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17/21

下川秀兵 前半


 標的6が出所するまでの約半年、麗華は取り立てて調査行動をしなかった。組長と弁護士は一般社会で生活しているので先々のことを考えれば何かしらの行動をしておくべきだったのだろうが、彼女は今まで調査に当てていた時間をほとんど身体の鍛錬に充てていた。それ以外は生活姿勢は全く変わらずコンビニバイトも継続中だ。変わったところと言えば午前のミーティングで食する菓子の類を志田と別のものを用意するようになったくらいだ。味の系統は似たようなものだが、麗華が口にするものは大体大豆やミルクなどタンパク質強化の売り文句が付くようになっていた。ほぼ毎日会っている志田は日々続く微かな変化に全く気付いていないが、麗華本人は体重計のという客観的な数値で変化を実感していた。

 一方志田の方は麗華側の標的をリサーチしたり、彼女の大願が成就した暁に手にする5枚のカードを誰に使うかも並行して考えていた。

 『死ねばいいのに』、本当の死を願うわけではないが、嫌悪を抱く相手に軽い気持ちでそう思うことがあるかも知れない。幸いにも志田は人生で極端な挫折や人間関係の破綻は経験していない。そのお陰かその『死ねばいいのに』とほの暗い感情を持った記憶がなかった。逆にその清廉さが表面上は人類文明の正義を掲げるような組織が醜い我欲の巣窟という事実を目撃したため一気に裏返ったのかもしれない。

 今は少年法で守られたため軽い刑罰で済み、もう一般社会に戻っているという現在45歳男性の形跡も追っていた。老人と子供、弱者ばかりを殺害したその数は麗華が下した天誅の数を上回っている。他にも候補はあったがこの男が5枚のカードから漏れることはないだろう。

 まだ小手調べ程度だが組長と弁護士の調査もしている。ガードが堅い組長はともかく、弁護士の方は臭いネタがボロボロ出てきていた。


 小山隆司、自称人権派弁護士は凶悪犯の弁護の傍らで目立つ弱者救済の憲法違反系の仕事を請け負いメディアに顔を売っている。ふたりの行動の結果暴露に至った児玉の違法風俗、そこの常連客だったというネタも出ている。情報自体が警察側の違法なネットへのリーク、発見者がウェブ魚拓も取らずにはしゃいだため、すぐソースは消去され真偽不明、名誉棄損の法的措置を突き付けられた発見者も謝罪して事を収めるという結末になっている。実質組の顧問弁護士のように立ち振る舞っているが、その庇護下にあるわけではない。無事下川の処分が終われば想定されるその苛烈さのクールダウンついでに処置できそうな緩さだった。


 三島与志子、端場武組組長。42歳の美魔女は殺しても死なない様な雰囲気の下川とは別の、ガードが固すぎて偶然の事故を装うのが不可能ではないかと思える難敵だった。常に武闘派、法務に武器担当の三名をボディガードを引き連れていて、その三人一組はチームはあって頻繁に交代している。三島行きつけの酒場で聞き耳を立てていると、三島空母打撃群とあだ名をつけている人がいた。武器担当は3チームとも警戒監視の任務も負っているようで志田はその視線で尾行を断念することもしばしばあった。未だ塀の中の下川が出所後どんな行動スタイルを取るか不明だが現状で三島は最強、難攻不落の目標なのは間違いなかった。



 「ついに明日ね。どお?一緒に見に行く?」


 いつもの午前のミーティング、プロテインチョコバーをかじる麗華に向かって志田が提案した。モノにもよるが出所直後というのは絶好のシャッターチャンスでもある。実際児玉の数少ない素顔はその時撮られたものだった。後の写真はほぼサングラス装着、半数以上は帽子もかぶっていた。誘いを断られても志田が調査に出向くことは確定している。


 「そうね、別々で行きましょう。あなたは望遠撮影よね」


 施設が施設だけにその近辺をわけもなく散策るような人はいない。単独行動で素行調査をしていた時は近くのコンビニか牛丼屋で待機、迎えの車から人が下りてくるタイミングで場所をカフェに移す体でゆっくり通り過ぎ、眼鏡内蔵のカメラで被写体を捉えるという行程で画像を押さえていた。元々今回もそのつもりだ。


 「国道沿いのカフェに行く途中って設定で通るから、よかったらそこで落ち合う?」


 「あ、いいわね、あそこ。じゃあ3時から5時の間くらいにそこで」


 志田はあまりにざっくりした時間を提示したが麗華はあっさり快諾した。昨今の出所は公的には午後3時と指定されているが、何かしらの問題でもあるのか、前倒れはないにしても一時間程度遅れるのが定例になっている様なのだ。その後ろ一時間にさらに一時間足して二時間。長時間滞在を忌避する店でないのは知っているので何ら問題ない。出所後の行先を一応調べておくつもりだった志田だが、下川はここに来て初めての妻帯者。頻繁に面会に行っていた妻との仲も悪くない様なので組事務所か自宅の二択だろうと高を括っていた。そのせいもあってお茶のお誘いに簡単に乗ってしまったのだ。



 「志田さん」


 待ち合わせのカフェに着いた志田を先着していた麗華が手を上げて呼んだ。


 ウェイトレスに待ち合わせの旨を伝え、麗華の四人掛けの席まで歩み入った。


 「おつかれさまでした」


 麗華はいつもと変わらぬ落ち着いた表情で志田を迎えた。改めて見るといつの間にかサイズアップした筋肉に男装がよく似合っている。傍目には一般人のデートにしか見えないだろうと志田は思った。そんな浮かれた思考もついさっき終えた標的の下見のことを思い出しすぐ気持ちが落ち込んだ。


 「ごめんなさい、あなたの言ってた恐いっていう感情、仕方がないわ。過剰に怯えているだけって思ってたの。ホントごめんなさい」


 志田は心からの謝罪を感じさせる深さで頭を下げた。


 「男性視点なら違うかもだけど、わたしからみたらもうあれは別の種の生き物だわ」


 志田はため息を吐くとウェイトレスを呼び、憂さ晴らしでもするかのようにコーヒーにケーキ類をみっつ注文した。麗華も便乗してコーヒーのお代わりとケーキを一品追加した。


 「何よあの首、わたしの太腿、いえウェスト並じゃない」


 麗華もちらちらと視線の端に捉えつつ確認した標的6は裁判の傍聴で見たときよりさらにパワーアップしているように感じた。


 「きっとあれ、児玉と同じ状況でも全く動じないと思うわ」


 不穏な会話なのは間違いないが、殺や死に絡む単語は回避しているのでオーダーを持ってきたウェイトレスも恋人たちの愚痴タイム程度にしか見ていないようだ。ケーキを口に運ぶたび一瞬表情が晴れる志田だがすぐに鬱屈とした表情に戻る。脅威度が増したとはいえ元々標的6を怪物扱いして怯えていた麗華は覚悟があった分だけ動揺は少なかった。


 「元々筋トレ依存症の傾向があるって話だったし、DV、内側に暴力を向けない分、外側には狂暴極まりない性格らしいよ」


 麗華は深々と溜息を吐いた。標的に対する悪意や敵意にそれぞれムラはあったがどれに対しても士気だけは一様に高かった。志田がここまで士気が低下している麗華を見るのは初めてだった。


 「まあ趣味がバンジージャンプとかスカイダイビングであることでも願いましょ」


 志田は自分を鼓舞するようにケーキの追加注文をした。その意を汲んだ麗華もそれに続いた。



 標的6の出所から二週間、ふたりは決定的なきっかけを掴めていない。午前は深夜バイト上がりの麗華が、午後から深夜帯は志田に交代で、ほぼ常時つかず離れずで行動監視をしている。その行動は破天荒そのものでだった。

 大体裏路地や地下駐車場で喧嘩をしていたり、地下で賭け闘技会に出てたりと、とにもかくにも人を殴っている。そんな行動をとれば敵対勢力周りが恐れをなして接触を避けそうなものだが、どの組、どの半グレ集団にも似たような人間がいるらしく、そんな集団でルールや決まりごとが出来、自然発生的にちょっとした格闘団体が出来上がっていた。麗華や志田には無敵の怪物に見える標的6ですらランキングは4位だった。もっとも体重別クラス分けがないので現在のトップ、暴力事件で角界を追われた元力士の圧倒的質量差があるような相手に後れを取ることがある程度で、実力は誰もが認めるところだった。

 稀に己の実力を過信した若者の乱入があったりするらしいが、死亡事案は警察の介入を招き、組織の解体が懸念されるということで絶命しないギリギリのラインで留め置く暗黙の了解もあるらしい。

 ジムでトレーニング、路地裏で喧嘩、地下で闘技会、稀に組の仕事で交渉相手の威圧役をする程度。とにかく標的6は常に多数の視線にさらされている。例外は自宅滞在中で妻と二人大人しく過ごしているようだ。


 「何か事故のきっかけになるものはないかな」


 志田が行動履歴をまとめながらつぶやいた。麗華は肩越しにそれを眺めている。


 「いっそのこと、組織間抗争でも偽装して射殺しちゃいたいよ」


 何の返答もない麗華に代わって志田が続けた。


 「反社集団の割に、あの団体のメンバーは負けても報復に出るとか恨みを持ち続けるとかないっぽいんですよね」


 やっと麗華が口を開いたが、その内容はさらに手段を狭めるような話だった。


 「まあ裏を端場武組と、他に3組織で持ってるからね。下手を打てば暴力団4団体に付け狙われると思えば場外では大人しくなるのも仕方ないよ」


 ふたりは一瞬顔を見合わせた後、ほぼ同じタイミングで溜息を吐いた。


 「まあわたしは付き合うと決めたら事故偽装の案が見つかるまで根気よく張るつもりだけど」


 志田は深呼吸を挟んで続けた。


 「下川がこんなライフサイクルを延々続けると仮定して、何かしらプランBを考えておくべきじゃないかな」


 「プランB?」


 「そ。事故の偽装を諦めた直接的な手段」


 麗華は返答に困り考え込んだ。


 「極端に悲観的になる気はないけど、今迄みたいな緻密な下準備の末ってのは難しそう。平時と違う行動時の偶発事故を狙うくらいしか今は思いつかないな」


 麗華が回答を出す前に志田が続けた。


 「工事現場から資材が落下、旅先で交通事故、生肉や違法食材提供店舗などで食中毒、等々」


 「現状の定例ルートで狙えるのが嫁宅、次点で喧嘩傷の行きつけ治療院。どっちも標的以外に危害が及ばないという大前提を覆すことになりそうだけど」


 志田は既に思い至っていたものの、制限の枷に囚われてあえて口に出さなかったものを続けざまに伝えた。そのどれも麗華が飲まないことも承知の上である。


 「そうね。二か月調査の後、何の突破口が見つからなかったら…」


 麗華は悩んだ末に結論を先送りした。しかし内心では決心はついている。そのために鍛えた身体、日々の鍛錬なのだ。

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