児玉和夫 前半
標的4の作戦は麗華が爆破作動開始の設定時間のおよそ二時間後、予定通り自損事故を演出した。死者は運転手一名、通行止めが発生するも早朝には復旧し、彼女が願う第三者への被害は極力出さないで済んでいた。初めて協力者と共に遂行した作戦だったが、特に会って喜びを分かち合うようなこともせず、スマートフォンの事務的なやり取りだけで留めていた。
麗華が志田の下を訪れたのは週が明けた月曜だった。志田はまるで部活動の大会一回戦を勝ち抜けた学生のような軽い高揚感と共に麗華を迎えた。いつも通りの朝の訪問だが、その日は朝食と菓子に加えてコンビニのちょっとお高いスウィーツを持参していた。辛うじてまだ自己の客観視ができている麗華は、殺人が成功して甘いものでお祝いとはイカレたコンビだと自らを嘲笑していた。
「おはようおつかれさま」
いつも通りドアフォンを押す前に扉を開けた志田はいつもより若干浮かれているようだ。彼女から聞いた話が全て事実なら、麗華は彼女にとって初の協力者で、今回が初の成功事例のはずだ。気持ちは理解できた。
「あ」
部屋に歩み入った麗華はテーブルに自分の買ってきた量の倍近いコンビニスウィーツが並んでいるのを目撃して声を漏らした。不思議そうな視線を投げかける志田に麗華は軽く失笑しつつ手さげの中のケーキを取り出して見せた。顔を見合わせた二人は静かに笑い合い、志田はコーヒーを淹れに行き、麗華は朝食は次へ持ち越して朝は甘いものを存分に堪能しようと決めた。
「残りは後ふたりね。懲役八年が模範囚で来月一人追い抜いて出て来るらしいわ」
「え、まだやっと半分なんだけど」
麗華はここでやっと自分の計画の全貌を話していないことに気付いた。確かに傍目には有罪の六人を始末して一件落着と見られていてもおかしくはないと自省した。
「わたしが狙っているのは懲役刑を受けた六人と、あの弁護士、それと組長よ」
麗華は生クリームたっぷりのプリンを平らげ、ガトーショコラに手を伸ばしながら言った。表情、口調共に平静そのものである。
「そっか。他はともかく、組長は厳しそうね」
現在二人の関係は実行者と協力者という関係だ。ただ実行者が目的を果たした後には協力者は依頼者の面も持つことになっている。面倒な標的を回避させて早く自分が依頼者になりたがるのではないかとの危惧は思いの外あっさり晴れた。ただ志田の表情は険しかった。
「先のことはともかく、目の前にまだ標的がいるならひとつずつこなしていきましょう」
志田は自分に言い聞かせるように言うと、己を奮い立たせるかのようにショートケーキをかき込んだ。
「とりあえず、その四人のプロファイルを集められるだけ集め、出せるだけデータは出すからしっかり対処しましょ」
「ありがとう、頼りにしてるわ」
頼りにしている、麗華の偽らざる本心だが、仮にそれが崩れても戻ったり立ち止まったりするつもりはない。元々ひとりでやり遂げると誓った意志は確かに残っている。協力者が付いている現在はただのボーナスタイムとしてそれが切れたら元に戻るだけと自ら言い聞かせている。せめて効果があるうちに多くを進めたいとは思っているが。
うすめ液、標的5は仲間内でそう呼ばれているらしい。溶剤でもチンピラに流して稼いでいるのかと思ったら、何のことはない。足が付きそうな犯罪現場に必ず同行し、実行犯の実数を増やす役目を果たしているのだそうだ。いつ頃からか、凶悪事件も起訴される人数が多いとその個々の量刑が少なくなるよう司法が傾いていた。極端な話、単独犯なら無期懲役の所、実行犯が10人なら全員が懲役10年、といった風にだ。
標的5は60近い組の重鎮という立場ではあるが、ギャンブルもせず、暴力行為もせず、女遊びと酒を除けばその風体と相まって冴えないサラリーマンにしか見えない。ただ組ではうすめ液として先代から仕え、今回のお勤めで前科は6犯に及ぶらしい。その冴えない風貌が反省しているように見え量刑は軽く、模範囚として釈放も早くなるのだとか。実際今回課された最長の量刑は前科を加味しての期間だったが、出てくるのはビリではない。
「これ、児玉の顔写真ね」
出所の確認と最初の接触を買って出た志田が、眼鏡内蔵のカメラで撮った標的5の写真を多数モニターに表示した。麗華は情報から得られた印象との差異に戸惑った。170センチ程度の身長に中折れ棒、サングラスをほぼ常時着用と、素顔が映っているのは出所直後の数枚しかない。服装で箔を付けようとしている感は拭えないが、それでも数枚の素顔から見て取れる眼差しはくたびれたサラリーマンには見えなかった。今まで標的の取り違えは一切考慮する必要はなかったが、もし実行段階で帽子とサングラスを着用していたら、影武者の可能性も想定に入れるべきと麗華は新たな心配事に辟易した。もっともサングラスはともかく、この特徴的な帽子、見た限り色違いなど複数所持しているようだがシルエットが全部同じなので中身が当人と断定されている場合は追跡は楽そうである。
「とりあえず週交代で素行調査してみましょう。で、双方が狙いどころを提案して一致すればよし、違えば検討するということで」
「じゃ相手の意見に左右されるのを防ぐ意味でとりあえず二週間来るのを控えるね」
麗華は志田の提案を飲み、且つ追加条件を出した。
「そうね、それがいいかもね。じゃあわたしは明日の木曜からやってみるから再来週の木曜日に打ち合わせしましょう」
志田は一瞬躊躇したように見えたがすぐに賛同した。麗華ほどではないにしろ、人と接する機会が少ない志田は二週間麗華に会えないのを寂しく感じているのかも知れない。
二人は会わない間の打ち合わせを終え、それぞれいつもの日課へと戻った。
「当方の調査期間終了、明日より一週間よろしく」
事務的なメールに気付いたのは木曜早朝バイト上がりの時間だった。接触断ちの約束は特に問題もなく過ぎている。水曜日に別れて以降双方全く連絡を取らなかったので、一週間ぶりの連絡である。追記で出立は最も早くて朝9時、帰還は遅いと明け2時。その場所は自宅2、組事務所2、その他3。今は自宅に滞在の旨も記されていた。他はともかく、現在いる地点の情報はありがたい。以前のように組事務所近辺のカメラのモニタリングは止めている。今日から始める尾行はまずどこを起点と出来るか気になっていたのだ。
行動開始が早くて9時なら今から標的5の自宅マンション辺りを張っていれば発見できそうだ。
バイト上がりのまま目的マンションに行くと、舎弟が標的5が出てくるのを待っていた。久しぶりの尾行は対象に感知されないのは当然として、自分に向けられる不穏な視線にも留意するようになっている。到着は9時前だったが標的5はなかなか現れない。舎弟はマンション下に設置されている自販機で缶コーヒーを買う、その空き缶を灰皿に煙草を吸う本吸う、のローテーションを事も無げに繰り返していた。時間はもうすぐ11時だ。一方の麗華はバイト上がりのユニセックスな出で立ちなので男性である雰囲気が滲むような立ち振る舞いを心掛けていた。女性より違和感はないだろうが、まさか二時間近く一カ所で足止めされるとは思っていなかった。視線が通るように牛丼屋で食事、コンビニで立ち読みと位置を変えて見張っていた。監視カメラの向きを気にするのも久しぶりだ。
結局標的5の活動は昼手前から始まった。事前にわかっていれば自宅で軽く睡眠がとれたのにとむしゃくしゃしたが、舎弟が9時前に待機していたので時間にルーズなだけで9時から動いていた可能性もあったのだろうと自分に言い聞かせた。
その後徒歩で30分ほど移動、街中華で1時間強、再び徒歩で1時間弱移動、個人経営の喫茶店で2時間、三たび徒歩で移動してスナックへ。その店を後にしたのは21時、標的5は徒歩で自宅に帰っていった。その間舎弟は離れることなく後ろをついて回っていた。
「まずは仮眠」
舎弟が帰った以上活動も終了だろうと推測の下、急いで帰宅した麗華はパソコンで以前使った自動認識のソフトを標的5のマンションエントランスが見える位置のものを紐づけて起動した。休眠と言ってもよい一週間でその辺りの下準備はしてあった。このライフサイクルも考慮して寝貯めもしてあったが、さすがに一日歩き回ったお陰か心地いい疲労感ですぐ眠りにつけた。ハードな一週間に向けて、起床はギリギリ、通勤は久しぶりに軽二輪使用予定だった。
客のいないコンビニのカウンターでひとり、明けて前日になった尾行初日を麗華は振り返っていた。今まで何人かのヤクザを追跡したが、まるで引退老人のウォーキング健康法みたいな行動の監視をさせられるとは思ってもみなかった。家を出る前に監視ソフトをチェックしたが標的5が外出した形跡はなかった。街中華や喫茶店、スナックで何かしらの仕事をしているのかも知れないが、それでも移動全て徒歩とか全くの予想外だ。タクシーを拾っての追跡も考慮していただけに、見失って足跡不明になるような事態が起きそうにないのはありがたいが、自分が長時間一定地点に釘付けにされる分、逆に自分が不審者扱いされる危険性が気になった。
とにかく肉体的は元より精神的に苛酷になりそうな一週間を予感し、最悪休みの申請もありかと考えていた。
麗華は幸い大きなトラブルもなく、バイトの休暇を申請せず、一週間の調査期間を乗り切ることができた。一方何か特別な、ここだという事故演出地点は一切思い浮かばなかった。信号待ちの最中爆走する大型車に向かって突き飛ばす、そんな目撃者多数の殺人事件。そんな誰でも考え付く安直な方法しか捻出できなかった。
麗華は最低でもひとつは志田が一考に値すると判断する案を出したかった。特に競争心があるわけではないが、もし単独での実行ならここで頓挫したかもとは思いたくないだけだ。
結局麗華は何の妙案もなく二週間ぶりの再会へ向かっていた。いつもはバイト上がり直行だったがこの日は昼過ぎに向かうと連絡しておいた。さすがに昼間から夜にかけての行動調査に深夜のバイトを連日続けたせいで疲労がたまっていた。ぐっすり、というほどの睡眠時間ではないが
思考を明瞭にできる最低限の時間は確保したつもりだった。
「こんにちはいらっしゃい」
前と変わらぬ笑顔で、いつもと違う時間に志田は麗華を出迎えた。その笑顔がひとつの提案も持ち合わせていないことから心苦しくあったが、一方で大して変わらないであろう一週間の行動履歴の中から何か見つけているのか気になっていた。
「えっと結論というか言うか、多分わたしの案を橘さんは認識できていない領域だからまず聞くだけ聞いて。もし橘さん側でいい案があるなら先にい聞かせて」
開催時間帯は違うが、いつも通りのコーヒータイムを囲みながらまず志田が会話の口火を切った。
「お察しの通り、なしです。あの人本当にヤクザなの?引退した老人みたいな生活してたけど」
麗華はお手上げの表情で申し訳なさそうに返した。志田は予想通りの反応が返ってきたと一瞬微笑んだが、すぐに険しい顔に変わった。
「一週間で児玉の帰還場所はどうでした?」
「自宅2、組事務所1、後は女を囲ってるっぽいマンションが4でした。志田さんのその他3ってやっぱり同じマンションかしら」
麗華は事前に教えられた期間場所、その他3というのはホテルなど不特定の場所に三度それぞれ泊ったものだと思っていたが、移動に車はおろか、交通機関すら使わなかった男が一週間違うだけで不特定の宿を使うと思えなかった。
「やっぱりね。明記しようか迷いましたが、まずは出来るだけ予備知識なしで見てもらいたくて」
志田はそう言うと地図が映ったタブレットを差し出した。標的5が週4で帰ったあの場所だ。
「実はわたしはそのマンションをこの一週間重点的にチェックしていてね」
そう言うと志田はタブレットをスワイプした。画面が人名や時間らしい数値、他予想できない数値が羅列されている表が現れた。
「あそこはどうやら無認可の風俗店にしているみたいでね、女の子が二人程いて平均一日10名程度の男性客の相手をさせてるみたいなの」
引退老人というのはまだ若いが、麗華は標的5を単に組の構成員頭数水増し要員、役立たずの昼行燈ではないかと勘ぐっていた。それゆえその対処を考える際に力の抜けた表情になりがちだったがこの話で一変した。
「一応正規ルート、普段から風俗で働いてる子がより高い報酬と労働時間を求めてって例もあるみたいだけど、大体は騙した挙句、借金の形の子が多いみたいね。まあその表の1/3も調査できてないから確定事項とは受け取らないでね」
麗華は一週間すっかり騙された自分に腹が立ってきた。舎弟に飯を奢りのんびりと余生を過ごす気分で暮らし、頻繁に情婦宅に寄って一日を終える。その程度の男だと思っていたのだ。
「マンション契約者の児玉は胴元みたいな感じで気が向いた時に好き放題やってるらしい」
普段飄々としている志田もさすがに詳細を語りだすと憤まんやるかたないといった雰囲気を滲ませ始めた。実のところ天誅を下すこと自体は決定事項なので、今更標的5の悪行が暴かれようが改心更生が発覚しようが全く関係ないのだが。
「わたしの見つけた案は橘さんがバイトの時間だから気付いてないのは仕方がないかな」
そう続けてタブレットに写真を羅列した。あのマンションのベランダで煙草を吸っている標的5が写っている。
「時間はまちまちだけど、あそこに泊まると事後なんだろうけど裸でベランダに出て煙草を吹かすのよね」
志田は今まで見たことのない不機嫌な表情をしている。
「腹が立つのがこの視線の先、結構夜景が綺麗なのよ。クズが欲望の限りを尽くした後で夜景観賞とかマジで殴ってやりたいわ」
麗華は冷静さを保つよう心掛けたまま、既に立てられている作戦草案を見ている。その最後のページにグリグリ動かせる3DCGがあった。8階建てで一階に四部屋、あのマンションだ。その五階北から二番目、標的5の部屋のベランダにワイヤーフレームの人間が付いている。
「で、その煙草の場面ね、写真見てわかるように、結構身を乗り出してるのよ。児玉が長身ってこともあるんだろうけど」
麗華はグリグリCGに再生ボタンも付いていることに気付いて押してみた。屋上から何かが落下し、それが標的5の人型に直撃、地面まで転落していた。
「とりあえずこれがわたしの立てた最善策かな。と言うより唯一の作戦かも」
ずっと続いていたターンを終えたような虚脱感をまとった志田がいつもの表情に得意気な雰囲気を加えて立っていた。
「いいですね、これ。そうか、寝てると思ってた時間にこんな行動をとってたのね」
こんなことならバイトを一週間休んで本腰で調査すべきだったと麗華は後悔したが、それを補ってくれた志田に感謝の念を向けた。
「時間をかけて何か探すのもまだ有り名のかもだけど、これで行きましょう」
「うん。じゃあ話を進めるね」
麗華が差し出した右手をしっかり握って志田が応えた。
「やっぱり陶器の植木鉢とかが無難なのかな」
麗華が落下させる物体について尋ねると、志田は一瞬クスッと笑った後返答した。
「それも手だけど、上の階の人が使ってなかったと証言したら人為的な事故、殺人容疑になるからね。その辺は似た成功事例がウチにあってね」
志田はタブレットで別のアプリを立ち上げて工作機械のような物体を表示させた。1メートルほどの棒状、一端にはまさに植木鉢風味な円錐代の物体、逆の端にはグリップやモニターが付いている。
「土と水を配合して凍らせて凶器を作るの。で、このロッドにセット。推定落下地点をレーザーポインターが照らして、それをこのモニターで確認。セーフティを外してグリップを握れば質量凶器が落下ってアイテムよ」
「へ、へー。物を正確に落とすのにしっかりと装置を作ってるんだね」
DIYで作れそうなアイテムだなと麗華は思ったが、頭部中心線上に当たらないと下へ転落ではなく横によろけてしまいそうな気もするし、精度の高い製品があるなら使わせてもらえればありがたい。
「大丈夫そう?またお取り寄せになるから数日待機になるけど」
志田は自分の立案に何のケチも付かずにOKが出たことに満足気だった。
「ええ、よろしくお願いするわ。ホント案と言ったら車道に突き飛ばすレベルの貧相なものしか思い浮かばなかったから助かったよ」
麗華は自分の提案ゼロでの作戦会議に思いの外緊張していたようで、無事良案が出来たことで解けた緊張が睡魔となって襲ってきた。
「ごめん、急に眠くなってきた。ソファーで休んで行っていいかな」
「わたしのベッド使ってもいいわよ」
「動きたくないからここがいい」
麗華は志田の提案を聞き終わる前にソファーで横になっていた。志田は自分の部屋からブランケットを持ってくると既に熟睡しているような麗華に優しく掛けてあげた。