お隣さんとの帰り道
週末の過ごし方と言えば、もっぱら家でごろごろするのが私の基本スタイルだったりする。
もともと出不精な性格もあるせいか、あまり進んで外出をしたいとは思うことが少ない。
加えて学校の部活もなるべくめんどくさくないのをという理由で、文芸部なるものを選択したので休日に活動もない。
特に趣味もなくて、ほどほどに過ごす毎日。
自分でも将来がなんとなく心配にならないこともないけども、今のところこれで特に困ることもないのでいいんじゃないだろうか。
その時になれば嫌でも何かをすることになるだろうし、何より実際にそのスタイルで上手くいっている人が身近にいるのだから大丈夫。
「今日は付き合ってもらって悪かったな」
「いいですよ。どうせ家にいてもすることないので」
「変わらないな」
「変わることが正しいってわけじゃないと思いませんか?」
そんな私が休日に家を出るというのは、それなりの理由があるから。
そうでなければ、まだ気温が上がり切らずに炬燵が恋しくなるこの時期に、好き好んで家から出たりはしない。
「一人じゃなかなか決まらなかったから助かったよ」
「他ならなぬ秀介さんの頼みですからね。お姉ちゃんのためというのが引っかかる気もしますけど、パフェも奢ってもらいましたし文句はないです」
「姉妹ってっやぱり似るよな」
「聞き捨てなりませんね」
秀介さんからの救援要請があったのは二日前の事。
いつもと同じように週末のだらける予定を立てていた最中、今度の日曜日に買い物に付き合って欲しいと連絡がきたのだ。
最初、どうしてお姉ちゃんでなくて私なのかと疑問に思ったりもしたが、カレンダーを見てそれもすぐに納得した。
ホワイトデー。
言わずと知れた三月に訪れるイベントの代表格的存在であるそれは、世の男の人を悩ませるイベントでもある。
それはお姉ちゃんの彼氏でもある秀介さんも例外ではなかったようで、何を渡すかが決まらずに、妹である私に助言を求めてきたというわけだ。
「お姉ちゃんには内緒にしておきますよ」
「そうだな。内容もそうだが、月陽ちゃんと一緒に買ったという事実も一緒に隠蔽してくれると助かる」
「嫉妬深いですからねお姉ちゃん。特定の人物に対しては」
本来、性格的にドライな我が姉は、あまり嫉妬というものをすることは少ない。
しかし、それが特定の相手になると話が変わってくるのだ。
まぁ早い話が秀介さんの生活圏にいる人。
ようは私や佐伯先輩のように、お姉ちゃんの近くにいる人というわけだ。
関係を知っている以上、そんなことをする可能性は低いだろうになぜそんなところばかりを心配するのか。
以前お姉ちゃんに聞いてみたことがあるのだが、その時の答えはこうだ。
“他の女の子に秀介さんがなびかないことはわかっているのでいいんです。それよりも問題はあなた達です。その陰険な性格で何をしてくるかわかったもんじゃないです”
半分以上惚気られたのだが、その時はその後喧嘩になったのでそれ以上のことは聞けていない。
陰険な性格とは何事なのか、小一時間くらい問い詰めたかったのだが、お母さんの頭から角が生えかかってたのでやめておいた。
もっとも、その理由は聞かなくてもわかっているのでよかったりもする。
あの姉は、口は腹が立つくらいに毒舌だが、自分が大切だと思った人のことをとことん大切にする人なのだ。
ゆえにもし、その大切な人と秀介さんの取り合いになってしまえば、最後には自分が引くこととなる。
それがわかっているから嫉妬をする。
ほんと、我が姉ながら不器用な性格。
そんなお姉ちゃんだからこそ、私も好きなのだけれども。
まぁ、そんなことは絶対に言ってやるつもりはない。
今のは死ぬ直前でも言うつもりのない、墓場まで持っていくつもりの案件だ。
「しかし二人はラブラブですねぇ。羨ましくなっちゃいます」
「月陽ちゃんも美人なんだからモテるだろ?」
「今のもお姉ちゃんに聞かせられないワードですね」
そんな苦笑と冗談を交えながら、秀介さんと共に家に向かって歩いていく。
思えばこういった感じで二人で歩く機会などあっただろうか。
お姉ちゃんと秀介さんがお隣さんで幼馴染ということは、必然的に私もそうなるということで、小さい頃から交流があったのは私も同じ。
それでも私と秀介さんが二人で過ごすということはまずなかった気がする。
秀介さんの隣には、いつも必ずお姉ちゃんがいたから。
いや、それは違うかもしれない。
どちらかといえば、秀介さんがお姉ちゃんのそばにいたのかもしれない。
特に、あのことがあってからは。
「お姉ちゃん、元気になりましたよね」
「そうだな」
「これも秀介さんのおかげなんですかね」
「俺は何もしてない。あいつが自分で立ち直っただけだ」
遠い日の夕暮れ時の記憶。
忘れたくても忘れることなんてできない、そんな幼き日の出来事。
「覚えてない方がいいんですよね、きっと……」
「全てを覚えていることが幸せだとは限らない。少なくとも俺はそう思ってる」
秀介さんが何を考えて今お姉ちゃんの隣にいるのか。
それはわからないけれど、間違いないのはきっとこの先、ずっとお姉ちゃんのことを守り続けるのだということだ。
「ホワイトデー、成功するといいですね」
「さすがに失敗すると俺が困る」
私たちの家まではもう間もなく。
多くを望むことなんてしないから、願わくばこの二人の関係が、この先も光り輝くことだけを祈っている。
家の中に広がる匂いから察するに、どうやら今日の夕食はビーフシチューのようだ。
ブイヨンやコンソメなどの香りに付随して、デミグラスソースのいい匂いが一日歩いていたせいで空いたお腹を刺激する。
「月陽ちゃん帰ったんですね。もうご飯が出来るので早いとこ着替えちゃって来てくださいね」
「今日はお姉ちゃんが作ったんだ。お母さんは?」
「お父さんとデートだそうです。いい年した夫婦がまったくと言いたいところですが、たまにはいいでしょう。私は心が広いですからね」
「てことは帰ってくるのは遅いのかな?」
「どうでしょうね。それよりも早く食べますよ。今日のビーフシチューは会心の出来です」
そう言いながら、鍋をかき回すお姉ちゃんの後姿は上機嫌そのもので、それを見ているとなんだか私まで嬉しくなってしまうのはなぜだろうか。
それはきっと、さっきも言ったように、お姉ちゃんのことが好きだからなのだろう。
食卓に並べられた二人分の料理は、その人数の割にやたらと多い気がするのは気のせいではないと思う。
ピラフにサラダ、ビーフシチューに加えてデザートのプリンまでついている。
いったいこれはどこの洋食屋のメニューだというのか。
「お姉ちゃん何かいいことでもあったの?」
「何もないですよ?強いていうなら花嫁修業ですかね。後は暇だったからでしょうか」
「後者の理由がその大半だよね。私の目はごまかされない」
得意げに見えるお姉ちゃんだが、実はこの人料理がとてもうまかったりする。
これと言って趣味などはないのだが、どうにも小さい頃からお母さんと一緒にキッチンでちょこまかと何かをしていることが多かったことを覚えている。
そのせいか、今日のようにお母さんのいない日や、はたまた気が乗った時などには夕食を作ることもあるのだ。
もっともいつも今日のように豪華なものを作ることは少ないのだが、恐らく今日はよっぽど暇だったのだろう。
いつもなら週末は秀介さんと過ごしていることが多いお姉ちゃんだが、今日は私と秀介さんが一緒だった。
それはそれは退屈をしているお姉ちゃんの様子が、実際は見ていなくても想像できるというものだ。
「さすが私です。この美味しさはお店が出せるレベルなんじゃないでしょうか。今すぐにお嫁に行ってもまったく恥ずかしくないレベルですね」
「でもお姉ちゃん料理以外からっきしじゃない」
「その辺はおいおいです。きっと秀介さんも理解してくれます」
「あ、秀介さんが相手なのは確定なんだ」
「当然です。それ以外の相手なんかは認められません。もし秀介さんと結婚できないなら、アリクイと結婚します」
「その例えがよくわからないよ……」
いつものように斜め上からの発言と、突拍子もない言葉。
それでも伝わってくるのは、いかにお姉ちゃんが秀介さんのことが好きかということ。
そしてそれは、秀介さんもまた同じ。
「ねぇお姉ちゃん、今日は一緒にお風呂入らない?」
「なるほど、この姉の素晴らしきスタイルが見たいと。そういうことですね?」
「いや、すでに胸も私の方が大きいけどね」
その言葉にがっくりと肩を落とすお姉ちゃんだが、その様子に思わず頬がほころんでいく。
こんなに穏やかで、幸せな毎日がずっと続けばいいと思う。
何もこの時間を失うリスクを負ってまで、過去を掘り起こす必要なんてないのだから。
“お姉ちゃんしっかりして!!お願いだから目を開けて”
“日和!くそっ!なんで俺がいたのにっ……!”
「どうかしましたか月陽ちゃん?もしかしてお口に合わなかった感じですか?」
気が付けばいつの間にか過去に浸っていたようで、お姉ちゃんが心配そうにこちら見ていた。
「ううん!?大丈夫、ちょっとお姉ちゃんの今後の発育について心配してただけだから」
「いいでしょう、その喧嘩買いました」
不穏だった空気がいつも通りに戻っていく。
きっとそれを思い出してしまったのも、今日の秀介さんとの会話のせい。
忘れよう。
それはまさにパンドラの箱。
最後に希望が残っているのかもしれないけれど、開けないに越したことはないのだから。
「さぁ月陽ちゃん!早いとこ食べて、お風呂でじっくりと語らいますよ!」
「のぼせない程度にお願いね」
お姉ちゃんのこの笑顔がずっと続きますように。
誰にもそれが奪われませんように。
私はそう願ってやまない。
来週はホワイトデー。
その日が、二人にとっていい日になりますように。
END




