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13話

(※冬原ハヤト視点)


「ブレンドとアップルパイで。店内利用ですか? ……はい、ありがとうございます」


午前中のカフェは、いつも通り落ち着いた空気に包まれていた。


常連の主婦、読書中の年配客、ノートPCを開いた大学生。

まるで呼吸のリズムまで把握できそうなこの空間は、今ではすっかり俺の日常になっている。


だけど──最近、ひとつだけ、変化があった。


「冬原、砂糖補充しといて」


カウンターの奥から、霧島薫さんの声が飛んでくる。

落ち着いていて、いつも通りの業務連絡。


……だけど、目は合わなかった。


最近の薫さんは、何を話しても決して俺と目を合わせない。

話すときはいつも書類を見ながら、あるいはコーヒーミルをいじりながら、必要最小限の視線と会話だけを交わす。


以前は、もっと自然だった。

ちょっとした笑顔とか、視線の交差とか──そういう些細なやりとりがあったはずだ。


なのに今は、それが一切ない。


(……やっぱり、あの夜のこと、引きずってるのかな)


俺が「忘れてほしい」と言ったあの朝から、薫さんは明らかに距離を取ってきている。

それは当然なのかもしれない。悪いのは俺だ。

誘われるままに飲みに行って、気づけば一線を越えて──

そのうえ、「なかったことにしてください」なんて、どの口が言うんだって話だ。


でも、それでも──

今のこの空気は、思った以上に重たかった。


「ハヤト、今夜ってまだ予定ある? また会える?」


スマホのバイブが軽く揺れて、玲からの通知が画面に浮かぶ。


最近、俺と玲は順調に──いや、順調すぎるくらいに、急接近していた。


連絡は毎日。会えば手を繋いで、肩を寄せて、やがて──

家に呼ばれて、泊まるようになったのは、ほんの数日前のこと。


あの夜から、玲は明らかに“変わった”。


甘えてくるようになったし、触れてくる距離も近くなった。当然毎日のように求められる。


……正直、筋肉痛だ。


高校の頃みたいに、言葉で突き放したりはしない。

でも今度は、“身体”で強引にくる。


それを拒めない自分がいるのも、また事実だった。


(……今の俺は、玲と向き合おうとしてる。薫さんにも、ちゃんと謝りたい気持ちはある)


でも、謝るってなんだ?

何を? どこまで? 今さら、どうやって──?


そんなことを考えているうちに、ふとカウンターの奥を見ると、薫さんがトレイを洗っていた。


無言で、黙々と、視線を上げることもなく。


(……本当に、目を合わせてくれなくなったな)


声をかけるべきか、やめるべきか。


少しだけ躊躇したけれど──結局、俺は言葉を飲み込んだ。


今、何を言っても、彼女は“店長”としてしか俺を見ない気がしたから。


カフェの空気はいつも通り静かで、心地よかった。


けれどその中心にいるはずの彼女が、どこか遠くに行ってしまったような気がして、俺はずっと落ち着かなかった。


──そんな心のざわつきを引きずったまま、その日の営業が終わりを迎える。



※この話の続き、閉店後の薫視点の話をノクターンノベルズで投稿しています。

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