07.遭遇
中間考査が終わり、夏服になったある日の放課後、捺音は一人、学校から駅へ向かっていた。すると、突然横道から出てきたランドセルを背負った女の子が、目の前でベシャリと転んだ。
「え? ちょっと、大丈夫?」
小学校低学年くらいの女の子が、うつ伏せに転んだまま立ち上がらずにいるため、捺音はしゃがんで、声をかけた。転び方を見たかんじ、一応手をついていたように見えたので、頭は打ってないと判断していた。すると、むくりと手をついて上体を起こし座り込んだ。痛そうに顔をゆがめ、うっすら涙を浮かべている。見ると、腕や膝を擦りむいて、血がにじんでいた。そして、女の子は汚れてしまった黄色のワンピースを悲しそうに見ている。
「大丈夫? 立てる?」
車通りの多い道ではないが、道路に居たままだと危ないので、動けるなら動いたほうが良いと思い、捺音が聞くと、女の子はコクリと頷いて、立ち上がった。女の子が向かおうとしていた方向に公園があったので、そちらに行こうと促す。
「あっ、スカート・・ちょっとつまんでて」
スカートのすそが膝の血に触れそうだったので、自分のスカートをつまんで見せて、同じようにしてもらう。
軽く肩に触れて、公園内の水道のところへ向かった。見たかんじは擦り傷だけのように見える。手や腕、膝を洗い流しながら、
「他にどこか痛いところある?」
胸を打っていたり、骨にヒビとかもあるかもしれないと思い少し心配になる。すると、女の子は、自分の体を確認するかのような仕草をしたあと、
「大丈夫」
と、言った。とりあえずホッとして、カバンからフェイスタオルを取り出す。桐生が部活で汗をかくので使うのだが、良く忘れるので普段から持ち歩いているものだ。今日は使っていないのでキレイなため、それで洗った傷口の水気を拭う。そして持っていた絆創膏を貼ると、大分落ち着いたのか、女の子がゆっくりとお礼を言った。
「お姉さん、ありがとう」
「どういたしまして。お家は近く? 帰れる?」
女の子のワンピースの汚れを、捺音は手とタオルではらいながら問いかける。
「うん」
女の子は頷いたあと、公園の、先ほど捺音たちが入って来た出入口に視線を向ける。
「あっ、お兄ちゃん!」
女の子の視線の先に、少し赤身がかった茶髪の、大学生くらいの男の人が公園に入って来た。
(え? あの人? ずいぶん歳が離れてる気が・・)
そう捺音が思っていると、彼もこちらに気づいたみたいで、やや駆け足気味に近づいてきた。
「千里、どうしたんだ?」
捺音の目の前にいる女の子、千里の様子に彼は怪訝な顔をして尋ねた。
「そこで転んじゃって・・お姉さんに助けてもらった」
それを聞いて彼の視線が、千里の前でしゃがんでワンピースの汚れをはたいている捺音に向いた。それに気づき、捺音は慌てて立ちあがる。
(うわっ、この人、背、高いな)
自分より頭1つ分高そうだなと、目の前に立つ細身の男性に少し驚きつつも口をひらく。
「目の前だったので・・あの、頭は打ってなさそうですが、胸とか打ってるかもしれないので・・今は大丈夫みたいですけど」
「あぁ、気をつけておくよ。まあ良くあることだから、大丈夫だと思うけどね」
捺音が状況を説明している途中で、気をつけてほしいという意図を彼は感じ取ってくれ、呆れるように告げた。
家族が来たなら、もう大丈夫だと思った捺音は、
「では、私はこれで・・あの帰ります」
彼に一礼して、立ち去ることにする。
「あぁ、ありがとう」
「お姉さん、じゃあねー」
千里が手を振ったので、捺音も振り返して、その場を後にした。
それから度々帰りに公園の近くで千里に会い、仲良くなった。先日転んで帰ったあとも問題なかったと聞いた。
「あっ、なつねお姉さん、こんにちは!」
「千里ちゃん、こんにちは。今日も元気だね」
「うん!」
千里は、捺音を見つけると、ダッシュで近づいてきて、挨拶してくる。彼女の兄が、良くあることと言っていたとおり、生傷が絶えないようで、先日のケガは治りかけているのに、また別のところに絆創膏が貼られていた。
千里の話は彼女の兄の話が多い。
「お兄ちゃんは、ひろあきって言うのー、すごく頭がいいんだ。いつも宿題みてくれるのー」
「あとねーおもちゃとか、すぐ直してくれるんだー」
自慢のお兄さんみたいだ。
「でもねー怒るとママより怖いんだ」
「そうなの?」
「うん、でもね、いつもはすっごく優しいよ」
千里は満面の笑顔で言った。
数日後・・・・・
体育祭の事前練習や準備のあった日の帰り、捺音は疲れと6月としては暑い日だったためか、駅まで歩けなくなり、公園の日陰にあるベンチで、少し休むことにした。
(やっぱり学校で休んで、瑞希と帰るんだったな)
瑞希の部活が終わるまで、学校で休めと言った桐生の言葉が頭に響く。とりあえず、母親には、「瑞希と帰る」とだけ連絡を入れた。そして、瑞希に部活終わりにここにきてもらえるよう連絡をしていると、
「なつねお姉さん、こんにちは。どうしたの?」
千里が捺音に気づき、声をかけてきた。
「こんにちは。ちょっと疲れたから休んでるんだよ」
「ふーん・・大丈夫?」
「うん、休めば大丈夫だよ」
心配そうな千里に、笑顔を作って答えた。すると、千里はスマホを出し、何やら操作したあと、捺音の隣に座って、手でパタパタと仰ぎだした。
「ありがとう。大丈夫だから、遊んできていいよ」
千里にお礼を言って促すが、プルプルと首を横に振って、捺音の側から離れるのを拒否した。その様子に、捺音は仕方がないと、その場に居てもらうことにした。
(暗くなる前に帰ってもらえばいっか)
捺音がカバンから水筒を出し、水分補給しつつ、休んでいると、
「千里、ヘルプってどうした?」
千里の兄が焦ったような顔をして、小走りでやってきた。
(どうして?)
捺音は一瞬不思議に思ったが、先ほど千里がスマホで連絡していたのかもと気づく。そして、今日は初めて千里に会った日と同じ曜日で時間も同じ頃であったため、この日彼はこの時間に帰ってくるのかもしれないと捺音は思った。
「なつねお姉さん、具合悪いんだって」
「え? あぁ・・」
千里の発言に、彼は捺音に一瞬視線を向けたあと、妹に何かあったわけではないと気づき、ホッとした様子を見せた。
「あの、すみません。千里ちゃんに心配かけさせてしまったみたいで・・」
捺音が座ったまま頭を下げて謝罪すると、彼はハッとして、捺音に視線を向け、
「あっ、いや、こちらこそ・・」
途切れ途切れに言葉を発したあと、沈黙する。
「だからね、お兄ちゃん、お家で休んでもらおうよ!」
「え?」
沈黙を破って、千里が兄に告げた言葉に、捺音は固まったが、彼は頷く。
「あぁ、そうだな。捺音さん・・あっ、すみません。千里がいつも“なつねお姉さん”と話してたもので、どうでしょうか?」
捺音さんと名前で呼ばれて、ピクリと反応してしまったわけだが、そういえば自己紹介がまだだったことに気づかされた。
「高倉捺音です。その・・ここで友達を待って、一緒に帰るので大丈夫です」
千里と仲良くなったとはいえ、顔見知りになったばかりの人の家に行くことに気が引けて、やんわりと断るが、千里が捺音の腕をぎゅと掴んで、訴えるように兄の顔を見ていた。
「家はここから道一本向こうにあるので、近いですから。ここは日陰とはいえ、風通しが良くないので、よろしければ家で休んでいきませんか?」
千里もいますから・・と丁寧に言われ、これ以上断るのも悪い気がして、何より千里が来てほしいオーラ全開だったので、捺音は頷いた。公園から近いということなので、瑞希には学校出る時に連絡してもらえれば良いだろうと思った。
「あっ、オレは岩崎祐昌、大学1年」
彼、祐昌が自己紹介しながら、差し出した手を取り、捺音は立ち上がった。
「・・・・」
思わず手を取ってしまったが、いつもの-桐生と違う手の感触に、自分の手を見つめてしまう。
「高倉さん? どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
千里に手をひかれ、入った時とは別の、座っていたベンチから近い出入口から、岩崎兄妹の家へゆっくり向かうことになった。