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分岐の駅  作者: 前田雅峰
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上編

 人が故郷に帰る事を決意するその直前、どんな出来事があるだろうか。そう思って書き始めました。舞台を道北にとっています。吹雪に全部の道筋を閉ざされた空間で、この主人公は追い詰められていきます。しかし実はその閉塞こそが、自分は完全に行き詰まった中に居るのだという自覚が、その人に唯一の進むべき道を指し示すのではないでしょうか。

「除雪に二時間程お時間を頂きます。御迷惑を掛けて誠に申し訳ございません」

 私が乗っていた普通列車が、目的地到着の前に或る分岐の駅で豪雪のため前に進めなくなった。私が乗った始発駅を出る頃にはまだそんなに激しい雪ではなかったのだが。この季節、いつもこのくらいは降りますよという程度だった。だから私はこの汽車に乗ったのに。私は車内を案内して回る車掌に文句を言った。

「前に乗った汽車では、このくらいの雪だったら、そのまま発車しましたがね……」

 車掌は面倒臭そうに私に答えた。

「お客さん、それはきっと蒸気機関車に牽引された客車の列車だったんでしょう。これはディーゼルカーです。熱と重さの蒸気機関車だったら踏み抜ける雪も、ディーゼルカーじゃ無理ですな。何といっても、蒸気機関車よりもずっと軽いですから。雪に乗り上げて、直ぐ脱線してしまうんで……」

 不満顔な車掌だったが、説明は合理的だった。私は納得せざるを得なかった。

「車内の暖房は途絶えませんか? 車内で待ってもいいですか?」

「暖房はついたままですからいいですけど、ずっと座ってると腰が痛くなりますよ。駅の待合室の方が広くて良いんじゃありませんか? 暖房もしてますよ。発車の時にはちゃんと駅の構内放送をしますから」

 私は生まれてこの方、運が良かった(ためし)がない。籤で当たった事など一度たりとも無い。だから私は賭博はしない。どうせ金を(どぶ)に捨てる事にしかならない。またそんな事につかえる余剰な資金をもっている身分だった事も、これまた一度たりとも無い。折角私が珍しく自棄(やけ)をおこして、短いものとはいえ汽車旅に出たとなると直ぐこれだ。

 列車から降りると、待合室に行く為の跨線橋に至るまでの僅かな距離でさえ猛烈に寒かった。横から吹雪いている訳ではないから私に雪が降りかかりはしないが、外に居られたものではない。

 駅舎を通って駅前に出てみると雪が一メートルも積もっていて、歩道は分厚くうねりながら凍りつき、僅かな光に対して金属の塊の様な容赦のない光沢を放っていた。そして暗く小さな駅前に一つだけ在る街灯の御陰で、如何に雪が激しく降っているのかが分かった。こんなもの、何処(どこ)にだって行けるものではない。石炭ストーブの在る駅の待合だけが人間の居られる場所だ。だが既にこんな時刻なのでもう購買は開いていない。私は腹が減っていた。何とかならないものかと思って、絶望的に駅前を眺めまわした。すると駅と狭い通り一つ挟んだ向かいに、雪にまみれた『きつねうどん』の幟が見えた。店の窓からは灯が漏れている。この場合、他に選択肢などありよう筈もない。私は吸い寄せられる様にその店に向かった。短い距離の、そこに見えている店まで辿り着くのに、私はぼこぼこのスケートリンク(さなが)らの歩道で三回転んだ。そのうちの一回は車道に向けて傾斜している分厚い氷の上を(すべ)ってしまったのだが、こんな天気に車など来る筈もない、だからそれで死にはしなかった。

 店のドアを開けると灯は()いているが何となく薄暗い。しかし()ず室内の暖かさが衣服の上からでもはっきりと感じられた。私は酒は飲めないが何しろきつねうどんだけはあるのだからと、そのまま外套を脱いで店の中に入った。どうも、食堂なのか喫茶店なのか飲み屋なのかよく判らない雰囲気の店だった。照明は天井に白熱灯が二列に並んでいたが、そのうち丸々一列分が玉切れなのか(とも)っていない。壁には品書きが八つ程しか貼られていない。四人掛けのテーブルが四つと二人差し向かいのテーブルが二つ、店の入り口と真ん中に石炭ストーブが赤々と燃えている。駅の方に向かってある窓は室内から見ると汚れまくっているのが一目で分かった。全く掃除というものをしていないらしい。私が座ったカウンターの奥に小さなガスコンロと流し台が在った。その上には酒の瓶が並んでいる。といっても、そんなに多くはない。十本も無かった。それに一応カレンダーがぶら下がっていたが、これが私の興味を惹いた。何故といってそれはその年のカレンダーではなく、明らかにもっと昔のものだったのだ。今年のものと曜日が違う。上半分に動物の写真が載っている。私はカウンター席からその不思議なカレンダーに見入った。どうしてこんなものが掛けてあるのだろう。私は寒さも、そして意味も無く汽車に飛び乗ってどこかに行こうと思い付いた程に虚しい毎日の事も忘れ、それを考える事に没頭した。そしてどうしてもその理由が判らないものだから、(やが)て一つの感想が胸に湧いてきた事だけで満足した。

「これは、面白い店に入ったかも知れん……」

 店内に誰も居ない。こんな意味不明のカレンダーを掛けておく店主、いや多分女将なのだろうが、それは如何なる人間なのかと期待を膨らませた。だがそれにも直ぐに疲れてしまった。半分飲み屋みたいな店だ。どうせ出て来るのはそれなりの顔をしたそれなりの年齢の女将に決まっている。何か特別に面白い、私が発車待ちの二時間を楽しめる、そしてこの店を去るのが惜しいと感じる事の出来る人物が出て来る訳がない。まともな、というよりも普通の人間であれば、それで十分だろう。

 そこまで心の準備を整えてから、私はおとなしげな声で店の者を呼んだ。

「済みませーん」

 その途端、カウンターの奥から続いている部屋の方で『ごとっ』と何かの音がした。もしかして居眠りをしているのではないか。今の音は寝返りをうって腕を箪笥にぶつけた音ではなかろうかなどと思っていると、中から女将らしい女が出て来た。

「いらっしゃい」

 殊更に飲み屋のママ風の女将ではなかった。派手ではない普通の落ち着いた薄青の洋服を着ており、同じ様な色合いのスカートもそれなりの長さだった。別に何の怪しい感じもない。髪も矢鱈に長くはなく後ろに気持ち良く一本に括って、清潔な感じがした。前掛けこそしてはいなかったが、これなら飲み屋というより普通の駅前食堂の女将という感じだ。年齢は四十前、私よりも一回り上なだけで、別に疲れた顔はしていなかった。擦れ切った女にありがちなあの厚かましい厚顔無恥な、下卑た顔付きをしていない。化粧らしい化粧もしていない。薄い口紅だけといった程度である。私は安心した。

「何にします?」

 女将に笑顔はなかったが、それでも私は悪い気はしなかったので、

「きつねうどん」

と答えようとした瞬間、女将は私の返答を待たずに言った。

「お客さん初めてよね。どうしてこんな所に来たの? 此処(ここ)は観光地でも温泉でもないのに」

 女将は割と可愛らしい声で私に訊いた。そのうち、表情も段々とそれなりに優しげなものを浮かべ始めた。私は愛想良く、だが笑顔を見せずに答えた。

「ああ、別に理由は無いよ。適当に何処(どこ)か行きたかっただけだから」

 女将はわざとらしく、だが幾分本気で不思議そうな顔をして言う。

「こんな真冬の、吹雪の日に?」

「ああ、何となく気が塞いでね。別に山登りしたり野っ原を歩こうって訳じゃないんだから……、鉄道に乗って何処(どこ)かに行きたかっただけだから、吹雪も何も関係ないよ」

 すると私が喋っている間からもう女将は首を横に振り出した。

「そんな事ないわよ。吹雪で汽車が止まったら何処(どこ)にも行けなくなるし、その駅の近くに宿屋が在るとも限らないわ。この前も豪雪で汽車が進めなくなって、この近くの駅員さんも居ない駅で一晩過ごしたっていうお客さんの話を聞いたわよ。蒸気機関車が一晩中罐に石炭くべて、客車に暖房を入れてくれたから凍えなかったけどって、そんな話」

「でもまあ、こうしてこの店に来る事が出来たじゃないか。きつねうどん二杯頼む」

 女将は笑いながら問い返した。

「二杯?」

 今度は私も少し笑って答えた。

「ああ、二杯。拙者はこの通り身体が大きく、二杯食べても普通の男の半杯程しか腹に溜らんのだ」

「はい。じゃあ、ちゃんと時間を空けて作るわね」

「頼む」

 私は酒を飲まないので、その為の店に入った事が無い。仕事仲間で一緒にという事も、今まで一度も無かった。私が入るといえばいつも純然たる大衆食堂で、注文以外で店の者と話すなどという事はほぼ皆無だった。喫茶店に入る事はあったが、その場合飲み屋みたいに店員と話し込む事はない。多少とも世間話をするだけだ。だからこんなに店の人間と言葉を交わす事を些かでも新鮮に感じた。私はこの時点では、こんな日に汽車に乗って旅に出た事、それからこの店に入った事について、何の不満もなかった。つまり私は自分の普段の暮らしと何も違わない世界に生きていたのである。


「この町、自殺が多いのよ」

「えっ?」

 突然だったのと声が小さかったので、私は訊き返した。女将はうどんの麺を茹でながら、最初と全く同じ声量で言った。

「この町はね、自殺する人が多いのよ。冬はこんな寒さだし、それ以外の季節でも、田舎だから面白い事だってそんなに多かないからそれも分かるんだけど、でも一番大きな理由は、ここが地の果て、どん詰まりだからって聞いた事があるわ。お客さんもそう思う?」

「…………」

 答えるべきか無視すべきかに悩む。真面目に考えるのが良いのだろうか。結果、私は黙っていた。すると暫くして女将が自分で答えた。

「あたしは納得するわ。あっちこっちと流れてきて、地面がなくなってもうこの先は海、それも国境の海だなんて土地に来たら、もうその先に自分の居場所なんか無いって気持ちになるのは当然よ。でもね」

 ここで女将は一杯目のきつねうどんを盆に載せて私の前にもってきた。

「誰でもそう思うけど、そんな事、警察にだって役所にだって言えないわよね」

 私は眼鏡を外して横に置き、割り箸を割り、熱くて湯気のあがるうどんを吹きながら問うた。

「警察や役所に説明する事があるのかい?」

「自殺でしょ。だから首吊りとかのはっきり自殺って判る自殺はいいわよ。でも事件じゃないかって警察が疑う時には、ここらだって聞き込みされるのよ。『どんな人でしたか?』とか『いつも一人でこの店に来てましたか、連れは居ませんでしたか?』とかね。そんな時にその自殺した人が店で『ここは地の果てだ、もう何処(どこ)にも行く当てが無い』なんて言ってましたって、言いにくいじゃない。嘘吐()いてるみたいで」

 私は女将の言う『ここが地の果てだから自殺が多い』という説に、妙に説得力を感じた。(たし)かに合理的な理屈ではない。だがそれでいて、そんな追い詰められた感じが行き詰った人を捕えるのではないかと思ったのである。暫くして女将が私に尋ねた。

「お客さんは()うなの。自殺するの?」

 私がどう答えようか迷っていると突然女将は嬉しそうな顔になって、

「違うわよね。悩んでる風には見えるけど、自殺ものの何かを抱えている顔じゃないもの」

と変に声に力を入れて言った。私は困ったが、結局万歳してしまった。

「その通り、僕は自殺しないよ。まだそこまで追い詰められちゃあいない。幸いな事にね。それに自殺っていうけど、それって皆痛いか苦しいかだろう? 僕はそんなの御免蒙る。どっちも、到底我慢出来そうにない。自殺するなら、そうだな、風呂場で手首を切って、あの血がゆっくりと身体から出て行くやつが良いな。段々意識が薄れていって、眠る様に死ねるらしい。そう聞いた事がある」

 すると女将は()き込んで答えた。

「ええーっとね……、それね、それをするんだったらね……、必ず日をおかずに誰かが発見してくれる様にしておいてね」

「どういう事だい?」

「お風呂場でお湯なり水なりに入ったまま死んだ人の死体って、あんまり日が経ってからだと、ほんとに見れた代物じゃないって聞いた事があるから」

「…………」

 私は絶句した。そんな事を言う女将に絶句したのではなく、女将の話すその内容が何かあまりにありそうな事だと思われたからだ。暫くして私は、

「どんな風になるんだい?」

と訊こうかと思ったが、やめておいた。そして代わりに、

「ああ、ありそうな話だね。でも大丈夫だ。身体は湯舟の外に出して、切った手首だけ湯舟の湯か水に浸けておけば良いだろう?」

と言って、にたりと笑ってみせた。すると女将は、

「成程、それは良いアイデアだわね」

と私を見詰めながら言ったが、顔は笑っていたものの、目が虚ろだったので恐かった。言うべきではなかったかも知れない。女将はまるで、楽で苦しくもない、人に迷惑も掛けない良い自殺の方法がやっと見付かったとでもいった様な歪んだ笑顔を浮かべながら、二杯目のうどんの準備に取り掛かった。よく解らない。この女将はこれで飯屋の女将として客と世間話をしているつもりなのだろうか。何だか話の中身が際ど過ぎる。いや中身は兎も角、女将が本気でその話に入れ込み過ぎる。私は、この女将が客の話を聴いてやるだけの余裕さえ最早(もう)もってはいないのではないかと、早くも疑い始めた。顔は普通の表情だが、憔悴しきった心を内側に隠しているのではなかろうか、と。

 私の現在(いま)の仕事は幸いと人間関係に苦しむ職種ではなかった。漁船に乗り込んであれこれ船員を手伝うのだ。けれども今までの職歴でエンジンの点検が出来る様になっていたので、主にその技師を任されていた。沖合に出た後で時化になった時などは別だが、それ以外はそんなに手と神経を煩わせる作業はなかった。機関回り以外では怪我した船員の手当を応急的にしてやったりするくらいだった。漁船に乗ってはいるが、まあ半人前の力仕事で済んでいた。飯屋の女将には難破の危険は無い。厳寒吹雪の中で血管を流れる血液まで凍り付く殺人的な寒さに堪える必要もない。しかし別の危険と厭らしさがある。そしてそれは自然を相手にするのとは訳が違う。相手はものを喰い、酒を飲み、そしてくだを巻く酔客だ。本心を(いつわ)って、煽てて、媚び諂って、もっと金をつかわせるのが大漁に繋がる仕事なのだ。さて、私は女将にとってそれらの客のうちのただの一人なのだろうか。ただの一人なのだ。それは分かっている。だが私はせめて、女将の癖して既に客に話を聴いてもらいたがっている可能性大のこの女将を更に苦しめる事はすまいと思った。そうだ。私は馬鹿ではないつもりだ。馬鹿でないなら、ただの一人の客として、素直に世話になり、素直に金を払って出て行こうと思った次第である。

「そうそう、この町の奥に、昔開拓で入り込んだ人達の村が在るんだけど、遂にもう最後の二家族が逃げ出したんだって」

 女将はその内容に比してあまりにも明るい調子でこんな話題を口にした。私は唖然とした。女将は話し続ける。


(中編に続く)

 ブログには他の手紙や小説も掲載しています。(毎日更新)

https://gaho.hatenadiary.com/

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