2・安西青江視点・Ⅱ
* * *
『ごめん。刑事さんに聞かれたので友人だと言っちゃった』
私はアキラにメッセージを送信した。
暫くすると既読が付き、返信がくる。『?』のスタンプ。次いでメッセージ。
『刑事? どゆこと?』
私は息を深く吸い、吐いてメッセージを送る。
『こないだ起きた事件だと思う。女の人が死んだやつ。刑事さんが聞きこみに来たの』
私たちが住む黄金井市のとなりの無蔵野市内の空き家で、月曜日に女性の他殺死体が発見されたのだ。翌日には女性の身元が分かり、ニュースで被害者はA県に住む山本美鈴さんだと名前も知った。私はスマホを触る指が震えていると自覚しながらもメッセージを打つ。
『アキラは事件と関係ないよね?』
返信が来るまでの間、時間がゆっくりと流れ逆に自分の脈はどく、どくとハッキリと速くなっているのを感じていた。額に嫌な汗がにじむ。
静かな部屋のなかでピロン、と陽気すぎて滑稽にも思える通知音が響いた。
『俺? 事件に? あるわけないじゃん。そっちこそ関係ない?』
その文字を見て私を重く縛っていたものが解けた。ああ、良かった。そうだよね。アキラが被害者の人と関係があると疑ってしまうなんてどうかしている。
アキラは私に大きな嘘をついていた。だから少しだけ信じられなかったのかもしれない。
アキラは私の恋人だ。
きっかけは4ヶ月前、アパートの隣の部屋に彼が引っ越してきて挨拶をされたところから。私は過去に予知夢を気味悪がられたりからかわれたりした経験から人見知りで引っ込み思案になっていた。
でも彼はいつでも優しく暖かい雰囲気だった。最初はイケメンだからと警戒していたけれど私はその優しさに徐々に惹かれていって、話をすると共通の趣味があることがわかった。それで一緒に買い物に行ったりするうちに距離が縮まり、遂に彼に交際を申し込まれた。
お互いにお金もあまりなく、贅沢はできなくて慎ましやかだけど幸せなおつきあいだった。私はこんな幸せが自分に訪れるなんて嘘みたいと思いながらもどこか浮かれていた。
そして先週の日曜日、たまには外食をしようと駅近くのファミレスに二人で出掛け、珍しい味の紅茶や二種類のドリンクを混ぜた飲み物などを楽しみながらランチを摂っていた。食後にもう一杯の紅茶を飲んでいたらこんなことを言われたのだ。
「ごめん、俺、実は結婚してる」
つまり、私は知らずと不倫をしていたってこと?
目の前が真っ暗になり足元ががらがらと音を立てて崩れ落ちる漫画の表現、あれって良くできてるなと思う。私は視界が一気に狭まって、足元が覚束なくなった。今までも気圧のせいなんかで体調が悪くなることはあったけど、これは格別だ。ぐらぐらと揺れる世界のなかで喘ぐようにしか声が出ない。
「嘘……だって、指輪してない」
彼は気まずそうに左手にチラと目をやった。
「もうずっと前から夫婦仲は冷めてた。東京にはA県から単身赴任で来てて、もう妻とはやり直せないと思ってたから外してたんだ」
「……なんで、最初に言ってくれなかった……の?」
「ごめん! ほんとごめん! でも最初に言ったら青江、俺とつきあってくれた?」
「……」
唇が細かく震える。頭の中がぐわんぐわんして深くものを考えられない。今食べたばかりの、茄子とトマトのパスタランチを吐きそう。勿体ない! 久しぶりの外食で、奮発してドリンクバーまで頼んだのに!
「……無理」
「だろ? だから言えなくて……。だけど青江のことが大事だから妻とは別れるつもりなんだ。今から話し合おう。悪いようにはしないから安心して」
……安心? 何を? アキラがもし奥さんと別れたって、私に嘘をついていた事実は消せないのに。ああ、本当に視界が暗くなってきた。このまま眠って、起きたら全て夢だったってならないかしら。
でも私なら予知夢になるかもね。結局私はこの運命から逃れられないのかもしれない。
私はぐらぐらした頭を落とさないように必死に耐えながら立ち上がった。アキラに支えられてファミレスを出たところまでは覚えている。その後は……思い出せない。視界がどんどん狭くなっていって……その狭い視界の中に白いワンピースに白い帽子とマスクとサングラスを着けたロングヘアーの女の人が映って……。
私はそこまで思い出してハッとした。
どうしよう。刑事さんに嘘をついてしまったかもしれない。私はあの女の人に会っている? でもそれは夢の中だと思っていたのに。
ああ、どこまでが夢? 現実? それとも予知夢?
私があのひとの首を絞めたのは。指になまなましい感触があると思ったのは。