霧の証言
薪のはぜる音だけが、静まり返った書庫に響いていた。
リアンはミリエルを暖炉の近くに案内し、椅子をひとつ勧めた。自分はその対面に座り、じっと彼女を見つめる。
「旅の精霊術師が、なぜこの町へ?」
言葉にとげはなかった。ただ慎重に問いを選んだだけだった。
ミリエルはマントを脱ぎながら、ゆっくりと頷いた。柔らかく波打つ銀髪が肩に流れ落ちる。年はリアンより少し若いかもしれない。けれどその目の奥には、長く重い旅を知る者の静けさがあった。
「三年前、私はこの町のすぐ外にいた。西の森に精霊の反応があってね。そこで、“光”を見たの」
リアンの指がわずかに止まった。
火かき棒を置き、彼女を見据える。
「……どんな光だ?」
「青。夜の空に浮かぶ一輪の花のような、静かで……優しい光だった。すぐに消えたけれど、精霊の気配が強く残っていた。まるで、強制的に“和解”が結ばれたような痕跡だった」
リアンは黙っていた。彼女の言葉が、胸の奥に響いていた。
誰にも知られてはならないはずの、あの瞬間。
「それが……なぜ私に?」
ミリエルは懐から一冊の小さな手帳を取り出した。角が擦れて、表紙の革は色あせていた。開かれたページには、繊細な手書きの記録。そこにはこうあった。
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《第七日、夜:精霊信号と思しき青光、グリムアーク西方に出現。
その直後、獣人勢の撤退確認。魔力反応、人間種・エルフ種の混合》
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「これは私の観察記録。あの日、森の中で一瞬感じた魔力の波は――間違いなく、“交種”のものだった」
リアンは、拳を握ったまま動かなかった。
「私は、あの夜“和解の印章”が使われたと思ってる。そしてそれを使えるのは、町では……あなた一人だけのはず」
沈黙。
長い、深い沈黙が書庫を包んだ。
やがて、リアンが口を開いた。
「……使ったよ」
小さな声だった。かすれたそれは、まるで罪を認める告白のように弱々しかった。
「じゃあ、なぜ黙っていたの?」
その問いに、彼は少しだけ微笑んだ。笑ってはいけない場面で笑う人のように。
「誰かを守るためだった」
「誰を?」
リアンは答えなかった。代わりに立ち上がり、書庫の奥へと歩いた。
ミリエルは彼の背を追いかけるように立ち上がる。石造りの書庫は徐々に細い通路となり、やがて一枚の黒い鉄の扉に行き着いた。魔封印の紋章が、扉に刻まれている。
「ここにあるのか、印章が?」
リアンは頷いた。
「証明はできない。だが、確かにあの夜、これを使った。だがその代償として、俺は“行使しなかった”ことにされた」
ミリエルは静かに息を呑んだ。目の奥が揺れる。
「それを命じたのは誰?」
リアンは目を閉じた。
「……市長。リュシア・アルメイダの父だ」
名が出た瞬間、ミリエルの瞳が驚きに見開かれた。
「リュシア……まさか、彼女が関係しているの?」
リアンは何も言わなかった。ただ、目を伏せ、静かに背を向けた。
そしてその沈黙が、何よりの肯定だった。