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高井伸一 後半


 程なくして戻ってきた二人は先ほどまでと同様、麗華がいないものとしているように二人で談笑を始めた。麗華もデートコースのシミュレーションを立てている風にスマートフォンに文字を打ち込んでいる。ふたりが気にしてそれを覗きに来ることは想定していないが、念のため記入内容は真面目である。実際カウンター席の座り心地、カウンターの木目や質感、スロウなクラシックを基調としたBGMに間接照明や観葉植物。審美眼は持ち合わせていないと自覚している麗華の目にはすべてが上等のものに見えていた。キョロキョロ見回しては文字を打つ、そんな演技に没頭するのは考え無しに絞ったエビエキスのせいで水割りの味が変わって事前に標的3に予防措置を取られまいかとの恐れを思考の中から追い払うためだった。もしエキス混入に気付かれたら標的3がママを容疑者に挙げるのは考えにくい。真っ先に麗華に襲い掛かるだろう。事も無げを装いつつもその最悪の事態も視野に入れていた。


 「あら?高井さん酔っちゃった?」


 「まだまだ行けるわ」


 ママの問いをそう笑い飛ばし、お代わりを要求するようにグラスをママの前に進めた。


 「ですよね。でも高井さん、顔に出ること滅多にないから」


 そう応じながら水割りを作り始めたところで標的3は席から崩れ落ち苦しみ出した。酔い始めとママが見て取ったその数秒前より明らかに顔が紅潮している。


 「あらあら珍しい。しっかりしてくださいよ高井さん」


 ママは標的3ちょっとしたドジで椅子から転げ落ちたのだろうと回り込んで客席側に出てきた。


 「あら、大変」


 ママは標的3の悶絶する様、尋常ならざる顔色で事態が思ったより酷いことを察した。彼女が標的3に駆け寄る前に麗華が立ち上がってその二人の間に入るように救護に入る振りをした。


 「だ、大丈夫ですか」


 当然後から来たママに最接近の位置は譲るのだが、それでも後から駆け寄るよりは近い位置を維持できている。


 「あ、あの、この人急性アルコール中毒とか、ないですか」


 先ほどの悶着でママがアナフィラキシーはおろか、アレルギーに疎いだろうと想定できた。ならば別の情報をさらに与えて不適切な行動に誘導することも可能だろうと考えていた。


 「ど、どうかしら。付き合いは長いけどそんなことはなかったと」


 元々おっとりとした性格なのか、危機感の薄い反応だ。麗華の眼下、標的3は呼吸困難に陥っているようだ。


 「とにかく苦しみ方が普通じゃないですね。救急車呼びましょう」


 「ええ、そうね」


 ママは急いでカウンター奥の固定電話に向かった。その後ろ姿を見送った麗華は叩き落として転がっているエピペンを拾い上げ、エビの破片たちが収まっているポケットにねじ込んだ。転倒後、朦朧としつつも使おうとしたそれを麗華は救護の振りして阻止していたのだ。


 「ええ、急性アルコール中毒、かも知れないです」


 119番通報の先に告げるママの声がかすかに聞こえる。標的3の脈はまだあるが呼吸は止まっている。このバーの近隣の施設は警察関係と防犯カメラ以外、麗華の頭に入っていない。それでも都会と認識される繁華街の片隅に迅速に救急車が到着するとは思えない。運良く搬送済みや帰還中の車両が近くにいて対処できたとしても、多分呼吸が止まってから既に2分は経っている。更なる幸運がいくつも積み重ならない限り、最低でも酸欠による脳障害は残るだろう。その状態が本来求めた殺害というものと違っても生活が困難なレベルになっていればそれは目標達成と見てもいいだろうし、もし多少の不自由で生きながらえているなら時を置いて改めて挑むのもいい。そんな人材が暴力団庇護の下で生活を続けられるとは思えないし、多分今回より楽なミッションになるだろう。


 「ね、高井さんの具合はどお?」


 切迫した事態を肌で感じたママが不安そうな表情で戻ってきた。まだ痙攣を続ける標的3の傍を離れ場所を譲った。


 「か、かなり悪そうです」


 麗華はそう告げると標的3の手をママに握らせた。


 「え、っと。付き添って呼びかけるとかいいんじゃないでしょうか」


 常識的な医学なら多分呼吸確保や心臓マッサージが推奨されそうな場面だろう。当然対象の死亡を狙う麗華は不自然のない程度にズレた対処を指南した。ママは律義にそれを実行に移した。


 「あ、あの、私これで失礼します。お代はここに。お釣りはお見舞いにしてください」


 麗華は一万円札をカウンターに置くとグラスを重しにした。


 「お大事になさってください」


 救急車が来るまで滞在するのが自然か、ママをこの状態で放置するのは酷か、いろいろと思案を巡らせたが麗華はバーを去ることを決断した。今演じている陰キャがそこまで他人を思いやる行動をするというのも不自然に思えた。


 「ごめんなさいね、面倒に巻き込んじゃって。よかったらまたいらしてくださいね」


 ママは泣きそうな顔で笑顔を作って麗華を見るとまた標的3に向き直り握った手や身体を擦りだした。

 標的3は麗華最愛の兄を殺した複数前科持ち、元凶悪犯だ。この人のよさそうなママが何故ここまでそれに献身的に尽くしているのかさっぱりわからなかった。

 麗華は愛というものは家族、兄弟、恋の全てが対象を兄としてきた。大学時代に美樹に勧められて恋愛小説や映画に接したこともあった。どれも世間的にはヒットした、多くが共感、感動する物語だったそうだが麗華の心には全く響かなかった。

 世間様とズレている恋愛観、麗華は自分に理解できない男女関係もあるのだろうと自分に言い聞かせつつバーを後にした。


 麗華はすぐ帰路に就かず、バー近辺を周遊するような形でふらついていた。多分既に目的は達しているだろう。それでも救急車の到着時間を確認しておきたかったのだ。不自然さがないように散歩を続けていると、ある疑惑が頭をもたげた。緊急車両のサイレンがなかなか聞こえないのだ。もしかしてママはあの時振りだけで緊急通報していなかったのではないか、あの献身さは麗華の目があったからしていたのではないか、と。

 疑惑を持ってすぐサイレンが接近するのが聞こえた。実際あの時通報していたとしたらおよそ20分経過後だ。昨今不必要な通報が多く緊急車両到着に時間が掛かっているという報道は見たことがある。それでも平均10分未満とされていた。

 もしママが標的3の絶命を望んでいたならそれでよし、不運が重なって処置が遅れての死亡となればママの罪悪感も幾分か緩和されるだろう。

 

 麗華は近づいてくるサイレンを背にようやく帰路に就いた。

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