ささくれ立った帰り道
一日の授業を終えたとなれば、後は家に帰るだけというまさに自由時間の始まりだ。
もちろん部活やバイトをしている人はそれをしなければならないが、それだって元を正せば自分で選択した時間の使い方なのだから、仮にその日に気持ちが乗らなかったとしても、それは仕方のないことだ。
部活もなくバイトもない。
特に用事があるわけでもない私は、今日は早く家に帰ってゆっくりとごろごろしたい気分であり、親友と一緒に下校するのはやぶさかではないけれど、ともかく早く帰りたい。
「それで秀介さんがですね、今度遊園地に誘ってくれたんですよ!!」
「そうだね、よかったね」
「ちょっとちゃんと聞いてますか!?これはすごいことなんですよ!!まさに空前絶後なんですよ!!」
「どんなにすごいことでも10回以上同じこと聞いたら、誰だってこんなリアクションになるんだよ……」
早く帰りたい私の気持ちなどどうやら今日のひよっちにはまったく伝わらないらしく、延々と惚気話を聞かされること早15分。
どうにも先日のホワイトデーで何かしらの進展があったらしいひよっちと千種先輩なのだが、それは親友としては喜ばしいことだ。
無論私だって、最初にそれを聞いた時には一緒になって喜んだし、しっかりと耳を傾けた。
なんだかんだ言っても私は二人のことを応援しているし、何よりひよっちには幸せになってもらいたい。
「いいからちゃんと聞いてください!そして私に何かいいアドバイスをするんです!来る一泊旅行でいかに秀介さんをこの私の妖艶な魅力で虜にするのかを!!」
だけどひよっちはわかってるのかな?
私だって同い年の女子高生で、恋愛の一つくらいはしてみたいと思っているってことを。
それなのにそんなに惚気ばっかり聞かされたら、いくらなんだって私も拗ねちゃうんだからね。
今日の下校は一人きり。
結局あの後さらに続くかと思われた惚気話は、何を察したのかは知らないがその1分後には終わりを迎えた。
単純に待ち合わせの時間になっただけのかもしれないが、会話の不自然な途切れ方的にそれはないんじゃないだろうか。
『それでですね、私的には夜のパレードの時が狙い目だとは思うんですけども……、いえ、これは帰ってから私の脳内会議で話し合うことにします。今日はさーちゃんのほっぺの張りもよくないので早く帰って寝ることをおすすめしますよ?柚キャンディ置いて来ますので舐めてくださいねー!!』
察しがいいというかなんというか。
人の心の機微を読み取ることが上手いんだからひよっちは。
別にいつもは長い惚気話もなんでもないし、嫌々ながらも最後まで聞くことだってできる。
だけど今日は気持ちがのらなかった。
特に何か理由があるわけじゃないけれど、どこか心がざらついていた。
それを読み取るひよっちときたら本当にずるいと思う。
「もう少し惚気てきたら今日は私がほっぺを引っ張ろうと思ってたのにな」
もらったキャンディーを口の中に放り込んで転がすと、柚の香りとともにやってくる甘さが口内を満たしていく。
「甘いな」
気持ちが沈んでいる時には甘い物。
そのあたりもわかっていてこれをくれたのか、いや、ひよっちのことだからそんな深くは考えていないのではないだろうか。
それでもこの飴は今の私のなんとなく沈んだ心に少しだけ元気をくれた気がした。
「これはまた奇遇だね。今日はお友達は一緒じゃないのかい?」
だというのに帰宅途中でかけられる声は、今の私には不要な物。
「そんなに嫌そうな顔をされると傷つくんだけどな。何も何かをしようとしているわけじゃないだろ?」
「自分の行いを鑑みるべきだと思いますよ?それから今日はひよっちと一緒じゃないので」
声の人物は先日、迷惑にもひよっちのことを狙う宣言をした新瑞橋先輩だった。
普段自分のことを慕ってくれる人ばかりの環境にいるからこそ、あんな風に反発を見せるひよっちのことを気に入ったのかは知らないが、それこそ迷惑な話だ。
「失礼します」
なんのつもりで私に声をかけてきたのかは知らないが、とにかく今日は早く帰って一人になりたい気分なのだ。
ひよっちですら気を使ってくれたのに、この上この先輩に帰宅を邪魔されたくなどない。
「そう冷たくしないでくれないか?俺としてもあの子の友達に嫌われるのは避けたいんだ」
おどけた口調でそう告げる先輩。
あの子というのは間違いなくひよっちのことだろうが、その口ぶりからすると狙うと言ったのは本気なのだろうか。
どう転んでも無駄なのだからやめた方がいいというのに。
「そうだ、ちょっとあの子の好きな物とか教えてくれるかな?やっぱりアプローチの基本はプレゼントっていうのが相場だと思うんだよね。もし教えてくれるならお礼はちゃんとするからさ」
勘弁してほしい。
それが今の偽らざる気持ちだった。
「ひよっちの好きなものは千種先輩です。それ以上でも以下でもありません。ひよっちは千種先輩の隣にいるのが一番いいんですからこれ以上関わらないでください」
これも本当のこと。
ひよっちの好きな物なんていろいろとあるけど、何よりも好きなものは千種先輩以外にいないのだ。
口を開けばいっつも千種先輩の話だし、機嫌が悪い時も、落ち込んだ時も千種先輩が絡んでいる。
だけどそれを話す時のひよっちはどんなときよりも輝いていて、やっぱり隣にいるべき人は千種先輩以外にはいないんだなと、高校からの付き合いである私にだってそれくらいはわかるんだ。
だからもうこれ以上私を煩わせないで欲しい。
気分がマイナスなことを差し引いても、この先輩とは関わりたいとは思えない。
「待ちなよ」
だというのに私の行く手を遮るように立つこの先輩は、やはりいつもと同じでその顔に余裕の笑みを浮かべたままだ。
「君が友達を大事にしているのはわかるが、ちょっとその答えは短絡的じゃないかい?」
「……え?」
「だってわからないだろう?確かに今の彼女は千種と付き合っていて幸せなんだろうけど、それが一番とは限らない。もしかしたら俺の隣にいる方がもっと幸せかもしれない」
この人の自信はどこから出てくるというのか。
もはや私にはそれを理解する気も、それどころかそれを考える気すら起きなかった。
「君は友達が遠くに行くことが怖いんだろう?今と違う環境で、友達とこれまで通りの関係を続けていけるのかどうかが」
頭の中でリフレインする友達が遠くに行ってしますうというワード。
まだ先輩は何かを話しているが、もはやそれは私の耳には届かない。
“いつまで友達面してるつもり?”
ここへ転校することになって、ここでひよっちという親友を得て忘れたと思っていた。
“あんたなんか友達じゃない”
だけどそれは消えてなんかいなくて、こうしてふとした言葉をきっかけにして表在化してきてしまう。
今日私の気持ちが沈んでいたのも、もしかしたらひよっちの変化をどこかで感じていたからなのかもしれない。
「どうかしたかい?」
自分の世界に沈みかけていた私の肩に伸びる手。
「いやっ!」
それを思い切り拒む体と心。
自分でもうまく制御できない感情に心が支配され掛け、過去の想い出がトラウマとなって噴出しかけている。
とにかくもう今は、すぐにでもこの場から去りたい。
その一心で先輩の脇を通り抜けようとした。
したというのにこの先輩は一向に私の気持ちになんか気づくことなんかなくて、すれ違いざまに私の腕をつかんで離してくれない。
「離してください!」
「まだ話は終わってないだろ?それにそんな顔色の悪い子を一人にするのは男としてできないさ」
気障ったらしいその言葉も、その声も、もう何も聞きたくなんてないのに。
マイナスに触れた気持ちが涙となって零れたまさにその時だった。
「なんだ新瑞橋。お前、俺の前で女の子を泣かせるとはいい度胸してるじゃないか」
声に気づいた時には私の手からすでに先輩の手は離れた後で、見えた光景は誰かに襟首をつかまれた先輩が、なんとかその手から逃れようと暴れているところだった。
「離してくれるかな!?別に俺が泣かせたと決まったわけじゃないだろう!?」
「この状況でそんな言い訳が通じるか馬鹿が」
私と先輩を隔てるようにして間に入ってくれたのは、身長は180をゆうに超えるであろう大きさのたくましい背中。
後姿で顔は見えないが、私はこの声に心当たりがある。
「本郷……、先輩?」
「おぉ、俺の事覚えててくれたのか。確か千種のちっさい彼女の友達だよな。すまんな、クラスメイトが余計なちょっかいをだしたみたいで。すぐに済むからちょっと待っててくれ」
「いや、だからちょっかいとか人聞きが悪いだろう!?」
「やかましい」
あっけにとられている私を尻目に本郷先輩はそう言うと、新瑞橋先輩をひっつかんでどこかへ行ってしまう。
そして一人その場に残される私。
なんなんだろうこの状況は。
本郷先輩は千種先輩のお友達であり、ひよっちと一緒の時に一度だけ話したことがあるのだが、面識はそれだけで特に交友関係があるというわけではない。
ただ千種先輩によれば、重度のお人好しで楽天家であるが、まぁ悪い人ではないとのことだ。
きっと今日私を助けてくれたのも、そういった性格によるところが大きいのだと思うけど、それでも助けてもらったことにかわりはない。
「まったく、あいつは逃げ足が速くて参る」
「あ、あの……」
「おう、悪いな逃がしちまった。何もされなかったか?されたなら明日俺が張り倒しといてやるから言ってくれ」
どうやら新瑞橋先輩はうまく逃げたようで、少しそれが残念な気もするが今はそれよりもしなければならないことがある。
「助けて頂いてありがとうございました」
気持ちは沈み、そんな中で面倒な先輩に絡まれて、思い出したくないことを思い出した。
だけどそんな時に私を助けてくれたこの人が、今の私にとってどれだけありがたいことか。
「私、佐伯咲綾って言います。一度だけお会いしたことがあると思いますが」
「ああ、さっきも言った通りちゃんと覚えてるよ。名前までは知らなかったけどな」
そう言って笑うその顔は、効果音をつけるならニカッという擬音がつきそうなくらいにまっすぐで、全てを受け入れてくれそうなそんな笑顔だった。
今の私が本郷先輩を見る目にフィルターがかかっていることは間違いないけれど、それでも人を引き付けるその笑顔は、今日一日沈んでいた私の気持ちを引き上げてくれるには十分すぎた。
「今日はちっさい友達は一緒じゃないのか?」
「そういうときもあります。それより今のひよっちに聞かれたら怒られますよ?」
「それは困る!?この前も千種を借りた時に怒られたばかりなんだよ。今の失言は内緒で頼む!この通り!」
そう言い頭を下げる本郷先輩の姿がなんだかおかしくて、感情を素直に出せるその様子が羨ましくて、だけどやっぱり嫌な気分はしなかった。
「助けて頂いたお礼に今のは私の胸の中にしまっておきます」
「マジか!?感謝する!!」
どれだけ前回ひよっちに怒られたんだろう。
自分よりも随分と小さいはずのひよっちに怒られる本郷先輩。
それを想像してしまって、私はついに笑いをこらえることが出来なくなってしまったのだった。
いつもひよっちと別れる分岐路を超え、家が見えるまでもう少し。
本郷先輩が送ろうかと言ってくれたので、その分岐路までは送ってもらうことにしたのだが、さすがにそれ以上は遠慮をさせてもった。
本当なら一人で帰ることも出来たのだが、なんとなくその優しさにもう少しだけ触れていたくて、少しだけわがままを言わせてもらった。
『それじゃ気を付けて帰れよ!何か困ったことがあればいつでも言ってこい!そんな暗い顔していると友達に心配されるぞ』
その言葉が嬉しくて、別れてからもそれを頭の中でずっと反芻している自分がいる。
この場所に来るまでは自分に居場所が出来ると思っていなかったけど、今はひよっちもいる、千種先輩もいる、そして今日、また一人私をちゃんと見てくれる人が増えた。
本人が意識しているかは分からないけれど、それは私にとってはとっても嬉しいことだから。
「明日はいつも通りの私に戻れそうかな」
意味も無く沈んでいた今日の私はもう終わり。
いや、どうして沈んでいたかなんてとっくにわかっているけれど、それは違うと今はしっかり理解しているから。
『君は友達が遠くに行くことが怖いんだろう?』
今日の気分の原因はきっとそれ。
千種先輩との仲が発展していくひよっちを見て、遠くに行ってしまうという錯覚に陥ったから。
だけどそれは間違った考え方で、そういうことじゃないんだと思う。
大切な友達が幸せになるということは、決して私から離れていくことなんかじゃない。
少し距離が離れることはあるかもしれないけれど、それがイコール友達でなくなるということではないのだから。
それを本郷先輩が教えてくれた。
だからネガティブさーちゃんはこれにて終了。
ついこの前まで暗かったこの時間も、まだ日が沈み切らないくらいになってきた。
新しい季節がくるまであと少し。
今度本郷先輩に何かお礼しないとな。
そう考えると、心があったかくなるような気がした。
そんな、冬の終わりの帰り道。
END




