそもゲルマン民族って歴史が浅いんですよ。R1BとR1Aがコーカサス地方から徐々に東西南北すべて方向に拡大したのがスタートです。ただしその前にもR1Bは拡大しています。
拡大の原因が違います。R1Bは初期レバント農法の中東での伝播を受けたもので農民として各地に広がります。これは系統で欧州の馬と牧畜の民とは違う系統なのでスグ分かります。元はコーカサスにいたのですが黒海の海水化で農業が続けられなくなって拡散したとあります。アフリカに侵入したのはこの系統です。
その後ヒッタイトもおそらくR1Bのグループで古印欧語を使います。彼らはチャリオットで拡大するため初期の典型的なコーカサス牧畜民です。
欧州から見た場合、ゲルマン民族は東から侵入して北に拡大したのであって、北からやってきたとかそういうのが妙な話になるわけです。確かに北に拡大した後南下したのは考えられますが、ヴァイキングを含めた北欧諸国の南下はこのあとの環境悪化から始まります。それは証拠が残ってるので時代をすぐに特定できます。
ゴットランド=ゴート族の故地もおそらく根拠の無い俗説です。しかも何故故地に戻ったのか?が曖昧。彼らは欧州の新天地を荒らしまくります。故地からやってきたなら筋が通りますが、故地に戻ったってのが無理矢理な話なんですよ。これを無理矢理ハプロに当てはめています。科学的な事実が、俗説によって捻じ曲げられてるわけです。
ゴート族がフン族と合流する。これで混血後にゴート族となったフン族がゴットランドに戻って、L527を欧州に拡大したってシナリオです。適当すぎます…。しかもアッティラが居たハンガリーよりゴットランドの方が圧倒的に頻度高いのです。
私はこれ別の系統だと見ています。そもそも部族連合だったフン族が偏って1つの系統しか出ない。これが匈奴=フン族説とどうも矛盾している。Q系統が重なって出る他の元と全く違うわけです。もちろん欧州で一番発達した系統なので一部L527は重なってますよ。ただそれは偶然の一致だろうと見てるわけです。
欧州で重なって出てその中で頻度が高い系統はQ1B。これです。さてこの問題点はどこにあるか?これは中央アジアとともに中東人にも高い頻度で出る古くから住んでいるアラブ系統だからです。当然古い証拠として欧州に拡散したユダヤ人にも出ます。アラブ人の欧州への移動とともに移動しただけじゃないのか?
大事なのは、これは問題点をふくんでいる。それを踏まえて書く事になります。私はフン族=匈奴にある程度正しいと思っています。そしてその候補は文句なしにQ1b (L275) だと考えています。
私は以前匈奴は中央アジアからスキタイに合流した系統だと書きました。トルコ語の祖語になっていると考えました。その候補としてベストの系統だからです。では匈奴はシベリア組みじゃないのか?ならいやシベリア組みも居たと思います。全くの偶然でシベリアのQ系が合流していた証拠が残っているからです。
過去遊牧民はQ系の割合が何故か?とても高いのです。何故かは全く分かりません。だから遊牧民に全くルーツの違うQが集まるのは古代において不自然じゃないです。言ってみればもっと後の時代なら当たり前の様にC2であっただろう集団にQの割合が高くなっているだけです。その証拠にスキタイと混血したハプロでC2系が当時からちゃんと出てるからです。
割合だけが違ったんですよ。シベリア組の中で古代何故かQ系の割合が高い。そもそも中央アジアではQ系の割合が高い。それが重なって、中央アジアとシベリア組のQ系が戦闘集団の中心になる事が多かったとなります。地域的にシベリア組みが中国に残って、中央アジア組みが欧州に向かったとするとすごくすっきりした説明になるからです。
何故シベリア組ではなく、中央アジア組が匈奴の中心だったと考えているか?と言うと、ちょっと違ってフン族の中心だったろうと考えています。匈奴はどっちだったのか?と言うと、私はスタートはシベリア組じゃないか?と見ています。さっきと言ってる事が違うじゃないか?と。匈奴の言語が中央アジアだったというのはそうだと思ってるのですが、言語と民族は違うのじゃないか?と見ています。
今モンゴルに残ってる系統がO1Aのシベリア組です。匈奴ほど大きな勢力をもった部族だとやはりモンゴルに残ってるのではないか?と。ただし、古代のスキタイの時代に出たQ系は下位系統は分析されていません。元々中国から発達した匈奴は中央アジアのQ1Bだとすると、やはり現在までその痕跡がモンゴル高原に残っていると思うのですが、ほかのハプロほど残ってない。しかも隣のカザフでは出るのにです。余程頻度が低い証拠です。
匈奴と言う集団においては高い地位にあったものからはQ系ばかりでます。でも、シベリア組か?中央アジア組か?どっちかを断定する事は出来ません。おそらくC2やN居たはずなのですが、ウイグルからは見つかっていません。ただし同時期のモンゴルからはR1A、C2、N1、Qとモンゴルの今いるハプロが大体出ています。貴族と絞るとQばかり、そうじゃないといろいろ出ると。
そうなるとまあQだとして良いでしょう。断定は出来ないが、現在モンゴルに多いシベリア組がやはり中心となった候補。だがQ1Bも否定できないと。フン族はQ1Bでほぼ良いと見ています。
ほかの系統欧州でほとんど出ないんですよ。
出るのが、ゴットランドのL527です。ですが、これ上位系統まで見ないとアジアから全く検出されない。しかも、シベリアからは一切検出されずに中央アジアのみです。これじゃQ1Bとなんら代わりが無い。いや上位系統のみなのでさらにこれ悪い。Q1A=シベリア、Q1B=中央アジア。そんな単純じゃないですよ。Q1Aの一部が中央アジアに残ってて、シベリア組オンリーといえるのはQ1a1ーF1096この系統だけです。
だからここからトルコに集中してるのでオスマントルコだろうと見たわけです。大半のQ1Aはシベリア組(アメリカ組)と中央アジア組に分かれています。
さて続きを書いたのは、フン族の支配地域で見つかる青銅器とウイグルで見つかる青銅器の様式がとても似てるらしいです。ここから、ウイグルに多いQ1Bが東欧でよく出るので、これじゃないか?と決めたわけです。さて問題があります。中東に多いQ1Bですが、ウイグルが中心だった突厥とその後継者であるセルジュークトルコにも数多く居ます。
アラブ系だけじゃなくて、その後のトルコ系騎馬民族もQ1Bだらけです。そしてそのトルコとモンゴル軍は連合していました。モンゴル軍の大帝国もQ1Bを東欧に運んでるわけです。
じゃフンだと分かるわけ無いじゃないか?そうです。すべてはL527よりマシって消去法と、せめてウイグルで出た系統にして欲しいって事からです。一番頻度が高いからL527だというより、過去ウイグルで出て、かつ支配地域で頻度が高く他のシベリア組みとの重なるQ1Bがベストだと見ています。
じゃ他のO1Aの可能性は?東欧での頻度が低すぎるんです…。それなら後のモンゴル帝国トルコ帝国の可能性の方が高いです。逆に今モンゴル帝国にQ1Bが残ってないのが良いんですよ。これが論のキーです。モンゴル帝国に残ってないのにフン支配地域と重なる。これはフンの独立したハプロである可能性が高いという事です。
最もトルコの場合ウイグルでしこたまでるのでその理屈は成り立たないのですけどね。でもトルコもモンゴルもでるものより、少しでも候補を減らした方が良いかなと。どちらにしろ古代の遺跡で出ないL527よりは何倍もましですけどね。
想像になりますが、ボルガ川の流域のかなり偏ったモンゴロイド系の一部族とヴァイキングが戦闘力を期待した関係があったと見ています。戦闘奴隷?そんな可能性も見ています。奴隷から出世したかと。何かしらの都合で馬に乗って戦う戦士が欲しかった可能性を考えています。馬に乗っていたか?は分かりませんけど。
仮に問題点があっても、私は物証などの根拠があるほうを選びます。あくまで私の思考の癖のような結論に過ぎません。私は俗説とか嫌いわけじゃないですが、すでに胡散臭いと定説化してる俗説を何時までも信じるネット民がとても嫌いなんですよ。
ネットで書いてある話ってこんなレベルが大半なんですよ。