帰り道のその後に
自室のベッドの上でお気に入りのクッションを抱え、大好きな人の膝の間にすっぽりとおさまる感じで座っているというのに、そこに甘い空気なんかはかけらもなくて、ただ険悪な雰囲気だけが場を支配している。
「というわけで事の顛末は以上です。この私の行き場のない憤りをどこにぶつけてやりましょうか」
「そうだな。憤りについては俺も同感だ。明日きっちり始末をつけるから心配するな」
「この私の純潔を汚そうとしたんですよ!このままじゃ気が収まりません」
その理由は明白で、今日の帰り道に起こったとある非常識な先輩の件を、秀介さんに全てぶちまけているから。
ここで少女漫画なんかであれば、あの行いを自分の胸に秘め、それこそ泥沼に発展していくようなものなのだが、私はそんなことをするつもりは毛頭ない。
あれは明らかに向こうの過失であり、私が隠す理由なんて何一つないのだ。
だったら全てを秀介さんに伝えたうえで、明日成敗してもらう方が効率的というもの。
「確か家の庭にドラム缶が転がっていたと思うんだよな」
「沈める気ですか?」
「一番足がつかないだろ?」
その発言が冗談で、だけどもそれを実行に移したいくらい秀介さんが怒ってくれているというのは、私にとって非常に嬉しいところではあるのだが、顔が怖いです秀介さん。
なんだか今の状態だと、マジでやるんじゃないかと心配しちゃいます。
「大丈夫だ。半分くらいにしとくから」
「どうしましょう。いつもボケを担当してるので、それが入れ替わるとこんなに違和感を感じる物なんですかね」
さっきまであんなに腹が立っていて、今にもどうにかなってしまいそうだったというのに。
秀介さんにくっついていたらそれも全部どっかにいってしまった。
それどころかとても穏やかな気分にすらなれている気がする。
「秀介さんは私の精神安定剤ですね」
「副作用に注意しろよ?」
「ほう、ぜひともお聞かせ願いたいですね。ちなみにもっと欲しくなるというのは副作用に入りませんのでそれ以外でお願いしますよ?過剰摂取は望むところですので……」
言い終わると同時にキスで口を塞がれる。
もう何度ととなくしている行為だというのに、未だにそれに慣れないあたり私もまだまだ子どもということだろうか。
というよりも、いつもするのが突然な秀介さんが悪い気がするのは気のせいではないはずだ。
心の準備時間を与えてくれないから、こうして私はいつもドキドキさせられてしまうのだ。
「日和じゃなくて、俺がもっと与えたくなるんだよ」
「それはあれですね……、一挙両得と言った奴ですね……」
だけどそれを相手に見せるのがなんとなく悔しいから、こうして強がってまた口を塞がれる。
私の心臓がもたなくなってしまったらどうしてくれるのか。
そう思ってみたけれど、結局は私もしてほしいのだから、それはもう言いっこなしなんだろうな。
そんなことをなかなか終わりを見せないキスの最中に私は考えていた。
できればイニアシティブを取りたい私としては、今この状況はあまり得意とするところではないのだけれども、それでも拒むことが出来ないのだから仕方がない。
「え、えっと秀介さん……?この状況はなんなんでしょうか……?」
「嫌か?」
「嫌ではないのですけれど、主に私の羞恥心とかその辺がですね……」
「なら問題ないだろ」
とまぁ、先ほどのキスの後からこんな感じの会話を何度繰り返したことだろう。
そりゃ嫌じゃないし、むしろ嬉しいと思う。
だけどそれと同時に恥ずかしくて仕方がないのだ。
「抱きしめてもらうのは嬉しいですし、私からお願いすることもあるんですが、流石にこの姿勢はですね……」
「嫌か?」
「そうじゃないですが……」
「なら問題ないな」
あぁ、会話が堂々巡りですね。
私たちが恋人同士という関係となってからそれなりの時間もたっているし、キスやハグなんかもたくさんした。
それでも今のシチュエーションは初めてだ。
ベッドに座る秀介さんと向かい合う形でその膝の上に座り抱きしめあう。
しかもなぜかおでこが合わさっていて、顔を背けるのも難しい。
え、何この羞恥プレイ。
というか秀介さんの息遣いが近すぎていろいろとやばいのですが。
普段大人ぶっていろいろと言ってはいますけど、私も恋に恋するお年頃。
大好きな人とホワイトデーというイベントの夜に、自室で密着するというこの状況。
我慢しきれなくなったらどうしてくれるというのだろう。
実際、あのクリスマスの夜、私たちは一線を越えかけるところまでいった。
そういったホテルに二人で宿泊したのだから、むしろ何もない方がおかしいくらいというものだ。
だけど結果的に最後まで到達することはなかった。
決して私が最後の最後になって拒んだわけでもないし、お互いにそれを望まなかったわけでもない。
ただなんとなく、そこを超えるのは今じゃないと互いが思ってしまった。
だからあの夜はキスだけ交わして二人寄り添うように眠っただけ。
ただそれだけ。
しかし今の状況はどうだろう。
あの時とは違い、いつもよりもはるかに近い距離と雰囲気に体は熱く、鼓動は早く、そして思考がうまく働いていない。
正直に言えば、多分今このまま押し倒されれば私はそれに抗うことはできない。
出来ないというよりもきっとしない。
だって、秀介さんがそうしないのであれば、きっと私が先にしてしまうだろうから。
「日和は俺のものだ」
「え……?」
「他の奴には渡さない」
触れた額がさっきよりも強くくっついた気がしたけども、それよりも何よりも今の言葉はどういうことですか。
今の言葉を噛み砕かなくてもわかるのは、秀介さんが嫉妬してくれたということなんではないだろうか。
先ほどというか、今日の帰り道に起こった出来事に対して、怒ると同時に嫉妬をしてくれている。
これは不謹慎かもしれないけど相当嬉しい。
考えても見て欲しい。
嫉妬というのは基本的に、好きな人に対してするものであって、嫌いだったり興味がない人に対してするものではない。
もちろん秀介さんからそう思われていると思っていないし、思いたくもないが、それでも時折不安になることだってある。
だけど今の秀介さんは、あの憎き新瑞橋という男のとった行動に対し、普段見せない行いをするというおまけつきで妬いてくれているのだ。
「妬いてるんですか……?」
それを確認したくて、おでこを離して顔を覗き込んでみれば、少し拗ねた顔に視線がぶつかる。
本人は怒っているように見せているのだろうけど、私からすればそれはただ可愛い以外のなにものでもない。
男の人のこの表情がこんなにも私にクリティカルヒットするとは、というかそれが秀介さんだからなのだろうけど、ちょっとダメージが強すぎます。
「もー、秀介さん可愛いですっ!!」
だからやっぱり私から押し倒すことにしました。
もうこの状況を我慢することなんてできないし、私の気持ちもちゃんと伝えたいと思ったから。
「おまっ、何して……!?」
「ほんっとにそんな可愛い顔しないでください!私の心臓が加速しすぎてどうにかなっちゃったらどう責任とるつもりなんですか!」
「誰が可愛いんだよ!」
「秀介さん以外にこの場に誰がいるんです?」
「そりゃそうだけど」
攻守逆転。
さっきまで完全に押され気味だった私ですが、なんだか今はいつも通りな気がします。
やっぱり私にはこの方が性に合ってますね。
さっきの責められているのも嫌いではないですけども。
「ありがとうございます」
「何がだ……?」
「嫉妬してくれて。私、今すごく嬉しいんですよ?」
普段見せない一面が。
あなたが私のことを思ってくれていることが。
その全てが嬉しい。
「私が好きなのは秀介さんだけです。あんなチャラ男なんて眼中にないんですよ。いつだって秀介さんラブですから」
「言ってて恥ずかしくないか……?」
「そうですね。冷静に考えるとすごく恥ずかしいので責任とってください」
そう言えばきっと、強く抱きしめてたくさんのキスをくれることはわかっているから。
だから私は目を閉じる。
もしかしたら今日が、私たちの関係が一歩進む日なのかもしれない。
それならそれはとても幸せなことだから。
「ひよりちゃーん!!いいチョコ買ってきたから一緒に食べましょー!!」
まさに唇が触れた直後、もう少し生々しく赤裸々に語るなら、少しテンションのあがった私の舌が、秀介さんの口内に侵入しようとしたあたり。
望んでいない来訪者により突然終わりを告げる甘美な時間。
あまりに唐突で予期していないその出来事に、どうしたって私たちの行動は一歩遅れることになる。
「だめですよ柚葉さん!今秀介さんが来てるんですか……ら……」
空気が凍るとはきっとこういうことをいうのだろう。
ベッドの上で抱きしめあってキスをする私と秀介さんに対し、扉付近に立ち尽くす秀介さんの姉である柚葉さんと、私の妹である月陽。
修羅場だとかそういうわけではないけれど、それでもこの状況が望ましくない上に、身内には絶対に見られたくない光景であることには一部の疑いの余地もない。
「あ、えっと、ごめんね?ちょっとね、チョコがちょこっとね……?ぜひ日和ちゃんにおすそ分けしたかったから……ここに置いとくから食べてね?」
「ほら柚葉さん行きますよ!だから言ったんですよ、濡れ場だったらどうするつもりだったんですか!」
「一歩手前だったんだしセーフじゃないかしら?」
「私一応まだ中学生ですよ!これでも刺激が強すぎます!」
侵入者二人はそんなことを言いながら、まったく悪びれるそぶりもなくゆっくりと扉を閉めていく。
締まる扉を見ながらようやく再起動を始める思考と動き出す体。
そこからの私は早かった。
秀介さんから高速で離れ、そして横においてあったクッションをひっつかむ。
そしてそれを力の限り侵入者に向かって投げ放った。
直線的な軌跡を描いたそれは、柚葉さんめがけて一直線だったのですが、どういうわけか驚異的な反射神経でそれを回避。
目標物にあたることのなかったクッションは、そのまま後ろにいた月陽にクリーンヒット。
「むぎゃっ!?」
「二人とも私の持ちうる全ての方法で呪ってあげますから覚悟しなさい!!」
そんな私の叫びもむなしく、二人は何やら騒ぎながら扉の向こうに消えていってしまった。
まさかあの光景を見られてしまうとは。
明日からどんな顔をして二人の前に出ればいいというのだろうか。
「そういえばまだホワイトデーのお返し渡してなかったよな。ちょっと待ってろよ」
「いやいや、この状況でどうしてそんなに切り替えが早いんですか!?さすがの私も秀介さんの胆力に驚嘆ですよ!?」
「ならいらないか?」
「ください!」
はい、どうやら私もそれなりに心臓に毛が生えているようです。
しかしあの二人はいいところで邪魔をしてくれたものです。
もしかしたら、あの後もっと甘い時間が過ごせていたかもしれないというのに。
「そんな顔するなよ」
「どんな顔してます?」
「御馳走を目前におあずけを喰らった犬みたいな顔」
「二人に追加して秀介さんも呪ってさしあげましょうか?」
「遠慮する。これやるから許してくれ」
苦笑いを浮かべながら渡された薄い封筒のようなもの。
なんでしょうかこれは、中に入っているのが紙の類だということはわかりますが、もしかして現金?
それはそれで嬉しいですけど、さすがにこれは。
そう思い引っ張り出した紙に書かれていたのは、国内でも屈指のテーマパークのペアチケットとホテルの宿泊券。
思わずそれを二度見してしまった私は決して悪くはないはずだ。
「今日の続きはそのときにでもな」
なんてことを言われてしまったら、もう私が何かを言うことなんてできるはずがない。
こんなお返しをもらってしまったら、一体どれだけのものを私は秀介さんに返さなければいいというのだろう。
「お返しなのに、私が食べられそうなのは気のせいでしょうか?」
「さぁ?それは神のみぞ知るってところだろ」
「えっち……」
「嫌か?」
「嫌なら今すぐこれを破り捨ててます」
さっきの甘い時間は今日の所は取り戻せそうにはないけれど、それでもこの気持ちを伝えるためにもう一度私からキスを送った。
ありがとうの気持ちもたくさん込めて。
いろいろとあった一日だけど、終わりよければすべてよし。
今年のホワイトデーは、とても幸せな日となりました。
また新しい約束もできましたしね。
あ、この後お邪魔虫二人はしっかり呪いもとい、仕返しをしておきました。
人の恋路を邪魔する人には、天罰が必要ですからね。
END




