6話
春の夕暮れ。
公園のベンチに佇む女の姿は、かつての幼馴染とは思えないほど、大人びて見えた。
黒髪は肩にかかる程度に整えられ、派手ではない服装。
背筋を伸ばし、膝の上で手を組んで、静かに時間を待っている。
「……よっ」
俺が声をかけると、玲は一瞬だけ目を見開き、小さく息を吸ってから口を開いた。
「……久しぶり。元気だった?」
「まあ、なんとか。そっちは?」
「んー……色々あったけど、生きてる」
玲は自嘲気味に笑った。少し力の抜けた、でも優しい笑みだった。
「座っていい?」
「……うん」
並んで腰を下ろすと、想像していたよりも距離が近かった。
以前だったら「近い!」と肘打ちでもされていたかもしれない。
けれど今の玲は、微動だにせず、ただ前を見ていた。
「……まず、謝らせて」
静かにそう言うと、玲はゆっくりとこちらに顔を向けた。
その瞳は、どこか怯えたようで、けれどはっきりとした意思を宿していた。
「高校のとき、ひどいこと言った。……暴力もふるった。あのときの私は、子どもで、どうしたらいいのか分かんなくて……」
言葉は震えていた。
でも、誤魔化していないのが伝わってきた。
噛みしめるように、ゆっくりと語るその姿が、どこか痛々しくて。
「……許してほしいなんて言えない。でも……謝りたかった。それだけ」
沈黙が落ちる。
俺は少しだけ息を吐いて、笑った。
「……あれ、正直怖かったよ。でも……俺にも悪いとこ、たくさんあったから」
玲は小さく首を振った。
「ううん。私が未熟だった。自分の気持ちをうまく言葉にできなくて、全部ぶつけるしかなかった。……ずっと、後悔してた」
その横顔が、やけに大人びて見えた。
かつての玲が、こんなふうに素直に自分の弱さを語るなんて──想像もできなかった。
「玲の気持ちは伝わったよ……今すぐ全部を水に流せるとは思わない。でも、今の玲を見てたら……もう責める気にはなれない。ちゃんと変わろうとしてるって、わかるから」
そう言った俺の声は、少し震えていた。
玲は、ほんの一瞬だけ目を伏せたあと──
「……そっか。そっか……ありがと」
と、かすれた声で呟いた。
ほんの少し、空気が柔らかくなった気がした。
そのタイミングで、ふと気になっていたことを口にする。
「……そういばさ、今はなにしてるの?」
玲は、少し驚いたようにこちらを見て、それから肩をすくめた。
「まあ、バイト生活。フリーターってやつ。……看護士、目指してたんだけどね。家のこととか色々あって、挫折した」
さらりと語られたその言葉に、わずかに胸が痛む。
「……でも、今の方が楽。人間関係も、あの頃よりはうまくやれてるし。我慢も覚えたしね」
「我慢、か……前の玲からは想像できないな」
そう言うと、玲は目を細めて、軽く睨むような顔をした。
「……大人になったんだよ、私だって」
その言葉が、不思議と胸に響いた。
だから──
「……今の玲、ちょっと好きかも」
不意に、そんな言葉が口をついて出た。
「なっ……!?」
玲が跳ねるようにこちらを見た。
目を見開き、顔を真っ赤に染め、手をぎゅっと握りしめる。
「い、いきなり何言ってんの!? ……バカじゃないの!?」
声は鋭かったけど、その裏にある動揺は隠せていなかった。
怒ってるようで、照れている。
否定しているようで、どこか否定しきれていない。
その一つひとつの反応が、俺の記憶をくすぐる。
──ああ、懐かしい。
大人ぶった雰囲気も、落ち着いた話し方も──
今の一言で、一瞬にして崩れた。
その姿が、なんだか可笑しくて──
「ふ、ふふっ」
思わず笑った俺に、玲は耳まで真っ赤にして睨み返してきた。
「な、なによ……! 変なこと言ったのはそっちでしょ……っ!」
「ごめん、ごめん。悪かったって。でもその反応、なんか懐かしくてさ」
「は、はぁ!? なにそれ、バカにしてんの!?」
「いや、してない。ただ……やっぱり、玲は玲だなって」
「…………っ」
玲はなぜか、そこで完全に言葉を詰まらせた。
顔を伏せ、唇をぎゅっと噛んで、何かをごまかすように俯くだけ。
俺も、黙ってベンチから空を見上げた。
陽はすっかり傾き、夕焼けが街を茜色に染めていた。
さっきまで重かった空気が、どこか軽くなっている気がする。
そしてこの沈黙も、もう“気まずい”ものじゃなかった。
「……ねえ、ハヤト」
玲がぽつりと口を開いた。
「うん?」
「また、話してもいい?」
「……もちろん」
即答すると、玲はほんの少しだけ目を細めた。
「じゃあ……また、近いうちに。連絡してもいい?」
「玲から連絡くるの、けっこうレアだしな。楽しみにしてるよ」
「……っ、バカ……」
小さく吐き捨てるように言いながらも、玲の声には毒がなかった。
照れくさそうに立ち上がって、カバンを肩にかける。
「じゃあ……今日はこれで。ありがと」
「うん。気をつけて帰れよ」
玲は背を向けて、数歩歩いたところでふと立ち止まり、振り返る。
「さっきのやつ、忘れていいから」
「どの?」
「“ちょっと好きかも”とか、そういうの。……調子狂うから」
「……じゃあ、また言うよ」
「──っ!?」
玲は耳まで真っ赤にして、今度こそ何も言わずに背を向けた。
そのまま小走りで公園を出ていく姿が、夕焼けに溶けていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく笑った。
(……変わったな、玲)
過去は、完全には消えないかもしれない。
でも、こうしてまた笑い合えるなら。
ほんの少しだけ、許せる気がした。
あのときの自分も、玲も。
──夕焼けの空に、桜の花びらが舞っていた。