はと1
僕は貴方を待っている。
ずっとずっと、待っている――
今日も、一匹の鳩を空の大海へと飛ばした。
夕暮れ。昼とも夜とも言い難い不安定な時間帯。
「さようなら」
黒く重たい影を残すようなその一言を、桜色の唇が俺に言い放つ。
彼女……日菜のことを直視することができずにいる俺は、電柱の傍に咲くタンポポの花を、アスファルトに映る自分の影を、意味もなく見つめ続けてしまう。
見つめていた先に別の黒い影が加わる。日菜の形に切り取られた影は、俺の影をすんなりと通り過ぎ、立ち去って行った。
ガヤガヤと人の話す声、レジの音、忙しない足音が店内に響く。
全国でお馴染みのハンバーガーショップで、俺はハンバーガーを五個頼み、それらをコーラと共に体の中へ流し込んでいった。
「もうそこら辺にしとけよ」
呆れた顔で俺の向かい側に座る、高校で同じクラスの中川が、ストローでコーラを吸っている。
「うるせー! 彼女いる奴に言われたくねーよ」
「はいはい。八つ当たりは止めてくださいね。糸井悟君」
「畜生ー!」
フルネームで生意気に呼ばれ、罪のない中川にまでイラついてしまう。
自棄になりながら、ハンバーガーの四個目を頬張った。
だって、忘れたいんだ。
桜色の唇をした日菜。こげ茶色の髪の毛がサラサラと、まるで風と一体化したようになびいていた。声も鈴の音色のようで……俺はいつの間にか彼女に心を奪われていた。
そんな彼女が俺のことを好きだと知った時は、飛び跳ねるほど嬉しかった。
一緒に登下校して、時にはデートして……。明日また日菜に会えるかなとか、とにかく日菜のことをいつでも思い出しては幸せに満ち溢れていた。
そんな毎日が、永遠に続くような感覚だったんだ。
「糸井?」
「あ、ああ……? どうした」
「どうしたって、あのなあ、それはこっちが訊きたいよ」
「へ?」
「ハンバーガー、急に食べる手が止まったから。彼女との思い出でも回想してたのか?」
中川の言葉が案外胸にぐさりと刺さる。いつも勘の鋭い奴だが、こんな時にまで発揮しないでほしい。
中川は、「ははは」と乾いた笑いをしてから窓の景色を眺めた。糸井も同じ方向を見る。
田舎でも唯一都会チックなこの街には、まあまあ人が行き交っている。
――あ。
その中に手を繋いでいるカップルが歩いているのを見かけ、心の奥に溜まっている心の蟠りが暴れ出しそうな気がして、思わず目を逸らした。
目を逸らした先で、中川の視線とぶつかる。
「糸井、失恋したってことは彼女と気が合わなくなっただけだ。決してお前が悪い訳でもじゃない。彼女が悪い訳でもない」
「でもさ……」
「これって、また次の恋ができるチャンスだ。そう考えればいいだろ?」
「……」
桜の花が大好きな日菜。
今はもう桜の花はとっくに散り、葉は深い緑色に染め上げられてゆく季節となった。
俺は日菜を諦めることができるだろうか。
桜の木が秋の終わりに自ら葉を手放して、次の花を咲かせる準備をするように、俺も自分の恋を手放して、次に進むことができるのだろうか。
ハンバーガーを片手に、そんなことをもんもんと考えていた。店の雰囲気に似つかわしくない、そんな重苦しい心を抱えていた。
自分の体に、心地よい風が流れ込んでいるような感覚。このまま、染み込んでしまいそうな、そんな透明感のある風が、景色を包んでいる。
「何してるんだろ、俺……」
中川とハンバーガーを食べに行ってから一週間後、俺は山の展望台に来ていた。ここから景色が一望できる。観光客らしき人がカメラを手に写真を撮っていた。近代化の影響か、ビルも増えたし、ついこの前建てられたコンクリートの橋も架かっているのが見える。
――以前、日菜と来たことのある場所。
その時は夕日がものすごくキレイで、まるで俺達を歓迎しているかのようだった。純粋過ぎるほどキレイな日菜の瞳は、夕日の茜色を素直に映し出していた。彼女はとても美しくて……。
――いい加減、忘れなよ。
心がそう言っている。けれど、それに従えない心もある。
柵にもたれかかり、ペンキで塗りつぶされたかのような雲ひとつない空を見上げた。今日は快晴、とでも言って喜ぶべきなのだろう。が、俺は素直に喜べなかった。
塵のない空は彼女の心を映し出しているかのように感じて。
自分は常に彼女の心に包まれているような感覚がした。
忘れたい。
けど、忘れられない。
この逃げ道のない感情は、どうすればよいのだろう――
『ぽっぽー』
「ん?」
今、隣で気の抜けるような鳴き声がしたのだが。俺の複雑な心をよりしんなりさせるような。
足元を見てみると、鳩が一匹俺の周りをてくてくと回っていた。時々こっちをじっと見てくる。
なんだ、鳩か……。
思わずため息が出て、その場を去ろうとした時、鞄の中にさっき買っておいたメロンパンがあることを思い出した。
鞄を探ると、少しつぶれたメロンパンが入っていた。袋を開け、メロンパンのかけらを手に乗せ上体を少し屈ませて鳩の前にその手を近づけてみた。
すると、鳩がくちばしを近づけ、メロンパンをパクパクと食べ始めた。手のひらにくちばしが当たって少し痛いような、くすぐったいような感覚がする。
頭を上げる度に銀色の喉がきらりと光る土鳩もいれば、茶色い羽を持つ山鳩もいた。どの種類であっても、餌を夢中で食べる姿はなんだか微笑ましく思えた。
そんな光景を眺めていたら。
「うわあっ!!」
どこからともなく大量の鳩が俺のメロンパンを目的にぞろぞろと近寄ってきた。全員、首が上下にゆらゆらと揺れていて、全体として見るとなんだか変な感じだ。
知らない間に観光客はどこかへ行ったようで、展望台には俺と鳩しかいなかった。
「ちょ、痛いって」
本当に、気ままだ。俺の皮膚が赤くなっているのをお構いなしに、体中をつついてくる。
俺も、こんな風に気ままになったら、人生楽なんだろうなーなんて、まだ未成年なのに変なことを考えてしまった。
あれから一週間経った。
「鳩ちゃん! 餌ですよー」
鳩は相変わらず無表情で俺に近寄ってくる。
何をやってるんだ、俺は……。
自分自身の行為に思わず項垂れてしまう。
俺はあれから毎日ふらりと展望台にやって来ては、鳩にパンをあげていた。
パンをあげた後は、近くにあるベンチに座り、一休みした。片手に紅茶の入ったペットボトルを持ち、中身を一気飲みした。
俺は鳩の群れを眺め、呆れたようにはは、と笑う。
自分の中には、彼女のことを忘れたいと思う気持ちと、残しておきたいという気持ちが入り混じっているのだと思う。もういい加減、忘れたらいいのに。
あれから毎日、わざわざ山に登ってまで展望台に登って餌をやるのは、ただ単に鳩に会いたいからではないことは自分自身で分かっていた。鳩という名目を使ってここに来て、景色を見ることで彼女をしみじみと思い出しているだけなのだ。
ただ、思い出すという行為に正面から向き合うのは怖いから、景色を眺める為だと言い訳をして此処へ来るのだ。
我に返った頃には、鳩の群れは俺から離れて行った。
「ん?」
よく見たら、群れのうちの一匹が口に何かをくわえていた。
「なんだあれ? ――っ!」
目を凝らして見てみると、それは俺のスマートフォンだった。いつの間に鞄の中を探られたのだろうか。キーホルダーの部分を口にくわえているから、スマホはぐらぐらと宙に浮いている。
そうこうしているうちに、鳩は明後日の方向に飛んでいってしまった。
「ちょっ! こら、待てよ!」
あれには個人情報とかも入っている。無くしたら大変だ。
俺は無意識に走り出していた。俺のことを囲んでいた鳩は、驚いて一目散に離れていく。
「こら、だから待てよー!」
俺の目はスマートフォンを盗んだ鳩を追いかけていた。もしかしたら途中で落とされて壊れてしまうんじゃないかという不安も抱えながら。
読んでくださりありがとうございました。
久し振りの連載小説となります。拙い文ですので、温かい目で見てくださると幸いです。
また、誤字、脱字があれば感想欄で教えてくださると助かります。
次回、22日午前8時投稿です。