振袖の泥
「やれやれ、これは帰れそうにないな...」
時間も迫りつつあった、
しかし、周りは敵だらけ、
こんな状況で単身脱出出来たら勲章ものである、
火線が交わる中を必死に地面のくぼみを利用して匍匐前進する、
榴弾があっちこっちにばら撒かれる中を後退し続けた、
一人のイワンが突撃してきた、
いつもと同じだ、照準をつけて引き金を引いてやる、
「...弾切れか、」
新しい弾倉はもうない、
年貢の納め時が着実に来ているようだ、
「ウラー!!!」
銃剣が私に向けられている、
それを私は体をそらしてよけた、
銃剣は永久凍土に突き刺さる、これは引っこ抜くのに大変な労力が居るなと横目で受け流す、
今はそれどころではなかった、
「よくも私の兄さんを...」
「すまんな、八洲語しか分からないんだよ、怨むならこの戦争を起こしたお前の祖国の上層部を怨め」
そう言って、私は彼の拳銃を構えた腕を押さえ込み刀に手をかけた、
「一瞬で楽にしてやる、安心しろ」
ガリッという音とともに私の顔に不気味な液体がかかる、
赤い液体だ、彼はもうすでに絶命していた、
「家族も居ただろうに、俺も妹が居るんだ...」
すっかり体力を使い果たした私は思考の海に沈む、
遠い母国で今も妹は何をやっているんだろうと、
「...私はまだ、泣けたのか」
ふつふつとある気持ちがわいてくる、
どうしても帰りたい、どうしても生き残りたいと言う欲が湧いてきた、
「帰ろう、八洲に...」
こんな絶望的な状況の中である、一つの希望は持ってもいいと思った、
それが、たとえ叶わない希望だとしても、
さっきは死を望んだのに、
今は生を望んでいる、
なにやら聞きなれた音がした、
「師団長!お迎えに上がりました!」
急造の突撃砲戦車か、
箱型の戦闘室の後ろにハッチがついていた、
これなら撃破されても残骸を盾に脱出が出来ると言うことだ、
「お前ら、仮にも私が所属していたところの設計思想だぞ、帰ったら覚えとけよ」
「覚悟してお待ちしてます」
差し出された手を私は固く握る、
そのまま私は車内に引っ張り込まれた、
「...思った以上に狭いな」
「それは言わないでください」
空になった弾薬箱の上に座らされた、
そして車内は忙しなかった、
「榴弾込めろ!!」
砲が後座する、
「敵の歩兵を近づけさせるな!!!後退!!」
戦車兵の声がでかいのは慣れていたが、
この狭い状況での大声は響く、
あと男の戦車兵の声を聞くのは初めてだからかもしれない、
エンジンの騒音や装甲に弾があたる度に釣鐘のようになる、
こりゃあ堪ったもんじゃない、
「後退後退!!対戦車砲だ!!車体を十時方向に傾けろ!!!」
エンジンの騒音がひどくなる、
車内は相変わらず私たちの事情を無視して揺れる、
今までで一番酷い釣鐘を聞いた、
まるで体が何かに持っていかれる衝撃と音、
意識を半分失いかけた、操縦手は意識を手放していたし、
車長は砲に体をぶつけて頭打って床に転がっている、
かろうじて私と装填手が意識を手放さずに無くてすんだ、
あわてて車体の上にあるキューポラを覗き込む、
間違いなくこちらを狙ってる、次の一発で殺られる、
全身から何かが抜けようとする感覚と戦いながら装填手に声をかける
「榴弾!!」
「はい!!!」
よくこの一言でわかったなと感心する暇も無い、
操縦手を床に運ぶ、車長とともに寝てくれ、
「この、いい子だからかかってくれ、」
頼りないバッテリー、
とまったエンジン、
運転席のペリスコープから外を見る、
おそらく戦車の中でもっとも嫌なのは操縦手かもしれない、
相手が撃った瞬間が見えるからだ、
「ガッ!!?グゥ!?」
「ウワッ!?」
今ので意識のほとんどを持っていかれた、
景色は二重に見え、ぼやける
「大丈夫か!!」
「大丈夫であります!!!」
大声を出したので少しマシになったが、
今のが頭に響いて頭痛一歩手前だった、
「かかれかかれ!!かかってくれ!!」
ペリスコープを覗く、
相手の砲口が黒点になる、
確実に次の一発で殺る気だ、
「南無三...」
閃光がペリスコープから確認できたが、
衝撃は来なかった、
なぜなら相手の対戦車砲が吹き飛んだからだ、
『二号車大丈夫か、ホウキは折れた、海水浴に行くぞ』
『五号車ありがとう、海水浴に行こう』
『KVだ!?』
『何!?』
バリバリと何もかもを踏み越えて火にあぶり照らされる巨体、
間違いない、ソヴェートの主力戦車のKVだ、
砲身の太さからKV-9と予測、
『ありったけの撤甲弾を叩き込め!!』
『六号車より一号車へ、我、榴弾のみ』
『軽戦車相手に使いすぎたな』
『ワッ!?こっち向くな!!』
無線が混乱してきた、
こういう状況は何度も潜り抜けてきたから対処は出来た、
「機動戦術を賭ける、各車掩護求む!!」
『了解!!』
ちょうどエンジンもかかった、
まるでこの瞬間を待っていたかのようなタイミングのよさである、
「いいぞ、地獄の底まで走ってやる」
ギアを入れて、
目いっぱいエンジンをふかした、
戦闘室の重さからか少々遅いが、
それでも十分な速度は出た、
『一号車より各車へ、畑からモグラを叩き出せ』
『五号車より各車へ、周囲にホウキ無し』
『六号車より各車へ、皇軍の意地を見せてやろう』
掩護射撃の準備は整った、
各車が思い思いに榴弾の雨を降らせる、
特に勇敢だったのが三号車の車長だ、
キューポラから身を乗り出して対空用にすえつけてある機銃で辺りを掃射する、
いつ狙撃されてもおかしくはなかったのだ、
「撤甲弾!!」
「しかし、榴弾が!!」
「今からやる!!」
容赦なく引き金を引いた、
正面装甲に命中、火薬の花火がきれいに咲いた、
わざわざ弾を交換するよりこっちの方が早い、
「装填完了!!」
「一気に行くぞ!!つかまってろ!!」
ガッとギアを入れる、
トップスピードで突っ込む、
下り坂で少し助かった、
イワンが身を挺して止めようとするがかまわない、
次々とミンチを作った、
エンジンは一段と酷い騒音をあげる、
今にもオーバーヒートしそうな勢いだ、
相手もあせっていた、
あわてて発射した砲弾は至近弾、
それでも122ミリの榴弾砲弾はなめてはいけないと言わんばかりの衝撃を残した、
「コノッ!!」
側面を通り過ぎるぎりぎりで車体に急制動をかけた、
あっという間に車体が九十度横滑りする、
永久凍土でよかったと思った、
「じゃあな!!」
躊躇することなく引き金を引く、
火薬が膨張し、砲が後座する、
側面に火花が散った、
『やったか!?』
『一号車へ、畑のモグラが多すぎる!!』
『五月蝿い黙ってろ!!命令通りにジャガイモ叩き込んでろ!!』
ちょっとした混乱が続いていたがだんだん終息に向かいつつあった、
KVはついに黙り込んだのだ、
『ちょっと待て、何だあれ!?』
『奥の方からKVの大群が来るぞ!?』
『あいつらが我々を砲撃していたのか!!』
もう気力も無い、
ギアを入れなおした、
『海水浴に行くぞ!!』
各車が後退を始めたそのときだった、
『こちら三号車、白い零観だ』
各車に緊張が走った、
時間が迫りつつあった、
「飴玉配りが始まるな、無線無線...」
『こちら二号車、飴玉配りが始まるぞ、各車海水浴の用意を』
『急げ!!』
ものすごい勢いで各車が後退した、
空の上を何かが照らしていた、
「閃光弾、いよいよか、間に合ってくれ!!」
もう敵にかまってる暇は無い、
味方の飴玉の餌食になるなんてごめんだ、
信号弾が撃ちあがった、
「黄色、これで二発目!!」
水平線の向こうで爆炎が見えた、轟音と衝撃も遅れてきた
空を甲高い音が切り裂いた、
「来るぞ来るぞ!!」
車体の揺れが変化する、
なだらかな揺れに変わった、
「砂浜だ」
ちょっと段差があるところに歩兵たちが体を寄せ合っていた、
我々機甲部隊もぎりぎり間に合ったようだ、
後方に見たことも無い大きさの火柱が立った、
「扶桑の41cmか、ぎりぎり助かった...」
およそ地球半周してきた艦隊だ、
大八洲皇国の第二の戦力、戦略扶桑軍だ、
私が所属していたのもここだ、
世界初の陸海空の戦力統合軍団である、
上層部からは金食い虫とよばれていたりするが、
それでもいい、
「輸送艦が来るぞ!!」
海軍が生産していた上陸用輸送艦、通称二等輸送艦を頭を下げて生産したやつだ、
砂浜に豪快に乗り上げると艦首の門が下ろされた、
装甲車両が次々と乗り込んでいく、
歩兵たちも別の輸送艦の中に消えていった、
「これで終わったんだ...」
私も操縦手に車両を任せて降車した、
海が私の足をぬらした、
染み込む様な冷たさである、
「生きててよかった...」
「師団長、お疲れ様でした」
参謀が私の肩を叩いてきた、
ふっと笑ってやる、
「お互い様さ、私はこの後すぐに原隊復帰だな」
「忙しいですね」
「当たり前だろ、陸の戦力がまだこの大陸の反対側に居るんだぞ、とんぼ返りだよ」
「なにはともあれ、こんな寒いところとはお別れですな、」
「この世界大戦、勝って終わらんとスオミの脱出者からぶーたら言われるな、」
「私は大八洲皇国陸軍で頑張りますよ、師団長は扶桑軍で頑張ってください」
「言われんでもわかっとる、満州の戦線にはスオミの兵も投入されるんだろ、ちゃんと仲良くやれよ」
「向こうはここを取り返すために戦線を押し上げてくれそうですけどね」
「ハハハ、じゃ、わたしはこの大発が迎えだ、また会おうな」
「お元気で!!」
威勢のいい参謀だった、
あんな若いいい人材が欲しいねと思った、
大発の正面が下ろされてそこから乗り込んだ、
操縦していた兵に挨拶する、
みんな年頃の女子ばかりだ、
私は軽い敬礼をしつつ言った
「ただいま」
「長官がお呼びですよ」
「ゲッ...」
嫌な予感しかしない、
あんな女狐長官なんてもう嫌だ!!
揺れる大発の上で黄昏はじめた粟谷少佐、
空の上はオーロラが振袖のように、
泥だらけの彼らを包み込んでいた、
雑役少佐の激務は続くのだった。
-完-