君のために、とびきり広い檻を用意しよう
「麻野さんって、偉いよね」
「え?」
早朝、まだクラスメイトが一人も登校していない教室で家から摘んできた花を花瓶に活けて水を入れに水道のある廊下に出たところで、彼に声をかけられた。
彼は佐崎結。顔はいいけどコミュニケーションが苦手でクラスでは浮いた存在だ。特に女子に話しかけられてる時なんて、テンパり具合が見てて可哀想になるほど。そんな佐崎君に、まるで友人にでも話しかけるようにごく自然に声をかけられた。
「毎日花瓶の花に水やってるし、その花も麻野さんが家から持ってきたものでしょ?」
「そう……だけど。何で、知ってるの?」
私が花を持ってくるようになったのは半年も前のことだ。それも、自分が育てた花を教室でも見たいと言う自己満足のためのものだし。何よりわざわざ家から花を持ってくるいい子ちゃんぶってると思われたくないので、誰にもわからないよう早朝にこっそり持ってきていたのだ。今日佐崎君に声をかけられるまでは誰とも出くわすことはなかった。なのに、なぜ知ってるのだろう?
「実はね、俺。毎日図書室に朝早く行くのが習慣なんだ。朝早いと本、ゆっくり読めるから。それでこの間偶然麻野さんを見つけてさ、嬉しそうに花を持って行くのが見えて……それからは目で追うようになっちゃって」
……何と言うことだ! いくら佐崎君がコミュニケーションが苦手でどちらかと言えば存在感の薄い存在だとしても、ニヤニヤしながら花を教室に持って行くのを見られていたなんて! 恥ずかしい……もしかして自作の鼻歌を歌いながら花を持って登校する姿も見られていたんだろうか。うひゃあ、恥ずかしすぎる!
顔には出さないけど、内心羞恥で転げまわりたい私をよそに、佐崎君が続ける。
「嬉しそうに花を活ける姿見て、声かけてみようと思ったんだ。でも中々勇気だせなくてさ……今日も、麻野さんが来てから話しかけるのにかなり勇気要ったんだよ?」
恥ずかしそうに、頬をかく佐崎君を見て思わずキュンとしてしまった。意外だった。普段、女子は言わずもがな、男子に話しかけられる時でさえ噛みまくるしあわあわしててこんなにすらすら話すのを見たことがなかったから。
何だ、佐崎君って、普通に話せるんだ。
「あ、ごめん。いきなり話しかけられて迷惑……だったよね」
私が返事をしなかったせいか、佐崎君はションボリと項垂れた。家の犬を連想してしまった。家の犬も、遊んで遊んでとボールを持ってきて私が相手をしないとショボーンと落ち込むのだ。一瞬、佐崎君に垂れたしっぽが見えた気がした。本人に言ったら流石に失礼すぎるから言わないけどね。
「そんなことないよ。ただ、花を持ってくる姿を見られてたってのが……その……ちょっと恥ずかしいなと思って」
ちょっと、をあくまで協調して言った。そう、私は動揺してなどいない。内心羞恥心で転げまわりたいとか思ってないし。鼻歌歌ってるところ見られてたらどうしようとか考えてないし。私は、あくまで平然を装って言った。
「ああ、だから朝早く来てたんだ。ごめん」
「別に、謝らなくてもいいけど……その代わり、私が花持ってきてること、誰にも言わないでくれる?」
お願い! と手を合わせてぺこぺこ頭を下げる。クラスのボスグループの女子に話されたら、「いい子ちゃんぶってるー」と言われること間違いナシ! ああ恐ろしい。
「……いいよ。じゃぁさ、お願い聞いてあげる代わりに俺のお願いも聞いて?」
こてん、と首をかしげる佐崎君は実に可愛らしかった。イケメンなのに可愛いって、卑怯だと思う。普通、その仕草が似合うのは可愛い女の子ぐらいのものなのに。イケメンで似合うって、それも可愛いと思っちゃうなんて、何かズルい。
「いいよ。何?」
私の返事に、佐崎君がぱっと嬉しそうに笑った。だから一々可愛すぎるって……。くそう、女の私でもこんな可愛い仕草できないぞ。どこで学んだんだ佐崎君よ。
「お願いって、これ?」
「うん」
嬉しそうに笑う佐崎君が手に持っているのは、一冊の本。私の好きな作家さんの小説で、今では中々手に入らないと言われている小説だ。以前、私が教室で読んでいるのを見かけて以来ずっと貸してほしいと言いたかったらしい。何だか拍子抜け。佐崎君がこんなに話すのも、嬉しそうに本を持っているのも、初めて見る姿だから。
「ああ、あともう一個お願い。俺がこんなに話すこと、秘密にしてほしい」
「え、何で?」
「だって、恥ずかしいし……。本一冊でこんなに盛り上がってると思われたら」
「何で。本一冊で盛り上がれるのが本好きってもんでしょー! それを恥ずかしいと思ったらダメだよ。ダメダメ!」
私の言葉に、ポカーンとする佐崎君を見て、やっちまったと思った。何、偉そうに説教してるんだ私! つい本好きの血が騒いで……。佐崎君に失礼だったよね。慌てて謝ろうと頭を下げかけたところで、佐崎君が口を開いた。
「そうだね、ごめん。恥ずかしがってたらダメだよね。ありがとう」
「え? いや、こちらこそ説教ぶってごめん」
「いいよ。じゃ、お互い様ってことで」
そう言って微笑む佐崎君が私には仏のように見えた。優しい、佐崎君、滅茶苦茶優しい。今まで空気薄いとか思っててごめんね。
「もうすぐ、ほかの人も登校してくるだろうから。俺、図書室行くよ」
「あ、うん」
残念、もう少し佐崎君と話していたかったな……なんて思ってから、誰もいないのを確認してから羞恥で悶えた。
ちょっと話して、佐崎君が優しいからってすぐに好きになるのはないわ。私、軽い女だと思われてしまう。こう言うのはじっくり時間をかけて……。
***
やっぱり、引き際が大事だよね。もう少し話したかったな、相手にそう思わせたら勝ちだと思う。本当はもっとたくさん話していたかったけど、引き際を覚えないとね。しつこい男だと思われたら台無しだから。
そう言えば。知らないんだろうな、俺が麻野さんを見るようになったのは本当はもっと前、丁度麻野さんが花を持ってき始めた頃だってこと。最初は何だ、いい子ぶってるのかって思っただけだった。でも嬉しそうに……ニコニコと言うよりはニヤニヤした様子で花を持ってくるちょっと変わってる麻野さんを見て、段々好きになったんだ。
俺は、昔からよくモテた。それも全て顔に群がってくるだけで、何も俺の内面を見てくれたわけじゃない。麻野さんが覚えてないだろうけど、三ヶ月前に図書室から帰るところでぶつかったことがあるんだ。その時、俺が持ってた本を麻野さんが拾ってくれて、「私もこの作家さん好きなんだ」って笑ってくれた時は嬉しかったな。あの日以降、麻野さんの好きな作家を調べて本を集めだしたんだ。
今日はうまくいった。麻野さんと初めて会話らしい会話ができたし、何より麻野さんの持っている本を貸してもらえた。
お願い、と秘密が増えて行って、段々俺と麻野さんは親密な仲になるだろう。じっくり、じわじわ攻めていけばいい。
焦ることはない。麻野さんと会話ができたから、今日から少しずクラスメイト達と話すようになればいい。今までは麻野さんと話すためだけに群がる女が邪魔で話下手なフリをしていたけど、クラスメイトと話すようになって、ゆっくりと外堀を埋めていけばいい。
そうだ、広い檻を作ろう。鈍感な君のために、自分が檻に囚われているなんて思えないほど広い檻を。君が自由に飛び回れるほどの大きな大きな檻。
まずは麻野さんの友人から仲良くなって、麻野さんが逃げたいと思わないようにすればいいだけの話だ。俺の存在を、麻野さんにとって心地のいいものにすればいい。そうすれば、麻野さんは檻に囚われてることに気づきもしないし、逃げようともしないだろう。
ああ、楽しみだな。全ては時間の問題だよ? 麻野さん。
新田葉月様の【君に捧ぐ愛の檻企画】参加作品、二作目です。
素敵な企画をありがとうございました!