親友のための帰り道
私には親友がいる。
それは端から見たら違うように見えるかもしれないし、実際になんであの子と一緒にいるのと聞かれたことだってある。
いつも私の一歩先を歩いていて、ことあるごとに私のほっぺを引っ張てきて、自信満々の顔で笑って私を引っ張っていってくれる。
“さーちゃんは私がいないとほんとにダメですね”
芯が強くて、優しい心を持っていて、相手のことを気遣えて、そして笑顔がとてもよく似合う私の親友。
誰に頼っていいのかもわかない私に手を差し伸べてくれた恩人。
そんな親友が泣いたのを私は先日初めて見た。
すでに日も暮れ始めた放課後。
校門に背を預けてはじめてからそれなりに時間が経ったように思う。
冬の木枯らしの冷たさに体は震えるし手はかじかむけれど、それでも私はここから離れるわけにはいかなかった。
「佐伯さん?」
かじかむ手を温めるために、息を手に吹きかける行為を何度したかもわからなくなった時、ようやく私の待ち人が現れた。
「お待ちしてましたよ千種先輩」
校門の先から歩いてきた人影は私を認めると少し驚いたようだったが、それでもその表情はすぐに引っ込んでしまった。
この先輩のことだ。
予告のない私のゲリラ的なこの待ち伏せの意味も、今の一瞬で理解してしまったのだろう。
「途中までご一緒してもいいですか?」
「日和にばれたらまた引っ張られるぞ」
少しおどけるように私のほっぺを指さしながらそう言う千種先輩。
そんなことくらいは百も承知の上で、この場にいる私の覚悟を汲み取ってくれないだろうか。
私だってまだほっぺが大事だというのに。
「冗談だ。俺に話があるんだろ?もうそろそろ日も暮れる。話は帰りながら聞くよ」
そう言いながら私を促す様子はとても様になっていて、この人の隣にいることのできるひよっちが少しだけ羨ましく思えてしまった。
夏の頃はたくさんの稲穂が太陽の光を反射していた通学路脇の田んぼも、真冬のこの時期はそのなりを潜め、少しだけ物足りなくも感じてしまう。
しかしそれももうすぐそこまで来ている春を待つための大事な光景であり、後数か月もすればまたこの道も緑にあふれるのだろう。
「日和は先に帰ったのか?」
「明日に迫ったイベントに備えて、今頃は家のキッチンを占拠してる頃だと思いますよ」
「おばさんの引きつった顔が目に浮かぶな」
二人で並んで帰るのはどうにもしっくりこない。
それだけでやはりこの人の隣にいるべきは私じゃなくてひよっちなんだろうと、再認識をさせられる。
もともとその場所にとって代わるつもりなどないが、それでも少しだけ嫉妬を覚えてしまうのはなぜだろう。
「聞いてもいいですか?」
だからこそ私は今この場で聞かなければならない。
「千種先輩にとってひよっちはどういう存在ですか?」
抽象的な質問だということはわかっている。
真に聞きたいことからも、少しばかりずれていることもわかっている。
それでも私はこの問いを聞かずにはいられなかった。
“泣いてなんていませんよ。これは私のほとばしるパッションが目から溢れてしまっただけです”
一緒に帰る最中、バレンタインについて楽しく話していたはずなのに、ふと隣を見ると一筋の涙を流すひよっちがいた。
どうしたのかと問いかけてもそんなことを言うばかりで、結局最後まで真意を私に話してくれることはなかったけど、それでもひよっちがどうして泣いていたのかは想像に難くはない。
「返答如何では、私はひよっちを先輩から遠ざけようかと考えています」
「随分と乱暴だな」
「ひよっちと一緒にいるとこれからくらいは当たり前になってくるんですよ」
きっとこの前、月陽ちゃんを交えて三人で買い物に行った時の話が原因であることは間違いない。
いろいろと一人で考えて、想像して、悩んで、その上で誰にも相談することもなくて、その結果がふとした瞬間にこぼれてしまったあの涙。
「答えてもらってもいいですか」
疑問符はいらない。
私が欲しいのは問いに対する答えのみ。
まったく違う環境の中で、一人途方に暮れていた私を助けてくれたひよっち。
ひよっちは望んでいないかもしれないけれど、それでも今度は私が助けてあげる番だと思うから。
「悪いが佐伯さんにそれを答える必要はないな」
だというのに目の前のこの男の答えは何だというのか。
こちらを見ることもなく、ただ真正面を見つめてそう呟く表情には感情は見られない。
「そんな答えが通じるとでも……!?」
思わず語気が荒くなってしまったとしても、この状況で私が責められる道理はないと思う。
それほどに理不尽で、心のない言葉だった。
「私は、私はひよっちの親友で!」
「だから?」
今まで隣を歩き、前だけを見据えていた視線がゆっくりとこちらを向く。
その視線に射抜かれた瞬間、背筋に冷たいものを感じた。
「俺はあいつのことを誰よりも見て来た」
千種先輩と話す時には、これまで必ずひよっちが隣にいた。
だからかもしれないが、その言葉にはいつも棘はありつつも必ず暖かさがあったことを覚えている。
「小さい頃からずっと、誰よりも近くで、いつも見て来た」
しかし今はどうだろう。
言葉には暖かさどころか冷たさしかない。
それはまるで抜き身の刀身のように、冷たく容赦なく私の心に突き刺さる。
「今回のことも大体の見当はついている。日和のことだ、断片的な情報で勘違いして、悩んでるんだろう。そんなことする必要もないのに」
「そんな言い方!」
それでもなんとか反論することが出来たのはきっと、私が少しでもひよっちの役に立ちたいと思ったからだろうか。
だけでその後すぐに思い知らされる。
これは単なる私のエゴだということを。
「不安の煽ったのはお前たちだろう?」
容赦のない指摘。
反論の余地のない言葉は、これ以上の問答は無用とばかりに私の口を強制的に閉じさせるための刃。
「さっきはああ言ったが、この際だから答えておく」
もしかしたら、私は重大なことを勘違いしていたかもしれない。
「俺が大切だと思うのは、今も昔も日和ただ一人だけだ。それはこの先も変わらない」
私はひよっちが単に千種先輩を追いかけているものだと思っていたけど、実際はそうじゃない。
「だから余計な心配をする必要はない」
千種先輩も、同じくらいひよっちのことを大事に思っていたんだ。
告げられた言葉はこれ以上の詮索を許してはくれない。
まるでここから先は不可侵だとでも言うかのように。
私たちの帰り道の終わりを告げる分岐点がやってくる。
無言で歩く私達の間には一定の距離があり、先ほどの会話以降、さらにその距離は広くなった気がしている。
実際のところ今日私が果たしたかった目的は何も達成されていないし、それどころか千種先輩との関係が悪化したという点では、ただ単に状況を悪くしただけのようにも思える。
ただ私は先輩の口から心配いらないという言葉を聞きたかっただけ。
好きなのは日和だけだから、妙な勘繰りは必要ないと言って欲しかった。
そしたらきっと、ひよっちがいつものように笑ってくれると思ったから。
「少し暗くなってきてるけど、一人で大丈夫か?」
別れる道がすぐそこまで来ているからか、千種先輩がそう尋ねてくる。
その言葉はまだ少しだけ冷たさを含んでいるようにも感じたが、それでも割といつものトーンに近いように感じたのは私がそれに慣れてきてしまったからなのか、それとも時間が経って少し先輩がクールダウンしたからなのか。
「いつも一人で帰ってますので大丈夫です。それに家まで送ってもらってしまったら、たまたま帰る時間が一緒だったっていう言い訳も使えなくなりますから」
あくまで今日私が先輩と帰り道をご一緒したのは、ひよっちの不安を少しでも取り除いてあげたいと思ったから。
それなのにその私自身が余計な噂の種火を作るなんてことは絶対に避けなければならない。
もしそんなことになってしまえば、それこそ本末転倒。
私は親友を失うなんてことは毛頭ご免だ。
「そうか」
先輩もそれに対して特に追及することはなかった。
恐らく今の問いはただの建前のようなもので、実際のところはそんな気はなかったんじゃないだろうか。
分岐点まで来たところで一度立ち止まる。
それに合わせて千種先輩も一緒に足を止める。
「それでは失礼します。今日は変なこと聞いてすみませんでした。一応お願いしておきますが、今日のことはひよっちには内緒でお願いしますね?」
「ああ」
返事と同時に踵を返し歩き出す。
振り返ることなく袂の別れた道を真っ直ぐに。
「佐伯さん」
自分を呼ぶ声に足だけ止めるが、決して振り返ることはしない。
それに特に理由はなかったが、きっと私のつまらない意地のようなものなのだろう。
小さい小さい私の意地。
「ありがとう、日和の親友が佐伯さんみたいな人で良かったよ」
だけどその言葉があまりにも予想の斜め上すぎて、結局は振り返ってしまった。
しかし振り返った先にいるはずの人は、すでにもう一つの道を歩き始めていて、気づいた時にはどんどん遠ざかって行ってしまっている。
私の聞きたかった通りの返答は得られなかったし、関係は悪化してしまったかもしれないけど、それでもその中で得たものもある。
千種先輩は私が思っている以上にひよっちのことを大事に思っていて、決して思いは一方通行なんかじゃなかった。
少し雰囲気に威圧されてしまったけど、それでも大事なことは聞けたと思う。
「きっと明日のバレンタインはいい日になるよね」
今夜はもう少しだけ親友にとって辛い夜になるかもしれないけれど、それでも明日はその表情に笑顔が戻ると思うから。
だから私は明日、放課後になるまでひよっちのそばでいつも通り笑っていよう。
しょうがないからいつもよりも多めにほっぺを引っ張らせてあげてもいい。
「だって、ひよっちは大切な親友だからね」
言葉に出すとそれは胸の中心にすとんと落ちてきて、不思議と足取りを軽くしてくれる魔法の言葉のよう。
すでにその後姿すら見えないもう一つの道から自分の道へ目を向ける。
さぁ帰ろう、今日の夜ご飯はなんだろな。
家までは後数分。
明日はバレンタインデー。
乙女たちの静かな戦いが始まるまで、後もう少し。
END
もう一度だけ振り返ってみるが、すでに日の落ち始めたこの時間、すでにあたりは闇に包まれ始め見通しはあまりよくない。
ひとつだけ気になることがある。
なぜ千種先輩は好きな人を大切だというために表現を、あんなに強い言葉で表したのか。
深く考えずにただ好きだからと割り切ればいいのかもしれないが、なんとなく腑に落ちない。
「昔、何かあったのかな……」
呟いた言葉に返す者は誰もいない。
しかしその疑問も冷たい木枯らしと見えてきた家の明かりですぐに頭の隅へと追いやられてしまう。
「早く帰ろ」
小走りで家に向かう。
そして家に着くころには、その疑問も特に覚えてはいなかった。
今はまだ、誰も知らないパンドラの箱は閉じられたまま。
だけどそれが開くときはもうすぐなのかもしれない。
To be continued