はと20
ふわり、と風が身体をくすぐる。
「ん……」
まだ完全に覚めていない目をこすりながら、辺りを見渡す。土がむき出しの地面。所々に生えている雑草。無造作に倒された丸太。ボロボロの木造小屋。
何にもない所だな。
「俺、昨日野宿したんだっけ」
むくり、と起き上がる。地面で寝ていた割には、やけに服がキレイだな、と思っていると、身体の下に大量の葉っぱが敷いてあることに気が付いた。
野宿なんて初めてしたな、なんて思いながら、近くに置いてあるリュックサックを担ぐ。すると遠くに見覚えのある展望台を見つけた。そこに自転車が停めてあるだろうと思い、その方向に向かおうとする。が、足を止めた。
木造小屋の方に足を向けてみる。好奇心、というやつだ。小さな子供が洞窟を見つけて、入ってみたいと思うのと同じ感覚。
小屋はもう、使われていないのだろう。外壁は腐ったように黒ずみ、中に入ると溜まった水の湿った臭いと古い木の臭いが充満している上、虫が湧いていた。
汚いからさっさと終わろうと思いながら、部屋ともいえない部屋を見回していると、一瞬きらりとしたものが目をかすめた。水たまりを避け、床に落ちている物を拾い上げる。
「おはじき?」
拾い上げたのは、赤色の、平べったいガラスのおはじきだった。しかも、先程まで磨いていたんじゃないかと思える位、ピカピカだ。
すごいなと思いながら、拾ったおはじきをズボンのポケットの中に忍ばせておいた。
「あら、悟おかえり。友達と遊ぶの楽しかった?」
母の言葉が一瞬何のことだか分からなかったが、確か出掛けるときに母に嘘をついたんだっけ、と一人で納得した。
「うん、楽しかったよ」
母の前を通り過ぎて二階へと上がろうとしたら、母が感嘆の声をあげた。
「そのネックレス、貰ったの? キレイねえ」
ネックレス? 首元を見てみると、そこに銀色の小鳥のネックレスがぶら下げてあった。こんな物、買った覚えはないな、と思いつつ「ああ、貰ったんだ」と適当な言葉を返した後、急いで二階へと上がった。
サイクリングに行き、野宿した日から五日経った。
夕食を食べてお風呂に入り、シーツが濡れるのもお構いなしに、髪を乾かさずベッドにごろりと寝っ転がる。
お風呂に入る時に外した小鳥のネックレスを片手に持つ。おなかの部分に埋め込まれている青いストーンをじっと見つめてみた。
何となくお守りの様な存在だと思い、あれからずっと手元に持っているようにしている。近くにあるだけで、落ち着くのだ。どこか懐かしい感じさえする。
感慨に浸っていたら、急に満腹感と疲労に襲われ、俺はあっさりと眠りについてしまった。
金色の髪を持つ少年が一羽の白い鳩を抱えて、美しい笑顔でこちらへと近づいてくる。俺に、鳩を抱っこさせようとしているのだろう。だが俺は、少年がこちらへ寄ってくるのを、獲物を観察する動物の様に、一歩も動かずに待った。
はい、と少年が鳩を手渡してくる。その鳩に手を伸ばすフリをして、勢いよく少年ごと抱きしめた。驚いた鳩が俺と少年との間から、羽を大きく広げて逃げてゆく。
「糸井君……――!」
聞いたことのある、優しくて、美しい音色。その音色を塞ぐかのように、少年の唇に自分の口を重ね合わせた。その口づけはやけに長く、だんだんとえげつないものになってゆく。
俺が、純粋な少年を穢してゆく。
口を放した頃には、少年の息は切れ切れで苦しそうだった。
辺りがだんだんと薄暗くなってゆく。少年の拒絶する声が響く。だが俺自身、欲に従う掌を止められる訳がなかった。
「糸井ー」
「……」
「おい、糸井ってばよ!」
バコッ、と鈍い音が頭上で鳴る。頭にボールが当たった所で我に返った。
「ったくよー、しっかりしろよなー」
……そっか。今日は友人に誘われて、市民体育館でバスケしてたんだっけ。なんて、今更アホなことを考えてしまう。あんな夢を見てしまったからだ。
俺が、少年を女の様に愛していた夢。
あんな夢を見た意味を考えてみる。が、そんなものはないし、まず、相手が男だってこと自体、俺には思いつきもしない内容だった。
バスケ仲間は全員帰り、体育館に残っているのは、俺と面識のない僅かな人達だけだった。
俺も帰ろうと腰を上げた時、
「悟」
と後ろから名前を呼ばれた。振り返ると、そこにはTシャツと青いハーフパンツを着た日菜が立っていた。
「どうしてここに?」
「どうしてって、たまたまよ」
授業中みたいに、真面目な口調で答えられる。
「あ、そうだ。今日空いてる? 一緒に来てほしい場所があるの」
バスに揺られ、着いたのは展望台だった。日菜と付き合っていた頃の、思い出の場所。夕日が空を幻想的な紫色に染め上げていた。
俺たち以外、辺りに誰もいないなと思いながら、二人で柵に寄り掛かる。
「私ね」
「何?」
「好きな人ができたの」
そう発した時の日菜の顔は、やけに爽やかだった。
「どんな人?」
少しだけ興味が湧き、質問してみる。
「一歳年上の先輩」
「へえ」
「元カノに好きな人ができてショック?」
「いや、そういう訳じゃ」
「冗談だって」
はは、と日菜が笑う。俺もつられて少し笑った。
「それを伝えたかっただけ」
「え?」
「うん。友達なんだから、報告してもいいでしょ?」
「まあそうだけど」
そんなの、学校が始まってからでも遅くないと思うけどな……という考えは、一度捨てることにする。
それにしても、夕日が沈むのって早い気がする。もう辺りが薄暗くなってきた。
「……なんてね」
無意識に表情を変えていたのだろうか。「そんなに驚いた顔しなくても」と、日菜に笑われてしまった。
「本当はね、悟に一番に伝えたかったからなの。『元恋人』としてじゃなく、『友達』として接していく為にもね」
目の前の手すりに、一羽の山鳩が留まった。
「悟はもう、好きな人がいるんでしょう?」
いないよ、と言おうとしたが、なぜかその言葉が喉の奥に詰まってしまう。夢に出てきた、知りもしない少年を愛おしく感じてしまっている自分がいたからだ。
「私、今だから思う。悟と付き合えて良かったって」
片手を手すりに置いてこちらを見る日菜は、俺と付き合っていた頃の日菜の雰囲気とは違っていた。迷いのない、貫くような眼差しを向けてくる。
「ありがとね、悟。それと……また学校で会おうね」
日菜が背伸びをしながら俺の頬に軽く口づけをした後、コツ、コツと女性らしい足音を立てながら俺の視界から消えていった。
呆然と立ち尽くしている俺。どこか遠くで車のクラクションが聞こえたのを機に、我に返る。
俺のすぐ傍にある、切り株に似た椅子に座り、ため息をついた。
このもやもやは、何なのだろう。夢の中で穢してしまった少年を思い出す。思いだしたからといって、もやもやの原因が分かる訳でもないのに。
俺と日菜との関係みたいに、この違和感をさっぱりと解消できたらいいのに。と思いながら、ペットボトルの底の方に残っていた、ぬるいスポーツドリンクを飲み干した。
バスに揺られながら、さっき日菜にキスされた左頬を、軽く触る。
これは、感謝のキスだ。俺が夢の中で少年にしたキスは、こんなものではなかった。
自分の感情が、分からない。
身に着けていた小鳥のネックレスを外し、山に隠れて頭の部分しか見せていない夕日に照らしてみる。
夕日のオレンジを吸いこんだ青いストーンが、青紫色に輝いて見えた。元のオレンジなど、跡形もなく。
「――前~、――前~……」
俺と運転手だけが乗っている箱の様なバスに、どでかいアナウンスが流れる。
このままバスに揺られ続けて、自分の感情の終着点に着けばいいのに。そうすれば、こんなにもやもやしなくて済む。結果だけを見ればいいのだから。
ゆっくりと、目をつむる。
今、箱の中に閉じ込められているこの状態が、幸せだった。自分で前に進もうとしなくても、自動的に俺を先へ、先へと運んでくれるのだから。
明日投稿予定の21話の文章量が少ない為(どうしても区切りたかったので……)
明日、21話と最終話を11日午前8時に投稿予定です。
読んでくださりありがとうございました。




