寒さに震える帰り道
いつまでも続くのかと思われた暑さも、実は気のせいだったのではと勘違いしてしまいそうな寒さに身を震わせる今日この頃。
南から吹いている風のくせに、体の芯まで凍り付くような感じがするのはなぜなのだろうか。
南風なんて言うくらいなんだから、どうせなら言葉だけじゃなくて雰囲気も南国感を引き連れて欲しいものだ。
ただただ冷たいだけなら冷蔵庫にでもできるんだぞ、この野郎め。
「南風もお前の理不尽さには心底呆れているだろうよ」
「大層な名前がついてるんですから、そのくらいしてくれないと困ります」
自分でも滅茶苦茶なことを言っている自覚はあるが、どこかに文句をつけなければやっていられないほど寒いのだから仕方がない。
思わずお口が悪くなってしまったのも、全てはこの寒さのせいだ。
「そういえば寒さとサムって似てますよね」
「いやサムって誰だよ」
「知りませんか?英語の教科書にドヤ顔でちょいちょい出てくる男の人です。私の推測では恐らく出身はスコットランド辺りと予測しています」
「いや、そんなのは知らんが」
いつもと変わりない帰り道。
学校を出るところで待ち合わせ、周りに誰もいなくなったところで手を繋ぎ、そして他愛のない会話をしながら家に帰る。
休日なら一緒にいる時間はそれなりに確保できても、平日はこの帰宅時間が唯一の逢瀬の時間。
それは私にとっての至福の時間。
「スコットランドとすっとこどっこいもどことなく似てますよね?」
「多方面から怒られても俺は知らないからな」
会話の内容はさておき、こんな時間が少しでも続けばいいと私は心から願ってやまない。
大好きな彼とのこの時間が。
先日までまだこの時間は明るかったはずなのだが、一週間という時間が経過しただけでこんなにも日の出ている時間が短くなってしまう物なのか。
家までまだ少し距離があるというのに、東の空はすでに夜に向かって全速力で進み始めてしまっているようで、だんだんと辺りも薄暗くなってきたように思う。
「さらに寒くなってきました」
「冬だからな」
「お日様が恋しいです」
「冬だからな」
察しが悪いのかわざとなのかは知らないけれど、同じ言葉を繰り返すのは壊れたラジオだけにしてほしい。
そんなことをしていると日和さん凍えて凍死してしまうかもしれない。
「日和が凍るなら俺が先に凍るだろうよ」
「どういう意味ですかそれ」
いつもと変わらない掛け合いももちろん楽しいし、つないだ手から伝わる熱も嬉しい。
なかなかしてくれない、というよりもするタイミングがないのだけれども、時々思い出したように触れるキスなんかは最高だ。
高校生ともなれば中学生に比べて格段に得る知識の量というのは増える傾向にある。
それは情報を得るためのツール、つまりスマホなどの普及が目覚ましいということもあるのだが、それよりもはるかに大きいのは情報の出入り口が増えるということではないだろうか。
簡単に言ってしまえば高校という、今までよりも大きな母体の集団に属することにより、多種多様な人と知り合いになる。
知り合う人が増えれば当然だが、その人が持っている情報も種類が増えるわけであり、そこから得る知識もおのずと増えてくるというわけだ。
遠回りに表現するのはやめよう。
簡単に言うと私は秀介さんとハグがしたい。
恋人同士のすること十選という、クラスメイトから紹介してもらったサイトにハグはいいと書いてあったのだが、よく考えてみれば、私たちはまだそれをしたことがないのだ。
ゆえにいつも見ているその背中ではなくて、正面に回って思いっきり抱き着きたい。
もちろん秀介さんが抱きしめてくれるまででワンセット。
一方的なハグなんかはご免こうむる次第だ。
「というわけでハグしてください」
「相も変わらず唐突だよなお前は」
呆れ顔の秀介さんだが私は知っている。
意外と秀介さんはスキンシップが好きだということを。
以前たまたま秀介さんの部屋で二人きりになることがあったのだが、少しばかりいちゃいちゃがしたい気分が高まって、恥ずかしながら私の方からキスをしてみた。
始めはとても驚いた顔をしていた秀介さんだったけど、一度キスをしてしまえば後は何かのスイッチが入ってしまったかのように、私の唇に触れるだけのキスを何度もしてくるものだから、あの日だけでどれだけ私の寿命が縮んだことか。
もっともあの状況でその先に進まなかったことについての言及はしないつもりだ。
少しばかり秀介さんのことをヘタレだと思わなかったわけではないけども、もし進んだらそれはそれで私の心臓がもたなかったことは明白なので。
「だってこの寒さですよ?そして私たちは付き合っていて恋人同士です。この二つが合わさったことによる答えはハグ以外にないと思います」
「思わず納得しそうになった自分が情けない」
やれやれというように両手を上げため息をつくのももはやお決まり。
いつもこんなやりとりをしながら進んでいく私たちの時間は、人から見ればきっとひどくもどかしく見えるのかもしれない。
だけどそれに対して私たちが満足していて、少し物足りないと感じながらも一歩がいまいち踏み出せなくて、こんな関係が私達には丁度いい。
「行くぞ」
突然引っ張られた手に少しバランスを崩しながらも、なんとか秀介さんについていく。
「どこ行くんですか?」
「ハグ、したいんだろ?」
だけど時々こうやって私を驚かせてはドキドキさせてくれるから。
この人がそれを意識してやっているのではないのは重々わかっているけれど、少しいたずらっぽい表情で私を見るその顔が、もしかしたら私は一番大好きなのかもしれない。
まだ日差しがあった先ほどまでは、まだ寒さにも耐えることができていたのだれど、すでにその発生源である太陽が隠れてしまったのであればそれも難しくなってしまう。
ただでさえ、四方を木々に囲まれたこの場所は最初から陽の光が届きにくいのだから、余計に寒さを感じてしまうのも仕方のない話だと思う。
「秀介さんのお部屋に招待がよかったです……」
「今の俺の部屋はダメだ」
「別に私は秀介さんの性癖がどうであれ、嫌いになったりしないので大丈夫ですよ?」
「ダメな理由の全てが即座にそこに集約する理由を述べろよ」
まったくこの彼氏は何を言っているというのか。
男の人が可愛い彼女を自分の部屋に入れられない理由なんて、古今東西一つしかないに決まっているではないか。
そりゃ私は少しばかり小柄で、胸囲の方も平均からすると少しばかり物足りない感も否めないので、そういった本や映像で足りない部分を補うのも仕方がない。
こんなに理解のいい彼女はレアですね、ほんとに健気な彼女ですね私。
「自分への評価がとことん甘いのは昔から変わらない悪癖だな」
「口に鷹の爪突っ込みましょうか?」
鞄の中には常に常備してあるので、ご要望とあらばすぐにでも突っ込むところなのだが口をつぐんでしまったのでここは引いておこう。
それよりもハグだ。
私は秀介さんにハグを求めたというのに、一体いつになったらしてくれるというのかこの朴念仁は。
「ほんとに口の減らないやつだよ」
繋いでいた手を秀介さんの方に引っ張られたと思ったら、気づけば私の体は秀介さんの胸の中。
身長差のせいか、頭が肩口に届かずすっぽりと抱きしめられ、秀介さんの匂いが鼻孔一杯に広がり私を中から犯しにかかっているような錯覚に襲われる。
うん、これはいろいろまずいかもしれない。
「あったかいな」
「……それには激しく同意なのですが、結構私やばいです」
この場所はいつかの紅葉があった場所で、すでに季節が移り変わっているのですでにその葉はすべて落ちてしまっているが、人目に全く触れない場所であることに変わりはない。
そんな場所でのハグ。
これはもはや私の理性の最後の砦が崩れてしまうのも時間の問題なのではないだろうか。
主に秀介さんへの私の海よりも深い愛が、暴走してしまう的な意味で。
「それはなんだか怖いからやめてくれ」
「愛情と欲望は紙一重なんですよ」
激しく脈打つ心臓の一方で、心がこんなにも落ち着いているのも同時に感じていて、やっぱりハグをねだって正解だったとも思う。
なんでもハグには精神を安定させる作用もあると聞くし、これからは積極的に取り入れていく必要がありそうだ。
「あったかいですね」
「さっき俺が言っただろ」
「同じことを繰り返しちゃいけない決まりはありません」
口から出る言葉はいつもと変わりないけれど、それでも互いの声色がどこかやわらかいのは気のせいじゃないはず。
「あったかいな」
「そうですね」
陽は完全に沈み、辺りを暗闇が包む時間。
そろそろ帰宅の途に就かなければいかないのだけれど、寒さを忘れさせてくれるあなたの暖かさにもう少しだけ包まれていたいから。
だからあと、もう少しだけ。
その胸の中で寒さを凌がせてくださいね。
END