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二人の帰り道  作者: ナル
18/26

謎が深まる帰り道

 世の中知らなくてもいいこともある。

それどころか知らない方が幸せである可能性すらある。


「知らない方が幸せでも、あなたはそれを知るべきだと思うかしら?」


 だからこそ、私はこの問いかけに対して答えることが出来なかった。

過去に自分が同じことを経験しているからこそ、その問いがもたらすものが残酷であると知っていたから。




 ひよっちが千種先輩と帰路に着くのは、1週間の内で3日ほど。

多い時には毎日ということもあるし、少ない時は一日もないこともある。

お互いに都合があるのだから、それは当然のことであるし、むしろない方がおかしいのであるが、何が言いたいのかというと、とりあえず今日はひよっちは千種先輩と一緒に帰る日だということだ。


「一人で帰るのってなんだかとっても寂しくなるんだよね」


 なら誰かと帰ればいいのだが、そうしないのは単に一緒の方向に帰る人がいないというだけのこと。

決して私にひよっち以外の友達がいないというわけではなく、ぼっちではないことだけは間違えないで欲しい。


「あの頃とは違うもんね……」


 そうあの頃とは違うのだ。

場所も、環境も、周りにいる人たちも何もかも。


「そうなの、そんなに違うのかしら?」


「うん、もうまったく……」


 そこでふと思う。

私は今日一人で帰っていたはずで、さっきまで周囲には誰もいない状況だったはず。

それなのに一人でしたつぶやきに返事があるということは、間違いなくそばに誰かがいるということ。


「あら、どうしたのかしら?」


 そして私は知っている。

この少しのんびりとした、それでいて隙のないしゃべり方な人を一人だけ。


「……柚葉、さん?」


「だいせいかーい。ご褒美にこの柚キャンディをあげましょう」


「あ、ありがとう、ございます?」


 私に飴を手渡しながら笑う柚葉さんは、そのまま私の横へと並び一緒に歩き始める。

どうやら一緒に帰路に着くらしい。


「こうやって二人きりで歩くのは初めてかしらね?」


「は、はい。確かそうだったと思います」


 なんだか緊張してしまって声がうわずってしまう。

そもそも一人で帰るつもりだったところに突如現れ、そのまま何事もなかったかのように私の横に並ぶこの人は今、何を考えているのだろうか。


 千種柚葉。


 千種先輩のお姉さんであり、現役大学生であるこの人と初めて出会った時も同じような状況だった。


 ひよっちと友達になって少しした頃。

千種先輩を紹介したいと3人で帰路に着いていたときにも、今日みたいに突然現れていつの間に一緒に帰ることになっていた。


“よろしくね、沙彩ちゃん”


 その場の雰囲気に溶け込み、その優しい雰囲気で周囲の空気を和ませる。

それが私がこの人に抱いた印象。

千種先輩の持っている鋭くて、だけどそれでいてその中にある優しさとは真逆のタイプ。

だけどなんとなく根っこにある物は一緒な気がしていた。


「今日は日和ちゃんは一緒じゃないのね」


「ひよっちは千種先輩と一緒に帰る日だったので、今日は私一人なんですよ」


「あらあら、これは後でお部屋をのぞきに行かなきゃいけないわね」


 その発言は冗談のように聞こえて本気なんだと思う。

実際、ひよっちからその手の話は何度も聞かされてきているのだ。


“聞いてください!せっかく秀介さんといい雰囲気だったのに、昨日も柚葉さんがタイミングよく部屋に入って来たんですよ!!”


 どうやらこの様子だとタイミングよくというよりは、狙って入ってきているのだろう。

 がんばれひよっち、義理のお姉さんになる予定の人はどうにも手ごわそうだよ。


「あの、その後の愚痴を聞くのは私なのでほどほどにお願いしますね?」


「そうね、考えておくわ」


 うふふという声が聞こえてきそうなその笑顔を見て、私は明日もきっとひよっちから長い愚痴を聞かされることを覚悟したのだった。


 ひよっち、この人は敵にまわしちゃいけなさそうだよ。




 普段この少しばかり閉鎖的な田舎に住んでいるせいか、柚葉さんの話は少し新鮮に思えるから面白い。

 私とて、ここに来るまでは一応都会に住んでいたし、そんなに遅れているとは思っていなかったが、それでも時代と共に流行とは移りゆくもの。

1年もそこを離れてしまえば、どうやら世間の流れという物からは取り残されて行ってしまうらしい。


「それがさくさくのふわふわでとっても美味しいのよ~」


「想像するだけでよだれが出ちゃいますね」


 大学に通うため、毎日2時間弱をかけてこの田舎から通学をしている柚葉さんだが、最初の頃はそんなに時間をかけるのであれば、一人暮らしをすればいいと思っていた。

そうした方が時間効率も、なにより自分にとっても有益なはず。


 だけどそうしないのには理由があるらしい。

月陽ちゃんいわく、“せっかく面白いカップルがいるのにここを離れるなんてとんでもない”と言っていたそうだが、最初は冗談だと思っていたが、最近では本当にそうなのではと疑っていたりもする。


 だって、ひよっちの話だとちょいちょいちょっかい出されているっぽいもんなぁ。


 もちろんそれだけじゃないことだってわかっているし、それだけでは困るのだけれど、二人のことを小さい頃から見ていた人だ。

きっと二人のことを心配して、それこそ見守っていたいという心境なんだと思う。


 そこではたと気づく。


 小さい頃から。

それはつまり、二人の過去をよく知っているということとイコールなのではないだろうか。


「あの、柚葉さん。少し聞きたいことがあるんですけどいいですか?」


「何かしら?」


 この前感じた小さな違和感。

突如現れた見知らぬ二人の男女と、私の知らない過去のひよっちとの接点。

本人ですら覚えていないのだから、もしかしたら何もないのかもしれないけれど、それでもあの二人の態度はどう見てもおかしかった。


 あの怯えたようで敵視したような態度。

私の勘が言っている、あの二人には絶対に何かがあると。


「心当たりがあるかわからないのですが……」


 そして話は冒頭へと戻る。


 私の問いを聞いた柚葉さんはそれまでの柔らかい態度を引っ込め、一段トーンを落とした声で逆に私に問いかけた。


「知らない方が幸せでも、あなたはそれを知るべきだと思うかしら?」


 帰り道を歩いていた私たちの足は、このときにはもう完全に止まっていて、返って来た言葉を私はどうにも呑み込み切れなかった。


 それはつまり、過去にあの二人とひよっちの間に何かがあったことを肯定したことと同義。

しかもそれを片方が忘れていることが、それなりの意味を持つということを示すものでもあるように受け取ることも出来る。


「私は全てを知ることが幸せだとは思わない」


 くるりと私に背を向けてそう話す柚葉さんの顔は見えない。


「今現在、日和ちゃんは間違いなく幸せだと思うわ。あなたのような素敵な友達がいて、秀介という恋人がいて、そして充実した毎日が送れている」


 充実で幸せな毎日。

それは私が感じていることと同じ。


「そんな幸せを手にしているのに、紗彩ちゃんはそれを覆す事実が必要だとは思うかしら?」


 虚空に放たれたはずの言葉はやけに重く私の耳に届いて溶ける。


 正直これを聞いた時にそんなに大事だとは考えていなかった。

何かがあるとは思っていたが、それを知りたかったのは少しの好奇心とおせっかいの気持ちから。

ひよっちが忘れているのなら、教えてあげられたらいいなという余計な感情。


 だけどどうやらこの疑問は、開けてはならないパンドラの箱だった。

開ければたちまち今ある毎日が崩れていくような、踏み入れてはいけない領域のお話。


「なんてね」


 何も答えられない私に振り向いた柚葉さんの表情は、その時にはいつもの柔らかいものに戻っていて、先ほど見せていたまるで威圧されているかのような空気はもうそこにはない。


「ごめんなさいね。ちょっといじわる言っちゃったわ」


「いじわる……、ですか?」


「ええ」


「それは、どういう……」


「過去にその二人と日和ちゃんの間に何かがあったことは事実よ」


 意味を尋ねようとしたところで私の言葉は遮られる。


「それを忘れているということは、そこにはそれなりの意味があるの」


 それなりの意味。

言葉と雰囲気から察するに、決してその理由はいいものではない。

この前のあの二人の態度を併せて考えてもみても、その考えはさらに肯定されていく。


 だとすると、果たしてそれを私が聞いてもいいのだろうか。


「私はできれば過去の事実を話したいとは思わないわ。だってそこに確かな幸せがあるとは、とてもじゃないけど思えないから」


 そう言い、薄く笑う柚葉さん。

一体過去にひよっちに何があったのか。

知りたいと思う自分と、ここで引き返せと訴えかける自分。

相反する感情が、頭の中でひしめき合っているのがわかる。


「それでも紗彩ちゃんは知りたいかしら?」


 真っ直ぐと、私の心を射抜くような視線に思わずたじろぐ。


「真実を」


 私はその問いに答えることが出来なかった。

だって、真実が決して優しくないということを私は知っているから。


 だからどうしても知りたいということが出来なかった。




 ひよっちの過去に何があろうとも、私との間にある友情は絶対だと思う。

これまで一緒に過ごしてきた時間も、これから共に過ごすであろう時間も、それは私達二人の嘘偽りないものだから。


 だから何を聞いたとしても、その時にどんな感想を抱くことになろうとも、私がひよっちの傍から離れたいと思うはずなどありえない。


 それはひよっちが私の恩人だということとかじゃなくて、ひよっちがかけがえのない大切な親友だと思っているから。


 それでも私は聞くことが出来なかった。


 過去に何があったのかを問うことが出来なかった。

真実は時に人を傷つける、時に心に傷を残す、時に思いもよらない事実として襲い掛かってくる。


“あんたなんか友達じゃない”


 あの日、あの中学最後の日に言われた言葉。

友達だと思ってた子に、いや、親友だと思っていた子から言われた今でも心に深く、棘のように深く食い込んで抜けない言葉。


 だけどわかっていることもある。

真実があるからこそ、人はその先に進むことが出来るのだ。


 私もそうだった。


 真実に打ちのめされて、すさんだ心の中で過ごす毎日の中でひよっちと出会った。

時間はかかったかもしれないけど、その真実を自分の中で見つめ直すことが出来たから今の私がいる。

完全に消化することが出来たわけはないけれど、それでも今、楽しい毎日が送れているのは、真実を知ることができたからだと今では思っている。


“知らない方が幸せでも、あなたはそれを知るべきだと思うかしら?”


 それでも、そう思っていても私がそれを聞くことが出来なかったのは、それがやっぱりひよっちのことだったから。

私を出口の見えなかった暗い迷路の中から、たとえ本人にその気がなかったとして、救い出してくれた恩人のことだったから。


「ひよっちの、過去……」


 柚葉さんのあの態度からして、きっと大変なことがあったに違いない。

それこそひよっちの根幹に関わる何かが。


 だからこそ、それをどうしたらいいかわからなかった。


 聞いていいのかどうか、知っていいのかどうか、この時の私にはわからなかった。


END


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