はと5
三樹は山が大好きなのだろう。この前、三樹とハーブティーを飲んだ日に、
「今度、山の中遊びに行かない?」
と、誘われてしまった。
何となく好奇心が湧く。俺にとっては探検みたいなものだ。それに、普段の三樹の生活に興味がそそられた。
朝の五時、俺は三樹の所まで自転車で移動した。日中よりも空気が澄んでいるのが、身体に当たる風で分かる。どうして朝は空気がこんなにも湿っているのだろうか。
駐輪場に自転車を止め、しばらく歩くと赤い屋根が見えてくる。しかし朝だからか、少しだけ霧が立っているせいで三樹の家が見つけづらかった。
「糸井君ー」
声がする方へ目を向けると、家の門にもたれ掛かる人影が見えた。三樹が、すでに家の外で待っていてくれたようだ。
「三樹」
「糸井君、おはよう。少し霧が立っているから、もう少し家で待ってようか」
三樹の家でゆっくりと寛いでから、俺達は山を歩き始めた。山道というよりは、獣道のような地面を転ばないよう慎重に歩く。
「でね、ここは山菜が採れるんだ」
先頭を歩きながら説明してくれている三樹は、時々俺のことを気遣って後ろを確認してくれている。
俺はふと上を見上げた。
朝日が木々を優しく照らし、深緑の葉の重なりから零れ落ちる光のカーテンを作っている。葉の上には、朝霧によって生まれた水の粒が残され、美しい自然をそのまま映し出していた。
耳を澄ますと、鳥のさえずり、水の音が音楽を奏でていた。
「糸井君?」
我に帰った頃には、三樹が俺の隣でポカンとしていた。
「行かないの?」
「あ、えっと……少し考え事をしていて」
「どんな?」
そんなの、話しても無駄なことだと思うんだけど。それでも三樹が知りたがっているから、自然って美しいと思ったことを正直に話した。話した後で、何だか照れくさくて体がぶわりと熱くなってしまった。
三樹はそんな俺に、柔らかく笑ってくれる。
「そうだね。自然ってすごいよね」
三樹が大木を見上げて息を吐いていた。
しばらく歩いていると、俺の身長よりも小さな滝のような場所を見つけた。
「ちょっと休もうか」
三樹が川の近くの一回り大きな石に座ったので、俺も真似して近くの石に座り込む。石のひんやりとした冷たさが感じられる。
滝口をじっと見つめてみた。
流れ出す水は、水しぶきをあげ辺りを白く覆う。まるで小さな雲をいくつも作っているかのように。流れる水は大きな水紋を作り、次々に海を目指して流れてゆく。
俺はふいに近くの小石を手に取り、水面に投げつけた。一瞬だけ、水の流れが遮られる。
それを見ていた三樹が、ふと話し始めた。
「僕ね、本で見たんだけど」
もう一個小石を手に取った俺は、石の上に座る三樹を見つめる。
「水ってね、この世を循環するんだって」
「へえ……」
「海の水が水蒸気となって、雨や雪となって、再び川に流れて……時には生き物に恵みを与えて、また海へと戻ってゆく」
そりゃあそうだ。けれどもそんなことは俺達にとって当たり前で、こんなにまじまじと考えたことがなかった。
「生き物もそうなのかな。生まれて死んで、見えないものになっても、また生まれ変わることができるのかな……」
三樹は俯いたまま、流れを取り戻した水面をぼんやりと見つめていた。
まだまだ若そうな、深緑の葉がひらりと舞い、水面を着陸し、そのまま滑ってゆく。やがて海へ辿り着くのだろうか。同じく、一度死んだ生き物が、やがて生まれ変わるかなんて、俺には到底分からないことだ。
俺は投げようと思っていた二つ目の小石を、掌の中で握りしめていた。なんだか、この川の流れを邪魔してはいけない気がした。
「どうだった? 朝から山の中歩いたけれど、楽しかった?」
「……ああ。楽しかった」
ただ、少し疲れたけれど。
三樹は俺の返答に嬉しそうにしながら、地面に鳩の餌らしきものを撒いている。餌の周りに羽を広げて集まって来る鳩達の、餌をクチバシでツンツンと突いている様子は何と言っても個性的で、可愛らしかった。
「俺も撒いていい?」
鳩の群れを踏みつけないよう慎重に三樹の方へと近付くと、小さな餌入りの袋を渡された。
三樹と、三樹の周りで過ごす時間は、何だか不思議だ。同じ地球上なのに、時がゆっくり流れているような気がする。まるで異空間に迷い込んだかのようだ。自然をめいいっぱい味わえる、何だか安心する異空間。
窓から差し込む光が、テーブルに置かれたハーブティーを、琥珀色に輝かせる。
カップの中身を見ていると、先程までキッチンにいた三樹が俺の座っている隣へ座り、椅子をこっちに寄せてきた。
「あ、あの」
「何?」
「糸井君の住んでいる所って、どんな所なの?」
そういえば、話したことなかったっけ。
「説明しにくいけど、人がたくさん住んでいて、辺りに家とか店とかたくさんあって。まあとにかく賑やかな所だよ」
「へえー! 面白そう!」
三樹の表情は、好奇心あふれる心をそのまま映し出している。
「あのさ、もし良かったらその、僕も行ってみていいかな」
「そりゃあ、良いに決まっているだろ。良かったら案内してやろうか?」
「いいの!? ありがとう!!」
最初から、その答えを望んでいたようだ。確かに俺も今日山を歩いた時、どの道を進めば良いか分からなかった。三樹にとっても、俺がいた方が心強いだろう。
それに俺は……。
「僕、もっと糸井君のこと知りたいから……」
照れ笑いしながら、その表情を隠そうと慌ててハーブティーを飲んでいる三樹をみて、思わず笑みがこぼれた。
まさか三樹まで、俺と同じ思いを抱えていたとは。
次回、26日午前8時投稿です。
読んでくださりありがとうございました。