10話
(※夏木玲視点)
昼過ぎ、私は紙袋を抱えてカフェの扉を開けた。
ドアベルの音が鳴ると、自然と胸が高鳴る。
「こんにちは。……また来ちゃった」
ハヤトがカウンターから顔を上げた。
その目が私を見つけ、少しだけ笑った。その一瞬で、喉が詰まりそうになる。
「玲。いらっしゃい。……その袋は?」
「手作りマフィン。あんた、甘いの好きだったでしょ? ……よかったら、後で食べて」
ハヤトの表情が、ほんの少しだけ揺れる。
「ありがとう。……嬉しいよ」
その笑顔に、胸がきゅっとなる。
昔と同じようで、でも違う。今のハヤトは、私だけのものじゃなくなった──そう思うと、焦りが滲む。
(……でも、まだ間に合う)
そんな自分を奮い立たせるように、私は軽く笑って言葉を続けた。
「ねえ、今度さ……飲みに行かない? あんたに会いたがってる友達もいるし。」
軽く言ったつもりだった。でも、声が少し震えていた。ハヤトの返事を待つ間の数秒が、やけに長く感じる。
彼は視線を少し逸らしてから──
「……時間が合えば」
そう、曖昧に返した。
(……よし)
だけど、それで十分だった。
“断らなかった”という事実だけで、私の中に確かな手応えが残る。
*
(※冬原ハヤト視点)
仕事終わり、店の裏で後片付けをしていると、ふとした違和感に気づいた。
ロッカーが、少しだけ開いている。
(……閉め忘れたっけ?)
中には、昼間もらったマフィンの紙袋。 手を伸ばすと、ほのかに香水の匂いが移っていた。
そのとき、背後から気配がした。
振り向くと、薫さんが静かに立っていた。
「帰る準備? ……お疲れさま」
「はい……すみません、少しだけ片付けてから──」
「ううん、大丈夫。……それ、幼馴染の子からの?」
一瞬、言葉が詰まる。
「……ああ、はい。差し入れ、だそうです」
薫さんは、微笑んだ。
──だけど、その笑みに、何かが混じっていた。
「ふふ。……いい匂い。彼女、料理上手なのね」
そのまま彼女は、そっとカウンターの裏に戻っていった。
俺は動けずに、ただ、その背中を見つめていた。
*
(※霧島薫視点)
閉店後のバックヤード。
私はハヤトのロッカーの前に立っていた。 ……もう、あの子は帰った。
ロッカーをそっと開ける。
中にあった制服に指を滑らせ、そっと顔をうずめた。
微かに汗と柔軟剤の香り。彼の匂い。
──あの夜、彼の身体に触れたときの記憶が、ありありと蘇る。
大きな手。熱。優しさ。
でも彼は、「昨日のことは忘れましょう」と言った。
なかったことにしようとした。
──それでも、私の中には、まだ“彼”が残っている。
気づけば、制服を握る指先に力が入っていた。
彼の匂いを逃さないように、しがみつくように抱きしめる。
お腹の奥から、熱いものがじわじわと滲んでくる。彼の制服に顔をうずめたまま、気づけば自分の指先がスカートの内側へと滑り込んでいた。
自分が何をしているのか、理性では分かっていた。──でも、止まれなかった。
この気持ちを、彼は知らない。
それがたまらなく、寂しくて──悔しかった。
私は息を殺して、静かに目を閉じた。
せめてこの時間だけは、彼が“私のもの”であってほしいと願いながら
※ノクターンノベルズでこの後の薫の行為を投稿してます




