はと7
昼食時間。周りの生徒は食堂や売店へ行くのに大忙しだ。そんな光景を横目に、俺と中川は教室で互いに机を向かい合わせにして座った。
「なあ、糸井ー」
「何だよ」
お互いにむしゃり、と、やきそばパンをかじる。
「お前ホントに来週のカラオケ行かねーの?」
「行かねーよ」
即答した。
「ダチはもちろん、女子もいっぱい来るのに?」
「だから行かねーって」
はあ、と呆れたように笑われる。
「お前、最近ノリ悪くねー? もう女子はこりごりだってか? それとも新しい彼女でもできたか?」
「余計なお世話だ」
机の上に置かれた野菜ジュースを一気に飲み干す。
決してカラオケに行きたい訳ではない。そうじゃなくて――
最近、頻繁に三樹の元へ遊びに行くようになったからだ。
ちょっと顔を見るだけでも違う。俺が家を訪問するだけで、三樹は笑顔を見せてくれる。それだけでも喜びが溢れ出しそうになる。
今更ながら、中川にじっと見られているのに気が付いた。
「……何だよ」
中川が、確信したようにフッと笑った。
「彼女づくりよりも、優先したいことがあるんだー?」
……こんな時まで、俺を見透かさないでくれ。
でも、実際そうなのだ。俺の目に映っているのは、鳩の群れの中心で笑う三樹の姿なんだ。どうして、ここまで三樹に惹きつけられるのだろうか。
「あ、そうだ」
中川が、ふと何か思い出したように言う。
「お前の元カノから、放課後体育館裏に来てだってさ」
俺の目に映っていた彼の光景が、一瞬ぼやけてしまった気がした。
日菜はもう先に来ていた。俺は日菜に声をかけるのを躊躇ってしまい、足音で俺に気が付いてくれはしないかと地面に生える草に靴底を摺り付け、音を立てながら歩く。正直、情けないと思う。
日菜は俺の方に気が付き、こっちへと歩み寄ってきた。
「ねえ」
「……何の用だよ」
俺達を囲む空気はやけに静かで、遠くから下校する生徒の笑い声が響いてくる。
あまりにも気まずい空気に、目の行き場が分からなくなる。背中から汗が噴き出すのが感覚で分かる。
日菜は俺の方を見ずに言った。
「これ、私の家に忘れていったもの。返しておくから」
そう言って、日菜が可愛らしい花柄の袋を手渡してきた。受け取り、中身を見てみると、それは俺がなくしていたと思っていた腕時計だった。アルミで枠を縁取られた時計が、刻々と時を刻んでいる。
「ずっと持ってたんだけど、なかなか返せなくて」
「そ、そうか、ありがとな」
「いや、別に……」
「……用件はそれだけか?」
うん、といった日菜の、どこか不満そうな顔を見てしまい、咄嗟に立ち去りたい衝動に駆られた。
「分かった。ありがとな。それじゃあ」
立ち去ろうと、足を反対方向に向けた時、彼女がぽつりと呟いた。
「……そうやって、また去ってゆくんだ?」
「……え?」
振り向こうとしたけれど、遅かった。
日菜は俺の横を走りながら通り抜け、そのまま去っていってしまった。
……どういうことだ? 心当たりがなく、首を傾げてしまう。そうやって? また?
大体、結局は走りながら先に去っていったのは、彼女の方じゃないか。しかも、別れを告げたのもそう、彼女からだ。
あまりにも無責任な発言に、俺に何でもかんでも責任を押しつけられているかのようで、無償に腹が立った。
「……今日、雨が降りそうだな」
自転車にまたがりつつ、陰気な空を見上げる。昼間から雲行きが怪しいから三樹の所へ行くのを止めようか、とも思ったが、結局は自分が会いたいが為に会いに行くことにした。
粒の大きな雨が、滝のように降り続ける。俺の合羽に雨粒が休みなく打ちつけられ、体中が痛い。
(……やっぱり、今日は止めとくべきだったかな)
それでも、もうすぐ駐輪場まで着く。俺は無心になって勢いよく自転車を漕ぎ続けた。
自転車を降りた後、あまりにも雨がひどい為合羽を着用したまま、折り畳み傘を持って三樹の所まで歩いて行った。途中、引き返そうかとも思ったが、これは通り雨だ、と嘘をつくかのようにひたすら思い込みながら足を動かし続けた。そうでもしないと、道中で力尽きそうになる。
(……やっと着いた)
急いでドアの前へ行き、打ち付けられていた雨を逃れられたことに一安心しながら、ドアをノックする。が、返事がない。
雨音で聞こえなかったのかと声を張り上げてみたが、やはり返事はなかった。
ドアノブに手を掛けてみたが、動かない。ということは、外出中なのだろうか。それともただ寝ているだけなのか……?
暇なので、家の周りをぐるりとすることにした。もう雨にはうんざりだが、一人でじっとしているのは落ち着かない。それにさっきよりも雨の音が静かになったから、ある程度は大丈夫だ。
土で濁った水たまりを、長靴をはいた足で勢いよく踏みつける。跳ねた水は、雨にまぎれて跡形もなく消えてしまった。
「……ん?」
少し向こうの方に、人が見える。
誰だ、と思い、歩くペースを速くする。濡れた土が靴底に纏わり付いてくる。
だんだんと近付いてゆくと、そこにいたのは三樹だと分かった。しかし彼は傘も差さず、地面にしゃがみ込んでいる。それが分かった瞬間、俺は三樹のいる方向へと走った。
そんな恰好で雨に打たれたら、風邪をひいてしまうじゃないか。
「三樹! み……」
名前を呼ぶ自分の声が、次第に力をなくしていった。
俺は立ち尽くし、目の前の光景に呆然とした。
地面に埋め込まれた平らな石の前で、三樹は……泣いているように見えた。
両膝に顔をうずめている様子は、羽根を広げる前の蝶のように美しく、どこか孤独で……。
ぶるり、と、身体が震えた。
「……樹、三樹……」
「三樹っ!!」
俺は咄嗟に駆け出していた。
雨なんてお構いなしに、着ていた合羽を脱いで三樹の濡れた体に被せる。
「糸、井君……?」
「大丈夫か、三樹!」
彼の体は氷のように冷えきっていた。もう思い通りに体を動かせなくなっている。なのに。
彼は力のない顔で、俺に笑いかけてきた。
「……っ家の鍵、渡せ! 直ぐに温めてやるから!」
俺は歩くこともままならない三樹を抱え上げ、家の前まで最高速で走った。氷の少年と化している三樹は、とても軽い。
いつもは好きな三樹の笑顔が、今日はひどく怖く、背中に纏わり付く恐怖のように感じた。
三樹の首元で、銀の小鳥がキラリと光っていた。
次回、28日午前8時投稿です。
読んでくださりありがとうございました。