待機期間と今後の展望
標的5は意外な顛末を辿った。死亡事故をしっかり演出できはしたのだが、その発覚が何と執行日から三日後だったのだ。組の関係者、常に同行している舎弟、違法風俗関係者の誰もがその失踪に疑問を持たなかったのか、第一発見者はマンション直下、一階の住人だった。報道に乗った第一報は死後二日以上経過と推測と出ていた。自殺、事件か事故全ての可能性を考慮して捜査を進めるとのことだった。
すぐ後に出た続報でより正しい推定死亡時刻と、自殺の線が薄いと報じられて報道はほぼ終わった。とあるメディア一社が地方版で詳しく掘り下げていた。
転落死はマンション直近のコンクリート部分の地面でなく土がむき出しの所に落下し、その柔らかさと接地時の姿勢のせいでマンションより離れる方向に1メートルほど転がったらしいとのことだ。マンションの売り文句にもできそうなベランダからの眺望も上層階のみ。下層階は手入れが行き届いていない庭に枝が広がった常緑樹。ベランダ側というすぐ発見されそうな場所に落ちた遺体は木陰と意外な視線の少なさによって発見が遅れたらしいとのことだった。
その報道は一中年の怪死よりそれが運営していた違法風俗の方に重点が置かれていた。それゆえ当時部屋にいた女性たちの怨恨による殺害という先入観を基に展開されていた。
麗華は今までの行動において標的の生死確認はほとんどしていない。全てにおいて手応えは持っていたが確証を得る前に逃亡や撤収に移っている。死亡事故とメディアに報じられて初めて自分の行動が完遂できたと実感するのだ。今回はそれに至るまで三日も待たされたのだ。平静を装い普段通りの生活をしてきたがずっとヤキモキしていた。当然自制は利いていたが、現場に戻る犯人を演じたくなることもあった。
「で、犯人はそこの囚われていた女性じゃないか、ですってよ」
前日麗華同様やっと心のつかえが取れた志田がネットの続報を見ながら呆れた口調で言った。
「まあ他殺を疑うなら真っ先に容疑者に上がるのはあの子たちだろうし、ちょっと申し訳ないわね」
麗華もコーヒーを飲みながらスマートフォンで同じ記事をチェックしていた。
「この件であの子らの人生が少しでも好転すればいいんだけど」
パソコンデスクから立ち上がり、コーヒーのお代わりを注ぎながら志田が言った。
「突き落として殺害したとしたら、遺体に何か形跡が残るものなのかしら」
麗華は女性たちに冤罪がかかるの危険性が心配になってきた。捜査状況をどれだけメディアに公開しているかは不明だが土由来の鈍器など、麗華たちの犯行に結びつきそうな情報や推理は出ていない。
「背中を押したとしたら、そこに手の平の角質が残るとかあるのかしらね。そもそもそれ以上の濃厚接触後のことだし、特に逃亡や窃盗を働いていた訳でもないみたいだから早々に嫌疑は晴れるんじゃないかな」
志田はチョコクッキーをかじりながら文字通り他人事といった雰囲気で答えた。
「そうよね。さすがに今どき圧迫聴取で自白強要のゴリ押しもないでしょうし」
死亡事件発覚によりやっと確定した作戦の成功。麗華は緊張が解けたところにまた新たな心配事を抱えたくはなかった。志田の意見と自分の所感を合わせて霧散とまでは行かずとも、平時は気にならない程度に心配の度合いは薄れた。
「じゃあ今日はこれで失礼するわ。本当におつかれさま」
前回は山盛りケーキで健闘を称えあったが、今回は何故かこれが正しいような気がして麗華は右手を差し出した。
「そうね、ホントおつかれさま」
志田はしっかりと握手を返すといつものように扉まで麗華を見送った。
「あと三人か」
閉まった扉に語り掛けるように志田はつぶやいた
「手伝ってもらった人数分だけ手伝うわ。それが終わったらおしまい、それでいいなら」
二人の関係を詰めたときに麗華が出した結論の台詞を志田は思い出していた。悪く言えば手駒、志田は麗華との関係を率直に明かした。その上で彼女の標的を手伝った人数分、その手駒として働くと約束している。別に契約書を作ったわけでもなし血判を押したわけでもない。そもそも非合法な仕事にそんなものが効力を発揮するわけではないし、手伝わせるだけ手伝わせて悲願達成後に失踪する可能性もある。ただここまで一緒に働いてきた感触として、麗華は約束を守ると志田は確信している。その確信が早く麗華の分の処分を終わらせ自分が狙っている天誅対象に取り掛かりたいと気が急いているのだ。
麗華が標的にしている残り3人、組長と弁護士は収監されているわけではない。麗華はそのふたりをラスボス扱いしているようで有罪犯全ての処理を終えるま執行しないと言っていた。懲役刑最後の一人はまだ半年以上出てこない。それまでの期間、組長はともかく弁護士に取り掛かるのは悪くない選択だと思えた。
志田は翌日のミーティングでその旨を提案しようと考えた。
「ごめんなさい、この順序は変えられないわ」
麗華は心から申し訳なく思っているふうに詫びた。
「わたしの対象を挟むって訳じゃないのよ、あなたの三人を効率よく回そうって話だけど」
「うんわかってる。でもこれだけは譲れない、というかあの男は真っ先に処分したいの」
麗華は頑として譲らなかった。
「ここまでいろいろと冷酷非道なことをしてきたし、組長や弁護士も同様の対処が取れると思ってる。ただ標的6だけはそれができるかどうかわからないの」
下川秀兵、志田も既に片手間で情報は収集している。爆破犯の主犯格で組きっての武闘派。重量級ボクサー崩れの人を痛めつけるのが趣味のような男。主犯格という点で早めに処分したいのだろうか。
「八人中七人、標的6以外なら誰でも密室でふたりきり、手には刃物があれば躊躇なくそれを相手の喉に突き刺せる自信があるの。ただ標的6、あれだけはきっと恐怖で身体が硬直して動けなくなると思うの」
麗華は深刻そうな顔で目を伏せながら言った。
「順序は偶然最後になったけど、八人全員が一般社会にいたらまず真っ先に標的6を狙ってたわ」
麗華は困惑と固い決意が混じった複雑な表情で続けた。
「標的6をきっちり仕留められたらきっとその後どんな困難も、どんな苦境も乗り越えられると思うの。逆にあれが残っている限り常に何か背後から狙われているような恐怖があるの」
麗華はあの事件の裁判は可能な限り傍聴した。まともに追い詰められない検察側には歯がゆさを、白々しい答弁や内心ゆえ証明が出来ない虚偽答弁を繰り返す被告には悪意や敵意、殺意も抱いた。ただひとり、標的6だけは何故か怒りの感情より恐怖が勝って、そんな自分が許せなかったのだそうだ。
「順序を守らせてくれるなら手駒契約を一人分増やしても構わないわ。このまま行かせて」
麗華は真摯な態度で頭を下げた。元々志田の言い分自体契約を交わしていたわけでもないし、嫌の一言で突っぱねても問題なさそうだ。それを謝罪と共に不利な条件を一つ上積みした麗華に対して志田は強く出ることはできなかった。
「わかったわ。元々あなたの仕事だしあなたの好きにしましょ」
今まで麗華と共に暗躍してきた時間を考えれば出所待ちの半年がそれほど長いとも言えない。それにその間調査する対象もふたり残っているのだ。志田は大人しく引き下がることにした。