4・伊藤刑事視点
* * *
「あーくそっ」
左隣からイライラした声が聞こえる。運転しながら助手席を横目で見ると、有働さん……今、俺とペアを組んでいるベテランの先輩刑事……が、ボヤキながら手を胸ポケットにやった。多分無意識だ。
「有働さん、車内は禁煙ですよ」
有働さんは少しだけ俯いて、煙草を探っていた自分の手を認めると気まずそうな顔をしながら逆ギレした。
「わかってるよ!!」
嗚呼、ホントにこの人はヘビースモーカーでなければ……あと、根性論信者と言葉足らずでイカツくて短気でイライラしやすいところがなければ……とても立派な先輩だと尊敬できるんだが。まあでも有働さんがイラつくのも無理はない。なんだったら俺もちょっとイラっとしている。
無蔵野市空き家内女性殺人事件。
そう名前をつけられた事件を、今俺たち無蔵野警察の刑事課で捜査をしている。ところが持ち物などから判明した被害者の身元は、無蔵野市とは無関係のA県に住む山本美鈴さんという女性だった。
真っ先に美鈴さん殺害の疑いがかけられたのは隣の黄金井市に住んでいる、被害者の夫の山本亜紀良。美鈴さんのスマートフォンに残されたチャットの記録からも殺された日曜日に夫と東京で会う予定になっていたと判明した。
ところがこの夫、今はA県で4カ月前まで美鈴さんと住んでいた家に戻っている。同僚の刑事がA県までわざわざ出張して話を聞きに行ったのだが、その報告内容が俺たちをイラつかせている原因だ。
山本は美鈴さんに隠れて浮気をしていた。そして東京での浮気相手に本気になったので美鈴さんと別れるために彼女を呼び出し、自分と浮気相手の三人で話し合おうと思っていたらしい。美鈴さんとは日曜日の午後一時より少し前に黄金井駅近くで合流していた。だが浮気相手があまりにも気分が悪そうなのでタクシーを呼ぼうとちょっと離れた隙に二人が居なくなったそうだ。
電話をかけるが二人とも繋がらず、二人を探して街を彷徨い1時間ほどウロウロしていた。この時点で午後一時五十分ごろ。次にアパートに戻ったが浮気相手は帰宅していなかった。もしかして美鈴さんが彼女を連れ去ったのではと思った山本は、A県の家に新幹線で帰った。が、そこにも美鈴さんも浮気相手も居なかったと供述している。
死亡推定時刻は日曜日の午後一時から二時の間。厳密には一時半前後ではないかというのが検死結果の所見だった。つまり、供述通りなら無蔵野市内の空き家で山本が犯行を行うことは出来ない。
裏を取ると、黄金井駅前の喫茶店に慌てた様子の山本が「人を探している」と飛び込んできたと喫茶店の店員からの証言も得られたし、街頭のいくつかの監視カメラ映像もあった。
午後十二時五十分過ぎに浮気相手を抱えるように連れた山本と、美鈴さんらしき女性が話している姿や、その後、街中をウロウロしている山本の姿が捉えられている。山本は二人に電話を何度もかけていたので携帯電話の基地局も調べた。発信地域は常に黄金井駅周辺。美鈴さんと浮気相手の受信地域は同じで最初は黄金井市内、その後無蔵野市内の死体発見現場だ。山本には完全なアリバイが成立していた。
昨日、その浮気相手……山本の隣の部屋に住む独身女性、安西青江に二人の関係は知らないふりをして聞き込みにも行った。彼女は被害者の写真を見て僅かに動揺した。山本の事を訊くと交際相手と言わずに友人だと嘘を吐いたから、被害者を知らないと言ったのも嘘の可能性が高い。
まあ普通に考えれば、山本に頼まれて安西が美鈴さんを殺したんだろうと思う。
ところがだ。安西に会いに行った後、有働さんは「あんな力も意志も弱そうな女が殺人を完遂できると思うか?」と首をひねりだした。まあ普段からよく「刑事のカン」とか言ってる人だから、そんな非理論的な話は無視してもいいんだが、問題は山本の態度の方だ。
ヤツはA県から帰らない理由を「美鈴の遺体が帰る家はここしかないんですから、葬儀もあるし僕がこの家を守らないと」と嘯いたそうだ。これが浮気をしていた男の言う事か。
しかも安西に本気になって美鈴さんとは別れるつもりだったと言ったくせに「最初は美鈴が青江を連れ去ったんだと思ってました。でも逆だったんですね。青江が美鈴を……」とまで言いやがったそうだ。
あの、いかにも男慣れしていなさそうな安西を誑かし、手を汚させておいて自分は知らんぷりで切り捨てているのだとしたら血も涙もない話だ。駅前で二人を一時間近くも探していたのも不自然だ。アリバイの為にワザと探すふりをしていたのじゃないかとすら思える。
何とかして安西に「山本亜紀良の指示で美鈴さんを殺した」と自白させたいと俺は考えていた。多分、有働さんもそうなんじゃないか。
その有働さんは窓の外を眺めながら唇を動かしている。俺は「ニコチン依存症かよ」という言葉をぐっと飲み込み、公園近くの駐車場へ車を入れた。