はと4
赤い三角屋根の、レンガ造りの家。
美しく輝いている樹木に花畑。
自由気ままな鳩達。
金色の髪、空色の瞳をした三樹と言う名の少年……。
はあ、とため息をつく。
まるでおとぎ話のようだ。
「糸井ー? お前聞いてんのか?」
「……」
「おい」
「うわああっ!」
俺の目の前に中川の顔が現れて、思わず変な声が出てしまった。
「糸井さー、最近大丈夫か? 何か、自分だけの世界に行っちゃってる感じだけど」
「え、えー? そうか?」
「ああ。何か良いことでもあったのか?」
「別に何もないけどー?」
そう言って、はたと気付いた。
俺は三樹と過ごしたあの居心地の良い空間を、誰にも知られたくない。秘密にしたいと密かに思っているのだと。
中川が、グラスに入ったアイスコーヒーをテーブルに置き、俺を横目にフッと笑った。
「ま、言いたくないならそれでいいけど」
中川には俺の気持ちなんてお見通しのようだ。
「でも良かったじゃないか。元カノのことを忘れられる位に没頭していることがあるのなら、さ」
今日も夕日がキレイだ。
空を見上げながら、とぼとぼと舗装された道を歩く。
――でも良かったじゃないか。元カノのことを忘れられる位に没頭していることがあるのなら、さ。
……中川はそう言ってくれたけれど。
実際のところ俺は、未だに日菜のことを思い出す。しかもふとした時に突然。そうだ、こんな夕日の日には特に。
「でさー、あの雑誌に載ってる男が超イケメンでー!」
「へー! その雑誌、明日持ってきてよー」
後ろから、キャピキャピした女子の声が聞こえてくる。その声はだんだんと近付いて来て、ついに俺のことを抜かした。
あ。
こげ茶色の、さらさらとした髪。夕日の色が映った瞳。
俺の……元、彼女。一回も声が聞こえなかったから、まさか日菜がいるとは気が付かなかった。
彼女はこっちを見向きもせずに、つかつかと他の女子と共に歩き去っていった。
呆然と立ち尽くしてしまった。
日菜とすれ違った瞬間に生じた風を、未だ感じている。
日菜はそっけなかった。俺の方を気にした素振りもない。別れた後の再開にそわそわしている様子もない。俺のことに気が付いていたのかすら怪しいところだ。
俺は日菜と別れてから今まで、なんて無駄なことを考えてきたのだろうか。日菜には、過去の恋愛を引きずっている様子は感じられなかった。
なのに俺は、今でも日菜のことを思い出しては、過去の思い出に浸かりそうになっている……。
そんな行動に反省し、改めて日菜のことを忘れようと思ったけれど、やっぱりそれは出来なかった。
もう日菜は、俺を求めていないのに。
口からため息が漏れる。足元の影は次第に濃くなってゆく。
夕日はいつの間にか、絵具をぼかしたような複雑な色を空に残して、山の奥に沈んでしまっていた。
レンガ造りの家の裏庭に、三樹は居た。どうやら植物を摘んでいるようだ。
「三樹」
「あ、糸井君。来てくたんだ」
三樹は俺を見るなり顔の表情を緩めた。
「それ、何だ?」
三樹が持っている可愛らしい植物を指差す。
「これ? これはハーブだよ」
「ハーブ?」
「うん。これがローズマリーで、これがレモンバームで、これが……」
三樹がせっかく丁寧に教えてくれているけれど、自分の頭の中の知識があまりにも乏しく、俺にはさっぱり分からなかった。
俺達は家の中に入り、木で作られた椅子に座りこんだ。
(そういえば、今何時だろう……)
俺はズボンからスマホを取り出し、時刻を確認する。
(一時二十分か)
スマホをしまってから、俺はあることに気が付いた。
この家には、電化製品が全然ない。一家に一台置いてあろうテレビも。まあ、古い家に住んでいる訳だから当然なのかもしれないけれど。
けれども、古い照明があるから、決して電気が通っていない訳ではない。
「糸井君」
後ろから声が聞こえて振り向くと、三樹が紅茶のカップを持っていた。その中には、ピンク色の小さなつぼみが入っている。三樹は机の上にカップを置くと、そこに独特な香りのする液体を流し込んだ。
すると、さっきまでつぼみだった花が開いて、可愛らしい姿を現した。
「これは……?」
「これはね、ハーブティーだよ」
「さっき摘んでたあれか?」
「うん。さっきのとは種類が違うけどね」
三樹は相変わらず優しい表情をしている。
「蜂蜜入れる?」
「あ、うん。少しだけ」
「分かった」
瓶の中の蜂蜜をスプーンですくい上げる一部始終を眺めながら、俺は何だか懐かしいような感覚に陥っていた。
「なあ、三樹」
「何?」
俺はハーブティーを飲みながら、三樹に質問した。
「三樹はさ、テレビとか要らないのか?」
「テレビ? 要らないよ?」
「じ、じゃあ、新聞は?」
「新聞? うーん、とってないよ?」
「そ、そうか……」
驚いてる俺とは正反対に、三樹は平然とハーブティーを啜っている。
まるで箱のような場所だな。
「僕が情報を得るには、本があれば十分なんだ。ここには、本がいっぱい残っているんだよ」
「へ、へえ~」
俺には考えられない。「今」と言う名の情報を全く知らない世界だなんて。今の時代なんて、ネットでぱぱっと調べれば情報が得られるのに。
「ねえ、糸井君」
「何だ?」
「あの、さっき糸井君が持っていた小さな板みたいなの、あれって何?」
「……」
三樹は小さい頃に、親にここへ置いて行かれたと言っていたが……。本当に「今」の情報を知らない、空っぽの箱に入れられたまま成長した子供なのだと知った。
次回、25日午前8時投稿です。
読んでくださりありがとうございました。