場所は違えど帰り道
今日は一日遊び倒してやったといっても差支えはないだろう。
事前に乗りたいアトラクションや、見たいパレード、食べたいものなどをリサーチして効率よく時間を使うことが出来たし、予定通りにいかなかったところもあったけど、臨機応変な対応ができたと自分をほめてやりたいくらいだ。
だからこそ今日という日が終わってしまうことが嫌でたまらなくて、この時間がずっと続けばいいと思ってしまって何がおかしいというのか、いや、おかしくない。
「反語をつかったところで時間は伸びないぞ?」
私がこんなにも帰りたくないと願っているのに、秀介さんのこのドライな対応ときたらどうでしょう。
このドライっぷりにはかのサハラ砂漠もびっくりです。
「いいからホテルに行くぞ。せっかくいい部屋とったんだからもったいないだろ?」
「何してるんですか秀介さん!早く来ないと置いてっちゃいますよ!」
「それでこそ日和だよ……」
肩を少し落とす秀介さんには悪いですが、私は後ろは振り返らないことにしているんです。
忘れていたわけではないですが、今日のデートは一泊二日のお泊りデート。
今まで楽しんでいた遊園地が終わったこの後も、秀介さんと過ごす甘い甘い夜の時間が待っているというのだからこんなに幸せなことはないんじゃないだろうか。
「早くしてください秀介さん!ホテルが逃げてしまいます!」
「もし逃げるんだったら、その光景をぜひ見て見たいよまったく」
そう言いながらも、先を歩く私に追いつきまるで幼い子を捕まえるかのように手を掴まれる。
少しだけ乱暴に握られた手も、いつも通りに伝わる秀介さんの体温が心地いい。
3月も終わりに差し掛かった春休みとはいえ、まだ少しだけ夜の空気は身に冷たい。
だからかもしれないが、握られた手から感じるぬくもりが温かく感じた。
「今日はありがとうございました」
「どうした急に?」
「私だってお礼くらい言いますよ。いくらバレンタインのお返しとはいえ、流石に私のプレゼントと格差がありすぎます。ですので少し申し訳なさも感じているんです」
ホワイトデーに渡されたこの遊園地のワンデーパスとホテルの宿泊券。
もちろん嬉しい以外の何物でもなかったが、それでもやはりいろいろと気になってしまうところはあったのだ。
どう考えてもこの二つを用意するのには結構な額のお金がかかったとみて間違いない。
いくら秀介さんが年上だということを加味したとしても、同じ高校生だということに変わりはないのだから、この出費は相当痛いことは容易に想像できる。
「別にそんなこと思う必要なんてない」
だけどそんな私の気持ちに反して秀介さんはそう答える。
「もちろんお返しという意味もあるけどな、何より俺が日和と一緒にどこかへ行きたかったんだよ」
「え……?」
「俺もこの春休みが終われば高3で、進路について真面目に考えなきゃいけない時期になる。そうしたらこんな風に遠出って言うのも難しくなるかもしれないだろ?」
だから今一緒に来たかったんだ。
そんな風に言われてしまったらもう何も言うことなんてできないし、何よりもこのタイミングでそんなことを言うのは反則以外のなにものでもない。
「気障ポイント3です……」
「それ溜まると何かあるのか?」
「10ポイントで私からのキスを進呈してあげます……」
「それじゃあ気合入れて溜めないといけないよな」
そう言いながら向けられた笑顔に、私が危うくその場でキスをしなかったのを誰か褒めて欲しい。
そのくらいにその笑顔は私の心にクリティカルヒットしていて、本当にこの人はずるいと改めて思った。
でも大好きだから許します。
端から見ればただのいちゃついているカップル、実際それで間違ってはいないのだけれど、そのまま二人でじゃれ合いながら数分歩いたところで見えて来たホテルに、私のテンションはさらに上昇していくことになる。
「ちょっと待ってください、ちょっと待てください!?」
「いや何を待つのか知らないけど、早いとこ行こうぜ。俺は風呂に入りたい」
「それは私もですけど!!そうではなくて、そうではなくてですね!!」
なんてことのない顔をしている秀介さんだが、今目の前にあるホテルがどれほどのものかわかっているのだろうか。
私としてもそれほど詳しいわけではないけれど、それでもこのホテルの予約の難しさくらいは知っている。
今日私たちが訪れた遊園地に併設されたこのホテルは園が運営しており、中は園内でも人気のキャラクターなどのデザインで統一されているどころか、食事の際にはそのキャラクターが現れるというまさに夢のようなホテルなのだ。
それゆえ宿泊の予約をとることは難しく、少なくとも半年以上前には予約を取らなければならないという人気を誇っている、と聞いたことがある。
「よく予約とれましたね……」
「去年の4月にはとってたからな」
「パードゥン……?」
この人は何を言っているのだろうか。
去年の4月と言えば、まだ私たちが付き合い始めたばかりだし、今この時まで関係が続く保証などどこにもなかったではないか。
「ばかなんですか?」
「過程よりも結果の方が大切なんだよ」
「いや、そうかもしれませんが」
普段は常識を振りかざす癖に、時折こうやって理解の範疇を超えたことをするからあなどれない。
しかしその行動は私にとって喜ばしいことだから尚の事手におえないのだ。
「嫌だったか?」
そして最後にこのセリフだ。
答えなんか聞かなくたって、私がなんていうかくらいわかっているくせに。
「嫌なわけあるわけないです!さ、早くいきましょう!スイートルームが私たちを待ってますよ!」
「いや、流石にそんなにいい部屋じゃないけどな……」
そう言いながら秀介さんを引っ張ってまた歩き始めた私は完全に失念していたのだが、今夜私たちは一緒の部屋に宿泊することになる。
ということは……・
ダブルサイズよりもさらに大きなベッドと、窓から見える遊園地の夜景。
この最高のロケーションは、まさに遊園地に併設されたこのホテルならではじゃないだろうか。
「さて、秀介さん。私は今重要なことに気づいてしまったのですがいいでしょうか」
「腹でも減ったか?確かそこのサイドボードにスナックがあった気がするけど」
「シャラップです!散々食べ歩いたんですからお腹はもういっぱいです!」
多分この人はわかっててこんなことを言ってることは百も承知だが、それでも少し声が大きくなってしまったことがなんとなく悔しい。
これが年上の余裕から来るものならいいのだが、万が一私が予期していることを毛ほども考えていないのだとしたら。
それはそれで傷つくかもしれない……
「心配しなくてもしっかりとこの後のことは考えてる」
「あの、この後とは……?」
「恋人同士が泊りがけで旅行に来て、しかも同じ部屋。後は日和の想像通りだ」
どうやら私の余計な心配だったようです。
秀介さんはしっかりと男の人だったようですし、何より私だってさっきまでは今日のテンションにつられて忘れていましたが、昨日の夜はしっかりと意識してそれなりに準備はしてきています。
「まぁ日和が嫌なら無理強いはしないがな」
少しだけ肩を落としながらそう言う秀介さんは、なんだかちょっと残念そうに見えた気がした。
もちろん嫌だということはないし、さっきも言った通り準備もしてきた。
だけどちょっとばかし心の準備がまだだったりするのだ。
どうしてあのクリスマスの夜はあれだけ簡単に出来た心構えが今は出来ないのか。
結局あの日は何もしなかったとはいえ、今となっては不思議で仕方がない。
「あのですね!私先にシャワーを浴びてきます!」
この発言がどう考えても了承の意を示すものだと気づいたのは、シャワーを浴び始めてしばらくたってからだというくらい、私が動揺していたことをここに明記しておく。
扉一枚隔てた先から聞こえてくる水音に、動悸音がどんどんうるさくなっている気がする。
過ぎていく時間があまりにも早く感じて、時計をじっと見ているにも関わらずそのスピードは衰えることはない。
今日一日秀介さんと遊園地で楽しく過ごして、そして今は二人で夜を共にするホテルにいる。
私はすでにシャワーを浴びていて、今は秀介さんが汗を流しているという状態。
そして浴室に消えていく際に言われた言葉が、耳についてどうしても離れない。
『少し待っててくれ』
それはつまり、この後ついに一線を越えるからちゃんと心の準備をしておけよと、そういうことですか秀介さん!!
水音の雰囲気が変化する度に、緊張で心臓が口から飛び出しそうになるから笑えない。
本当にできることならあのクリスマスの夜の気持ちを今呼び起こしたいくらいだ。
あの夜は帰る足が無くなってしまって、しかもあの甘い雰囲気が不思議と私の気持ちを高揚させ、秀介さんと関係を持つことに対するハードルを下げてくれていた。
なんとなく直前でお互いが今はその時じゃないと思ったのか、結局何もしなかったとはいえ、気持ちだけで言えば事が起こっていたような気さえする。
しかし今はどういうわけかあの時と違ってドキドキが止まらない。
この時のことを考えて、少し可愛い下着もつけて来たし、貧相な体をどうにかすることは出来ないが、少しでも綺麗に見せられるようにとお手入れだってしっかりした。
そこまでしてきたというのに緊張がピークに達してしまっているのはどういうことなのか。
「まずいです私、このままでは秀介さんに嫌がっていると思われかねません」
もちろんそんなことは地球の自転が逆回りになってもあり得ないし、そもそも拒否をするという前提自体が間違っている。
それなのにこの極度の緊張状態が時間と共にひどくなっていっている気がして、今秀介さんに触れられでもしたら、私は一体どうなってしまうというのだろうか。
「何もそんなに緊張しなくてもいいだろ?」
「うひゃぁ!?」
急に背後で囁かれた声と、そっと抱きしめられる体。
冗談抜きで心臓が止まったかと思ったし、なんなら今も止まっているんじゃないだろうか。
もしもし私の心臓さん、ちゃんと動いてますか?
「あ、あ、あの、しゅ、秀介さん!?」
「なんだ?」
「き、急にそうされると……!?」
「嫌だったか?」
「そうじゃないですけど!」
秀介さんの体が触れたところから順に熱くなっていって、それはすでに全身へと波及しもう抑えなんてきかないレベルになってしまっている。
望んでないわけじゃないし、むしろそういう関係を望んでいる。
先へと進みたい気持ちは強いし、それはずっとまえから思っていた。
「さっきも言ったが、嫌ならやめる」
「嫌じゃないです……」
最高のお膳立てが揃ったこの状況で私を押しとどめるものは一体何なのか。
こんなチャンスを逃せば、絶対に後悔することになるのはわかっているのに。
「俺は春から3年だ。今までよりも時間が無くなるのは間違いない」
「え……?」
「だからってわけじゃないけどさ、それでも俺は今日という日を楽しみにしてた」
その言葉になんとなくだけど、少しだけ緊張が解けていくのを感じる。
今日を楽しみにしていたのは私だけじゃなかった。
その事実が何よりも嬉しい。
「俺は日和のことが好きだ。この事実は今もこれからも変わらない。だからもっと先へと進みたいとも思うし、日和のことを全部知りたいとも思っている。だけど、だからといって日和が拒むことをしたいとは思わないからさ。例えそうだったとしても俺が日和を想う気持ちに変わりはないから」
普段言葉が足りなかったり、不器用な人がこんな感じで時折見せる本音というのはどうしてこんなに心に響くのだろうか。
そもそもにして、私が今日どうしてこんなにテンパっていたのかすらわからないほどに、今の一言で私の緊張は嘘のように無くなってしまった。
多分だけど、今日を楽しみにしすぎるがゆえに、秀介さんを好きだと思う気持ちがクリスマスの時よりも大きくなってしまったために、一歩を踏み出すことが出来なかったのだろう。
たった数か月の時間だったかもしれないけれど、それでもその間に好きの気持ちは降り積もって、自分でも知らないうちにとんでもないことになってしまっていた。
そんな自分でも把握しきれていない想いを今日、急に認識してしまったためにあれだけ緊張をしてしまった。
きっと事の顛末はこんなところ。
「秀介さん……」
「どうした?」
「男ならここは押し倒すところじゃないですか……?」
だけど好きだという想いは決して自分だけじゃなくて、秀介さんも一緒だということがわかったから。
だからもう大丈夫。
「それもそうだな」
今夜私たちは今までの関係から新たな一歩を踏み出すことになる。
その結果もしかしたらこれまでとは少し違う関係性が見えてくるのかもしれないけれど、それでも私が秀介さんを好きだという気持ちは変わらないから。
「しっかりと愛でてください」
「言い方を考えろ」
最後の強がりな言葉も、直後に訪れた甘くて深い口づけに溶けていく。
ここからはもう後戻りはできないし、そもそも戻るつもりなんてない。
「大好きです」
部屋の間接照明に照らされた秀介さんの少し照れた男の顔が、この夜私が覚えている最後の表情だった。
初めての夜は過ぎてゆく。
すぐそこに迫った、新たな季節の訪れを感じながら。
この日、私たちはひとつになった。
END




