9・有働刑事視点・Ⅰ
* * *
「ああ……くそっ!」
取調室を出て暫く歩く。安西青江に聞こえない距離を十分に取ってから俺は怒りを吐き出した。
「勿体ぶりやがって! 何を隠しているのかと思ったら予知夢だと!?」
もっと違う種類の供述、ぶっちゃけると山本に頼まれて殺人の手引き(あの女自身に殺人は難しそうだ)をしたと自白すると思っていた俺はイライラが止まらない。ここでタバコを一服でもすれば落ち着くかもしれないが、伊藤は嫌煙者で勤務時間中の喫煙に異常に厳しい。くそっ。俺が若い時代には先輩に物申すなんて出来なかったのに。
そもそも昔の事を持ち出すなら、以前は重要参考人への取り調べはもっと厳しいものだった。今はコンプライアンスがどうとかで安西にも終始手もみしているような下手の態度にでるしかない。
「まあ、予想通りじゃないですか? 裁判で心神喪失状態だったと言って無罪を勝ち取るつもりで、わざと予知夢なんて変な事を言っているんでしょう」
気楽な言い方をする伊藤に俺はムッとした。
「いや、もし心神喪失を狙っているが本当は正常ならあんな態度をとるものか。酷い演技だぞ」
俺の長年の刑事生活で培ったカンが言っている。心神喪失を狙った計画的な殺人をしているにしては刑事に質問をされて答える時の態度がおかしい。夢の中の殺人はさっさと供述したし、毛髪や指紋提供に驚いていたが大して抵抗しなかった。だが、予知夢の事はDNA鑑定と指紋照合の結果を聞いてから渋々話していた。できれば隠し通したかったかのように。心神喪失のふりをするなら、むしろ予知夢の事は率先して言いそうじゃないか。
それに安西と被害者の夫である山本亜紀良の供述や、聞き込みをした話が微妙に食い違っているのもおかしい。
山本には狙ったかのような鉄壁のアリバイがある。一方安西はファミレスを出た後、午後一時二十五分に公園にいたと供述している。そのアリバイは崩れたが、公園の前に美鈴さんと会ったか会っていないかわからないと言う。なぜわからないと言うのか? 山本と供述を合わせるように「会ったが体調が悪かったので、すぐに別れた。その後の美鈴さんの行方は知らない」と言った方が余程自然だ。おまけにその公園の出来事すら俺が「公園の件は夢じゃないか?」と言った途端にすぐに丸め込まれ予知夢の事を口走った。理解できない。
これもカンでしかないが、あのびくびくとした気の弱さとすぐに丸め込まれた意志の弱さの中には、非常に低い自己肯定感と僅かな善良性が混じって見える。安西は突発的な万引きぐらいならギリギリやれるかもしれないが、たとえ山本に頼まれても殺人どころか売春やクスリさえもビビッてできない種類の人間なんじゃないか?
種類と言えば、山本が犯人の方がよほど納得がいく種類の人間だ。あいつはまだ、A県の家に戻ったままこちらに帰っていない。
安西に「事件と関係ないか」と訊かれて「ない」と答えたと聞いて、A県警に協力を依頼し山本に確認に行って貰った。が、その回答を聞いて更にイラついた。
山本は「だって俺は事件とは関係ないですからね。彼女が『被害者と関係ないか』と訊いていれば答えは変わりましたよ」だと。ふざけるにも程がある。オマケに「ああ……でも彼女はちょっと思い込みが激しくて……たまに激高したりするんで、カッとなると何をするかわからないところがあるんですよね」と、言外で安西が犯人だと決めつけた雰囲気を匂わし「だから怖くて彼女への連絡もここ数日は殆どしていないんですよ」だそうだ。
これが妻と別れてまで一緒になろうとしていた女に対する態度か!? 自分は鉄壁のアリバイがあるから余裕なのか、いい気なもんだ。
それに安西が思い込みが激しいのはそうかもしれないが激高? 安西の職場で人となりを聞いてもそんな話は欠片も出なかった。地味で大人しく存在感の控えめな彼女。他人の顔や名前を覚えるのが苦手なのと少しトロいのが欠点だが、それ以外は勤務態度も真面目で悪くない。だがここ一年は体調を崩しがちで休んだり早退が多いと工場長はこぼしていた。
安西の話を聞けば聞くほど激高などするだろうかと思う。するとすれば最後の最後、死ぬ間際だ。普段はほとんど物事に執着せず、諦めて丸め込まれ、最低限の自分の居場所を必死に確保するタイプの人間。まるで羊だ。寒さに耐えうる為に必死で生やした毛を根こそぎ人間に刈られ奪われても、戦いもせず震えて牧場の隅に佇んでいる。だが殺されそうになって初めて飼い主を蹴り飛ばす。
……もしかして、山本美鈴さんに殺されそうになって反撃した? いや違う。美鈴さんの白いワンピースには乱れがなかったし、検死結果でも睡眠薬などで眠っている内に殺されたと思われると記されていた。
俺がモヤモヤと考えていると隣で暢気に伊藤が言う。
「じゃあ安西は本当に頭がおかしいんじゃないですか。二重人格とか。予知夢なんて馬鹿馬鹿しいと有働さんも思ってるんでしょう」
「それはそうだが……」