◇俊也◇ 夢と女医
「俊ちゃん!」
少女は畑の畦道をこちらに手を振りながら走ってくる。麦わら帽子、白いワンピース…。太陽が照りつける中、彼女は涼やかな笑顔でこちらにやってくる。なんと、眩しいのだろう…。いや、これはちょっと眩しすぎる…。
「ドゴォォォォン!!」
突如、 少女の背後からマグマが吹き出す!
「あぶない!」
とっさに彼は叫んだ。しかし、気持ちとは裏腹に足がすくんで動けない。そして、あっという間に少女はマグマに飲み込まれてしまった。何もできずその場にしゃがみこんで泣き出す…。マグマはすぐそこまで迫ってきている。それでも彼は泣き続けるばかり…。
いよいよマグマは目の前まで迫ってきた…。そして、ゆっくりとさきほどの少女の姿へと変化していく。
「ドウシテ タスケテ クレナカッタノ ?」
赤い目をした少女の髪が逆だち、恨めしそうな顔でこちらを睨んでいる。
「ヤメロォォォォ!!」
彼はベッドから跳ね起きた。それに合わせてベッドも跳ねる。ついでにベッドの横で一匹の猫もはね上がった。目を丸くするとはまさにこのことを言うのだろう。猫はベッドから距離を置き、こちらを凝視している。
また、驚いたのは俊也も同じだった。もう冬に差しかかろうという季節にも関わらず、体中汗まみれになっていたのだ。それに首元がずきずき痛む。
「フフッ。あなたの寝起きはいつもそうなの?血圧高めなのね。」
ベッド横のカーテンが開き、白衣を着た女性が皮肉混じりに言った。もちろん、髪の毛はないが、それでも魅力的な美しい人だった。年齢は・・・髪の毛がないのでわかりづらいが、20代後半といったところだろう。
「す、すみません…。ちょっといやな夢を見てしまって…。」
彼は申し訳なさそうに答えた。
「まあ、私はいいけど…。ほら、ショコラはどうかな~?」
彼女の目線がさきほどの猫に向けられる。
「あ~、えっと…、かわいい猫ですね。僕、猫大好きなんですよ。」
彼が手を伸ばすと、ショコラはものすごい勢いで部屋を飛び出していった。
(どうやら嫌われたらしいな。まぁ、仕方ないといえば仕方ない。)
「フフッ。そのうち慣れるでしょ。それより、体はもう大丈夫?」
「ちょっと首元がズキズキしますがなんとか…。」
(あっ、そういえば俺、誰かに後ろから…。)
はっとした彼は、思わず目の前の彼女を睨んだ。
「ちょっと、なに?怖い顔しちゃって~。まぁ気持ちはわからないでもないけどね。安心して私はあなたの味方よ。私は一応・・・医者?の結子よ。よろしくね。」
「そ、そうですか…。」
彼は怪しがりながらも、結子への敵意をしまいこみ、後ろ手で体を支えてベッドに座り直した。すると…。
「グーーー」
彼のお腹からその部屋にいる者なら全員聞こえたであろう大きな音が鳴った。
「フフッ。いろいろ聞きたいことがあるだろうけど、まずは食事からね。久しぶりの食事だろうからちゃんと噛んでゆっくり食べるようにね。」
結子はそう言うと、後ろのテーブルからトレーを取り、俊也の前に差し出した。そこにはお椀に注がれたお粥が入っていた。俊也は半ばひったくるようにそれを手に取り、無我夢中で食べた。少し冷めてはいたが、卵の甘みが口に広がり、ネギの香気が鼻を抜ける。久々にまともな食事だった。
(なんて優しい味だろう。)
具材は米と卵とネギだけ。味付けは塩だけだと考えられるが、俊也はこのシンプルな料理にこれまで食べてきたどのような料理にも勝るほどの感動を覚えた。
「おいしい・・・。本当においしい。それにとても優しい・・・。」
彼は素直な気持ちを述べた。
「あら、そんなに? 嬉しいこといってくれるじゃない。それに、食事をろくにとっていない人に対して体に優しい食事を出すのは当たり前でしょ?これでも一応医者なんだから。」
「あっ、そういう意味じゃなくて・・・あっいや、ありがとうございます!生き返りました。」
結子は優しいの意味を取り違えていたが、どちらにせよ優しいことには変わりないので、感謝の言葉を述べた。
「ん?まぁいいわ。それにあなた・・・怪我が治ってないんだからそれ食べたらちゃんと休んでなよ。」
そう言うと彼女は煙草に火をつけ、読書をはじめた。
「あっ、はい。ありがとうございます。本当に助かりました。」
煙草をふかしながら読書をする結子は、どう考えてもは医者に見えなかったが、その構図は不思議と美しかった。
「ところで、ちょっと聞きたいことがあるんですが……。」
「なに~? 」
煙草はくわえたまま、目線も本のままで答える。
「ここは、ラジオで言ってた避難所で間違いないですよね?」
俊也は本来の目的を思いだし、結子に尋ねた。
「ん~。ちょっと前まではね~。」
結子は平然と答えた。
「えっ!?今は違うんですか?」
ちょっと前までは?彼は若干混乱した。あの噴火からまだ…。
「噴火からもう3ヶ月じゃない!」
「まだ3ヶ月ですよ!」
「わかってないわね~。ここは、富士山のお膝元よ。髪喰いの数だって他と比べ物にならないわ。ただの避難所なら、もって3日よ~。あのラジオ放送も……」
「じゃあ、ここは…?」
結子が言い終わる前に、俊也は尋ねた。
「『髪隠し』」
廊下から聞き覚えのある声が聞こえてきた。首元が痛む。