好きだと云えば
ろくに眠れなかった。
でも走って学校に行って、部活に参加する。吐きそうなほどの緊張は、収まってきた。
ランニング中に会ってすぐに告白しようとか、放課後にしようかって考える。告白の台詞とか、昨日考えたのに忘れちまった。
うおおっ俺のバカっ!
サッカーボール以外にテニスとか野球とかのボールが跳ねていく音と、生徒達のかけ声が響くグラウンドにサイレンの音が割って入った。すごく近くからする。
「事故か?」
「近所じゃね?」
部活仲間がそう話すのを聞きながらも、俺はドリブルをしてシュートした。
鳴り響くサイレン音なんて、気にも留めなかった。
部活が終わって、部活仲間と教室に行く。中に入ってすぐに隣の席にいるはずの彼女を探した。
ホームルームが始まる直前まで小説を読むのが彼女の日課。今週はファンタジーを読んでるって言ってた。
だけど静かに読書している彼女の姿が、そこにはない。
トイレでも行ってるのかと思ったけど、机の上に何もない。筆記用具もオレンジのカバーがついた小説もない。まるでまだ、学校に来ていないみたいだった。
教室が静まり返っていることに気付く。
どんよりしてる。
ホームルームが始まるのに、席につかない生徒ばかりいた。誰も笑っていなくて、女子生徒のほとんどが泣いている。
「……どうしたんだよ? みんな」
俺が声をかけると、一番前の席に座っていた眼鏡の女子生徒が、ポロポロと涙を流して泣き出した。
すすり泣く声が、教室に響く。
笑い声なんてなくて、皆俯いてて、その教室に彼女はいなくて、何があったのか予想も出来なくて、朝練終わりの俺達は立ち尽くす。
篠原せなが、事故に遭った。
担任の教師から聞いて、初めて知る。朝練に響いたサイレン音は、学校のすぐそばの信号で起きた事故で出た怪我人を運ぶために来た救急車の音だった。
信号待ちをしていた女子生徒に、飲酒運転の車が衝突。────即死だった。
その女子生徒が────クラスメートで────隣の席の子で────俺の好きな人。
彼女が死んだ。
何かの悪い夢だろうか。それとも何かの悪い冗談だろうか。信じられるわけもなく、受け入れるわけもなく、俺は立ち尽くした。
隣の席に────彼女はいない。
彼女はいない。
だけど、世界は回っていく。朝になって夜になって、次の日が来る。けど、彼女はいない。
あんなに楽しかった教室は、暗くなって静まり返った。
耳をすます。
笑い声は聴こえてこない、恋愛相談の話し声は聴こえてこない、叱る口調の声は聴こえてこない、違う響きで俺を呼ぶ声は聴こえてこない。
もう、聴こえてこない。
横を見る。空白の席。
静かに読書をしてる姿はない、ノートにシャーペンを走らせる姿はない、友達と笑いあう姿はない、仕方ないと眉毛を下げて笑ってノートを貸してくれる姿はない、叱って怒ってくれる姿はない、皆に囲まれている姿はない。
彼女がいない日々が、毎日毎日続いた。
朝練はあの日以来、出てない。
朝練の最中に彼女が事故に遭ったと思うと、目の前が真っ暗になってしまうから。
放課後の練習も、出来なくなった。
ドリブルをしてシュートしたあの時に聴こえたサイレン音に、気付かなかったことを感じなかったことを知らずにいたことを、思い出してしまうから。
サッカーボールにさえ、触れたくなくなった。
ある日、笑い声が響いた。
彼女がいなくなった教室で、女子の笑い声が響く。
明るく笑って映画の話をしている女子グループが黒板の前にいた。
次の日、笑い声が響いた。
彼女がいなくなった教室で、男子の笑い声が響く。
窓際でゲラゲラとテレビの話をしている男子グループがいた。
次第に教室で笑う生徒が増えた。
教室が明るくなる。以前みたいに、明るくて楽しい教室に戻った。
でも、そこに彼女はいない。
彼女だけがいない。
楽しくてしょうがなかった日々が、彼女抜きで戻ってきた。
まるで彼女だけが、最初からいなかったみたいに────教室が戻っていく。
彼女の存在が、掻き消されていく。
確かにここにいたのに、消されてしまう。
いなかったことにされる。
「なんで笑えるんだよ!?」
耐えられなかった。
立ち上がって怒鳴る。
談笑を中断して皆が俺を見た。何を言っているか、皆わかってて顔を曇らせる。教室は静まり返った。
「……泣いていたら、叱れるよ……」
眼鏡の女子生徒が言う。
「私達は生きているんだから、いつまでも俯いていられないんだよ」
俺を真っ直ぐに涙を浮かべた目で、見て言うんだ。
彼女に叱られるって。
死んだ彼女が叱るって。
「神様に願っても、生き返らないんだよ。現実を受け入れて、私達はせなちゃんの分も笑って生きなきゃだめなんだよ、景くん」
神様に願っても────生き返らない。
彼女の分も────笑って生きる。
現実を受け入れて────笑えるわけがない。
俺を呼ぶ声が、やっぱり違う。
彼女だけは響きが違う。
どんなだっけ。
どんな風に、彼女は俺を呼んだっけ?
確かめることなんて、出来ない。
もう二度と、もう二度と聴けないんだ。
「っ……!」
涙で目の前が見えなくなった。
彼女が死んで、初めて泣いた。
声を圧し殺して泣いた。
ああ。ああ。ああ。
なんで俺は想いを告げられなかったんだろう。
また明日って、なんで先送りにしてしまったのだろう。
もう伝えられないのに。
もう会えないのに。
君との明日なんて、ないのに。
────君が好きって気持ちが膨れたまま胸の中にあるのに、君を失くしたあの日から空いた穴は塞がらなくて俺を押し潰す。
好きって云えば、よかった。
橙色に照らされた君は、もういない────。
篠原せなは、自分が死んだという事実を受け入れ、十六年を生きました。
佐藤景は、受け入れるまでに時間がかかり、そのあとも彼女がいなくなってしまった世界で、二年間を苦しみを味わうんです。
彼女が死んだあとも、気持ちはなくなるどころか溢れ出してきたのに、伝えるべき相手はもういない。
想像して、ちょっと苦しくなった回でした。…しんみり。