断頭台に消えた公爵令嬢、時を遡り「美」に全振りしたら、かつて蔑んできた男たちがひれ伏し求婚してきた
「罪人、ベル・アルティドール! その大罪、断頭台の露と消えるをもって償うべし!」
朗々と響き渡る断罪の声。
私の名前は、ベル。
アルティドール公爵家に生まれ、次期王妃となるはずだった女。
……しかし、今は手枷をはめられている。
冷たい石畳の上で手足を鎖に繋がれ、引きずられるようにして断頭台へと向かう。
周囲から投げつけられるのは、泥や石、そして憎悪に満ちた罵声。
「国賊め!」
「王太子殿下を誑かした悪女!」
「魔女め、地獄に落ちろ!」
王太子暗殺未遂。
それが、私に与えられた罪状だった。
もちろん、身に覚えなどあろうはずもない。
王太子妃の座を争っていた政敵――リンドベルン侯爵家の巧妙な罠。
あまりにも稚拙で、しかし完璧に仕組まれた陰謀だった。
私が最後に見たかったのは、婚約者であった王太子アルフレッド殿下の顔。
彼ならば、きっと私の無実を信じてくれるはず。
そんな淡い期待は、壇上から見下ろす彼の氷のような瞳によって、無慈悲に打ち砕かれた。
「ベル。お前には心底失望した。私の隣に立つ資格など、お前にはなかったのだ」
その言葉を突きつけられた瞬間、目の前が真っ暗になった。
幼い頃から共に学び、未来を誓い合ったはずの殿下。
なぜこんなにも冷酷な視線を私に向けるのか。
彼の隣では、リンドベルン侯爵令嬢が勝ち誇ったように微笑んでいる。
――ああ、そうか。
すべては、最初から仕組まれていたこと。
私は――公爵令嬢としての矜持も、魔法の才も、国政に関する知識も。
何一つ彼を守る盾にはならなかった。
権力闘争の駒として、ただ無様に敗れ去ったのだ。
ギロチンの刃が、鈍い光を放つ。
民衆の歓声が、地鳴りのように響く。
(ああ……神様、もし……もしも、次があるというのなら)
薄れゆく意識の中で、私はただ一つだけを願った。
(もう、権力も、家柄も、才覚もいらない。ただ――誰にも利用されず、誰にも脅かされない、絶対的な存在に。そう、たとえば、誰もがひれ伏すほどの『美しさ』だけに愛された存在として、生きてみたい)
それが、私の最後の祈り。
――ガシャン、と。
世界が暗転する音が、やけに遠くで聞こえた気がした。
次に目を開けたとき、私の目に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天蓋だった。
柔らかいシルクのシーツ、陽の光を浴びて輝く豪奢な調度品。
「……え?」
断頭台の冷たい感触も、民衆の罵声も、なにもない。
恐る恐る自分の手を見れば、それは傷一つない、華奢で小さな少女の手だった。
慌てて鏡の前に駆け寄る。
そこに映っていたのは、10歳になったばかりの、あどけない顔立ちの私。
すべての悲劇が始まる、ずっと前の姿だった。
「……戻って、きた……?」
夢ではない。
頬をつねれば痛いし、胸の鼓動は早鐘のように鳴っている。
神は、私の最後の願いを聞き届けたのだ。
二度目の人生。
今度こそ、誰にも私の運命を好きにはさせない。
私は鏡の中の自分に、強く、強く誓った。
◇ ◇ ◇ ◇
二度目の人生が始まってから、私はすべてを変えた。
前世で私が熱心に学んだもの――政治学、歴史、高等魔法理論。
それらすべてを書庫の奥深くにしまい込み、見向きもしなかった。
父である公爵は、そんな私の変化を訝しんだ。
「ベル、どうしたのだ? お前は次期王妃となる身。勉学を怠ってはならんぞ」
「お父様。わたくしは、わたくしだけの武器を手に入れますわ」
父は奇妙なものを見る目で見ていたけれど、それ以上は何も言わなかった。
私の新たな戦場は、勉強部屋ではない。
化粧台の前、ダンスホール、そして自らの肉体そのものだった。
朝は夜明けと共に起き、まずは新鮮な果物とハーブで作った特製ジュースを飲む。
肌を内側から輝かせるための、徹底した食事管理。
領内で最も腕の良いパティシエに作らせた低糖質の菓子以外、甘いものは一切口にしなかった。
午前中は、身体作りの時間。
しなやかで美しい筋肉をつけるためのストレッチと、優雅な所作を体に叩き込むためのダンスレッスン。
専属の指南役が悲鳴を上げるほど、私は自分を追い込んだ。
汗でドレスが肌に張り付く感覚だけが、私が生きている証だった。
午後は、美容の時間。
大陸中から取り寄せた最高のオイルと香油を使い、専属の侍女たちに全身をマッサージさせる。
髪の一本一本には椿油を染み込ませ、指の先から爪の形に至るまで、寸分の隙もなく磨き上げた。
表情筋のトレーニングも欠かさない。
微笑みの角度、憂いを帯びた流し目、相手の心を射抜く視線。
そのすべてを、鏡の前で何千回、何万回と繰り返した。
それは、もはや努力という言葉では生ぬるい、狂気の沙汰だったかもしれない。
侍女たちは陰で囁き合った。
「お嬢様は美の悪魔に取り憑かれている」
それでも、私はやめなかった。
前世の記憶が私を突き動かす。
アルフレッド殿下の冷たい瞳。
リンドベルン侯爵令嬢の嘲笑。
民衆の憎悪。
あの屈辱を、絶望を、二度と味わうものか。
権力は、より大きな権力に覆される。
才覚は、嫉妬と陰謀の的になる。
けれど、絶対的な『美』は違う。
それは理屈を超え、人の本能に直接訴えかける、抗いようのない支配力。
それこそが私が手に入れるべき至高の権力なのだ。
そうして、数年の歳月が流れた。
私が貴族学園に入学する頃。
もはや私のことを「アルティドール公爵家の令嬢」として見る者はいなかった。
私は、ベルという名の『生ける芸術品』へと変貌を遂げていた。
陽光を浴びてプラチナのように輝く髪。
アメジストを嵌め込んだかのように澄んだ紫の瞳。
触れれば溶けてしまいそうなほど白く滑らかな肌。
そして、完璧な黄金比率で配置された顔のパーツが織りなす、神が創りたもうた奇跡の造形。
ある日、自室の巨大な姿見の前で、私は完成した自分自身を眺めていた。
そこに映るのは、かつての私ではない。
血の滲むような努力の果てに私が創り上げた、最強の私。
私は鏡の中の女神に、完璧な微笑みを向ける。
「さあ、始めましょうか。私のための、復讐の舞台を」
◇ ◇ ◇ ◇
貴族の子弟が集う王立学園。
そこは、若き貴族たちの社交場であると同時に、未来の権力構造を形作る小さな戦場。
家柄、財力、魔法の才能。
様々な力が渦巻くこの場所で、私は静かに駒を進めた。
入学式の日。
私が講堂に足を踏み入れた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
誰もが息をすることさえ忘れたかのように、私に視線を釘付けにする。
感嘆のため息、嫉妬の囁き、そして抗いがたいほどの憧憬。
それらすべてが私にとっては何より心地よい音楽だった。
早速、懐かしい顔ぶれが私の前に現れる。
前世で私を陥れたリンドベルン侯爵家の嫡男、オスカー。
彼は父の策略の片棒を担ぎ、偽りの証言で私を断罪した男の一人だ。
「これは……アルティドール公爵令嬢。ごきげんよう」
彼はいつものように、嫌味たらしい笑みを浮かべて近づいてきた。
おそらく、前世と同じように家柄を笠に着て、私を牽制するつもりだったのだろう。
しかし。
「ごきげんよう、リンドベルン侯爵子息」
私が微笑みと共に彼を見つめ返した瞬間、オスカーの顔から表情が消えた。
その瞳が大きく見開かれ、何かを言おうと開いた口が、意味のある言葉を紡ぐことなく、かすかに震えている。
「あ……あ……」
彼の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
私という存在を前にして、彼の頭からは家柄の対立も、政治的な駆け引きも、すべてが吹き飛んでしまったようだった。
それからのオスカーは滑稽だった。
毎日、私の気を引こうと高価な花束や宝石を贈ってくる。
授業中も、廊下ですれ違うときも、熱烈な視線を送ってくる。
前世で私を陥れるために使われたはずの彼の行動力は、今世ではただの滑稽な求愛行動へと変わっていた。
他の政敵の子息たちも、似たようなものだった。
彼らは私の美しさの前に、いともたやすく無力化されていく。
本来なら私を孤立させるためのお茶会。
それはいつの間にか「ベル様を囲む会」へと変貌した。
令嬢たちは私の美容法の秘密を聞き出そうと必死だった。
そして――ついに、彼との再会の時が来た。
王太子、アルフレッド殿下。
私の元婚約者であり、私を断頭台へと送った張本人。
学園の中庭で、彼は取り巻きたちに囲まれていた。
私がその前を通りかかると、彼の取り巻きの一人がわざとらしく言った。
「殿下、あれが噂のベル嬢です。いかに美しかろうと、殿下の婚約者であるという立場を弁えぬ、傲慢な女との評判ですが」
アルフレッド殿下は、興味なさげに私に視線を向けた。
前世の彼なら、ここで私を諌めるような言葉を口にしただろう。
だが。
「…………」
彼の動きが、止まった。
その青い瞳が、初めて見る宝物でも見つけたかのように、私から離れない。
彼の脳裏には王太子としての立場も何もかも消え去っているに違いない。
ただ、目の前にいる『ベル』という美の化身に、心を奪われている。
私は彼に、練習通り、完璧なカーテシーを捧げる。
「ごきげんよう、アルフレッド殿下」
「あ……あぁ……」
彼はかろうじてそれだけを返し、呆然と私を見送るだけだった。
その日を境に、アルフレッド殿下の行動も変わった。
彼は婚約者である私を、まるで初めて恋をした少年のように追いかける。
偶然を装って廊下で待ち伏せたり、図書館で隣の席に座ってきたり。
その必死な姿は、前世の冷酷な彼とは似ても似つかない。
かつて私を苦しめた男たちが私の美の前にひれ伏し、寵愛を競い合っている。
彼らが私に夢中になればなるほど、彼らの家が仕掛けてくるはずだった陰謀は形をなさず、霧散していく。
美は権力。
私は誰よりも静かに、そして確実にこの戦場を支配していた。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、運命の日がやってきた。
学園の卒業記念パーティー。
前世で、私が「王太子暗殺未遂」の罪で捕らえられた、因縁の夜会だ。
私は、この日のために用意させた銀色のドレスを身に纏い、会場へと足を踏み入れた。
私が現れた瞬間、音楽が止んだ。
すべての視線が、すべての光が、私一人に集まる。
私はその視線を浴びながら、ゆっくりと、しかし確かな足取りでホールの中心へと進んだ。
すると、人垣をかき分けるようにして、アルフレッド殿下が私の前に進み出た。
その顔は真剣そのもので、どこか悲壮感すら漂っている。
そして、彼は信じられない行動に出た。
この国の王太子が、満場の貴族たちの前で、私の前に跪いたのだ。
「ベル……!」
会場が、どよめきに包まれる。
アルフレッド殿下は私の手を取ろうと必死に手を伸ばす。
「君と初めて会ったときから私は心を奪われてしまった。どうか私の妃になってほしい。君のためなら私はなんだってする。この国のすべてを君に捧げよう!」
情熱的な愛の告白。
前世の私なら、涙を流して喜んだかもしれない。
だが、今の私の心は、凍てついた湖面のように静かだった。
私が返事をする前に、横から声が割って入る。
「お待ちください、殿下! ベル嬢は私が生涯をかけてお守りすると誓ったのだ!」
オスカー・リンドベルンが、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「いや、ベル様が選ぶのは私だ!」
「何を言うか、我が家こそがベル様を幸せにできる!」
それを皮切りに、かつて私を陥れた男たちが私の前に進み出て、求婚の言葉を叫び始めた。
会場は一人の女を巡る、醜い求婚の舞台と化した。
私は、その光景を完璧な微笑みを浮かべたまま、静かに見下ろしていた。
――ああ、なんて滑稽なのだろう。
この男たちは、かつて私からすべてを奪い、死の淵へと追いやった。
その同じ男たちが、今、私の美しさという力の前にひれ伏し、愛を乞うている。
これ以上の復讐があるだろうか。
これ以上の勝利があるだろうか。
私は、私の力で運命をねじ伏せた。
この美しさは、誰のためでもない。
ただ、私自身が誇り高く生きるためのもの。
男たちの愛など、私の勝利を飾るトロフィーにすらならない。
大広間の扉に向かう私の背中に、彼らの悲痛な声が突き刺さる。
けれど、私は一度も振り返らなかった。
銀色のドレスの裾を翻し、私は一人、新たな人生へと歩き出すのだった。




