はと13
俺が年季の入った壁に囲まれた場所で、横になっている。
左横で、三樹が潤んだ目でこっちを見ている。けれども俺は、だるくて動くことすらできない。
だんだんと、辺りが暗くなる。すう、と意識が遠のく。
三樹の口が、何かを話している。俺も何かを口走っているような気がする。けれども声は、俺の耳に届かない。
悲しい気分がする。なのに俺は笑っている。三樹は俺の手をしっかりと握りしめ、僅かな間、笑顔を見せた。
「最近、寝不足じゃないの?」
朝ごはんのトーストをかじっている時、母にそう言われた。俺は軽く大丈夫と言い残し、玄関へと向かう。
「悟、どこ行くの?」
「ちょっとサイクリングでも」
「そうなの? 行ってらっしゃい」
最近、変な夢ばかり見る。その夢全てに、三樹が出てくるのだ。普段あまり夢を見ないから、何だか慣れない。今日もあまり寝た気がしなかった。
今日は三樹と約束した日曜日。だが俺は一瞬、三樹の元へ行くべきか迷った。けれども、ただ三樹の口から非現実的な内容を突き付けられるのを恐れているのだと気が付くと、自分の背中を無理矢理押すような形で、自転車に跨った。
蒸し暑い空気に打ちのめされながらも、薄水色のTシャツを揺らす風を切りながら進んでゆく。
ペダルを漕ぐにつれ近付く一軒の家。やけに響く心臓の音は、疲れによるものなのか、緊張によるものなのか分からなかった。
ただ、意地でも漕ぐのを止めなかった。
透けてしまっている三樹。彼はきっと人ではないのだろう。それでも三樹は三樹だ。特に怖いとは思わなかった。ただ、受け入れ難いだけだ。今まで「人」として接してきたから。
俺がこれからも三樹と居たいと思うのならば……三樹がこれからすることを受け入れるべきことなのかもしれない。
玄関前で、三樹はもう待っていてくれた。天使を思わせる頬笑みを見せながら。
「来てくれてありがとう」
椅子に座ると、透明なグラスに入ったアイスティーを差し出された。一口飲む。
「そんな真面目そうな顔しなくていいよ。いつもの様にしてて」
そんな顔をしてたのかと思っていると、顔の筋肉が硬直しているのに気が付いた。これから聞くだろう三樹の話はきっと重い内容だろうな、と無意識に感じ取ったのかもしれない。
俺の向かい側に、三樹が静かに座った。
暗黙の了解ってやつだろうか。俺が黙っていると、三樹が話し始めた。
「まず、僕が透けてた理由だけど……。僕自身が人ではないってことは分かる?」
こくり、とぎこちなく頷く。
「僕はもう死んだ人なんだ。けれど僕には未練があった。よく聞かない? 未練がある霊は、成仏されないって」
グラスに入った氷が、涼しげな音をたてる。
「でも僕は、実体を持っているんだ。……仮のね。このことについては後で話すよ」
三樹は薄笑いをし、窓を眺める。その方向からは、何羽もの鳩が群れて飛んでいるのが見えた。
「多分ね、僕が透けているのは、未練がなくなった証拠だと思うんだ」
「……未練ってのは何だ?」
訊いてみると、三樹が再び俺の方をじっと見つめてきた。真剣な顔つきをしている。
「今から話すよ。僕が死んでしまった理由も、何があったのかも、ね」
空色の瞳が、貫くように俺を捉えていた。
戦後間もない頃、僕が十二歳位の時、ボロボロの倉庫の様な場所で隠れるように暮らしていたんだ。畑で食物を育ててたけど、決して豊富とは言えない量しか実らなかった。ものすごく、ひもじかったよ。
そんなある日、一人の女の子が僕の元へ訪ねてきた。年は十歳位に見えた。目が大きくて、髪が短い子。金色の髪を持つ僕に、その子はひどく驚いていたよ。小屋の近くに疎開先があったんだ。女の子は疎開していた一人だったみたい。
少女は最初、僕の元へ来て食べ物を求めるだけだった。全く話さない少女に、僕も黙って食べ物を分けていたよ。ごく僅かな量だけどね……。けどある時突然、少女が一個だけ、おはじきを持ってきてくれるようになったんだ。女の子の名前が陽子だってことも教えてくれた。ものすごく嬉しかった。
次第に陽子ちゃんとも仲良くなって、一緒に遊ぶようになった。地面に絵を描いたり、木の棒でおもちゃを作ったりもした。楽しい日々だったよ。
そして僕は次第に……陽子ちゃんに恋心を抱くようになったんだ。ずっと隠してたけどね。一緒に居られることが、ただ幸せだった。
けれど、二年経って、その日常は突然消えてしまったんだ。
雪が積もった後の、幻想的な夕日を眺めていた時だった。陽子ちゃんがボロボロになってここへ来たんだ。陽子ちゃんは崖から落ちたと言っていたけれども、ひどい暴行を受けたようにしか思えない、傷だらけの体だった。
とりあえず応急処置らしきことはしたけれど、出血がなかなか止まらなかった。
処置が終わって、陽子ちゃんが話してくれたんだ。自分には家族がいないこと、縋る人が僕以外いないことを。後悔したよ。一緒に暮らせば、こんなことにはなってなかったかもしれない。陽子ちゃんの心を、少しでも救えたかもしれないのにって。
僕は医者に診てもらおうとした。けれども陽子ちゃんはここにいることを望んだ。なぜそうしたのかは、陽子ちゃんにしか分からない。けれど陽子ちゃんがあえて僕を選んでくれたことに喜びも感じていたんだ。情けないけどね。
夜、陽子ちゃんが告白してくれた。ものすごく嬉しかったよ。そして最後に言われたんだ。
「また会おうね」
って。
陽子ちゃんは逝ってしまったよ。僕の手を握りながら。たくさん涙が出てきた。大切な人を亡くすことがこんなにも悲しいのだと、初めて気付いた。
息を詰まらせながら、僕は雪をかき分けて土を掘った。陽子ちゃんを土に埋めて、近くにあった少し大きめの平たい石を添えた。
僕は大切な人の傍で、星空に願ったんだ。
陽子ちゃんが無事、生まれ変われますようにって。
気が付いたら僕は凍死してたよ。まあ、陽子ちゃんの墓の傍で倒れるように眠ったからだけどね。しばらくは浮幽霊としてそこら辺をうろついていたけど、僕は決めたんだ。生まれ変わった陽子ちゃんを見届けてから、天に昇ろうって。陽子ちゃんと交わした最後の約束だったから。
そんなことを決心した後、しばらくして僕は不思議な力を使えるようになった。自分が望んだものを、なんでも出すことができるんだ。ただ、想像で出したものだから、仮の存在。つまりは消える可能性のあるものだけど。それでも僕は思ったよ。これは生まれ変わった陽子ちゃんと会うために、神様が与えてくれたプレゼントだって。
僕は肉体を持つことと、憧れだった洋風の家を望んだ。そこに住んで、生まれ変わった陽子ちゃんを明るく迎え入れることが夢だったんだ……。
「そうして、会えることを待っていたら、糸井君が現れた。運命だって思ったよ。今まで誰もここには来なかったのに」
……三樹がそんなにも長く、ずっと一人で愛する人を待っていた。俺には到底できないことだ。
さっきの話で、僅かに潤んでしまった目を、手の甲でこすった。
有り得ない話かもしれない。けれども三樹は嘘を言わない人だ。
そして、三樹が透ける理由は、未練が消えつつあるからだ。確かに、未練がなくなったら物を出す力も必要無くなる。今座っている椅子だって消えてしまうかもしれないのだ。
ただ、引っ掛かることがあった。
三樹が消えてしまうかもしれない……ということ。この前から気になっていたが、それが確実なのかは分からない。
それともう一つ。
三樹の未練というのは、生まれ変わった陽子ちゃんを見届けることだ。
と、言うことは……。
背中に汗が滴り落ちる。
そんなまさか、と思う。けれども証拠は目の前にあるのだ。
「まさか、男の子になっているとは思わなかったけど……僕はやっと会えたんだ。愛する人に」
貫くような、熱い視線を向けられる。俺には逸らすことができなかった。
「愛してるよ」
その言葉は俺に向けられたものなのか、陽子ちゃんに向けられたものなのか、分からなかった。
次回、4日午前8時投稿です。
読んでくださりありがとうございました。




