平良久吉 前半
麗華はファミレスから帰るといつも通り熱いシャワーを浴び、いつもと異なり尾行出発用の目覚ましはセットせずベッドに潜り込んだ。志田への返答はしていないが、眠りに落ちる前に覚悟自体は決まっていた。決定はしっかり寝て、すっきりした思考で下したかったのだ。
「手を借りるわ。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。地声は可愛いのね」
起床時刻を決めずに寝たのは何年ぶりだろうか、16時に目覚めた麗華の決意は変わっていなかった。身なりを整えてすぐに連絡を取った。志田はすぐに電話に出て回答した。
「日本国内にいるのは担当の私だけ。専属じゃないから即応性に欠けるけど、ネット関連の情報収集は本部にサポートが申請できるわ」
現状の把握と今後の展望の打ち合わせとして麗華は志田の招待を受け、彼女の自宅を訪れていた。広めの2LDKマンションが事務所や作戦本部も兼ねると言うことだった。一部屋は完全にプライベートの住居として、もう一部屋が作戦室ということでパソコンにモニター3台、作業台にちょっとした電気工作道具が載っている。
「備品として支給されてるんだけど、いまどき大体既製品で事足るらしいね」
はんだごてを小難しそうな顔で眺めていた麗華に志田が言った。確かに標的1の行動監視に使ったGPSタグは既製品だった。昔のスパイ映画に出てくるようなアイテムは殺傷兵器以外はスマートフォンひとつで代用できるだろう。
「申請すれば拳銃と銃弾程度は入ってくるわ。使う使わないは別として護身用で持っとく?」
厳しい銃刀法下の日本でそんな言葉がさらっと出て来るのに麗華は驚いた。
「いえ、いらないわ。そんなの使うくらいなら作戦失敗でいいわ」
麗華はスリープ状態だったパソコンを立ったままで起動し、表示してある情報を眺めながら応えた。ケース4のフォルダ、動画、静止画、行動履歴文書に移動軌跡の地図、現在遂行中の麗華の調査行動がいくつか示されていた。
「いったいいつわたしが怪しいと見抜いたの?そもそも住所とか調査令状とって情報開示しないと追えないレベルでくらましたつもりなんだけど」
麗華は若干の不機嫌さを臭わせる口調で尋ねた。志田は麗華をモニターから下がらせ、自分は椅子に座って操作を始めた。フォルダを追加でみっつ開くとそれぞれに麗華が関与した事案の捜査資料が出てきた。
「まず第一に、わたしはよく言えば協力者、悪く言えば手駒を探してたのよ。正義の暗殺者たり得る人材をね」
志田はそう返すと麗華の機嫌は全く気にせず操作を続けた。鉄道人身事故以外に麗華の関与が見て取れる部分は少ない。
「で、そんな人材はまず、義憤に駆られた復讐者とか、過剰な暴力で犯罪者を痛めつけた結果懲戒を受けた警官とか、そんなところから選べって鉄則みたいなのがあるのよ」
麗華にたどり着いたであろう証拠を綺麗にデスクトップに並べたところで志田は席を立ち、麗華を座らせ閲覧を勧めた。
「何年か前にあったでしょ、死刑制度反対の弁護士がその妻子を殺した強盗犯に切りかかった事件」
志田はそう言いながらキッチンへお茶の用意に向かった。
「まだ懲役で入ってるけど、もし出てきていたらスカウトの最有力だったでしょうね。ちょっと年齢や体力的に微妙かもだけど」
麗華は示された情報を精査していた。部外秘などの制限はなさそうだが警察の資料のようである。やはり事故の規模か、データ量が一番多いのは標的2の関連だった。ただ確かに容疑者として名前が挙げられていたが捜査には至るまえに事件性なしの結論が示されていた。
「後は出所した犯罪者に天誅をってパターンね。最近は未成年凶悪犯とか世間を騒がしたのはネットに不特定多数で足取り動向が出たりするしね」
志田はコーヒーメーカーのポットとカップ類を持って戻ってきた。
「で、その天誅系の案件を探してたらあの爆破事件の犯人が連続事故死だしね。あの事件は被害者は警官だったし、もしかしたら同僚の仇討ちかと思って調べたら何故か可愛い女の子が出てきたと」
志田はファミレスでブラックを飲んでいたのを見たので砂糖やミルクの有無は訊かずにブラックを注いだカップを麗華に差し出した。
「実際捜査資料であなたの名前を見つけなかったら違う方面を探していたかもね。あなたの行方追ってるうちに三人目がアレだからね。で、あなたを探すんじゃなくて対象を張ることにしたの。まあ不自然さはなかったけど、意図を持って観察していれば尾行している人がいるなと」
麗華は志田が自分を追って来たのではなく標的4の動向調査から発見したのなら仕方がないと納得した。同時に疑惑の目さえあれば一般女性にでも感知される程度の怪しさがあったことも反省した。
現状端場武組に目立った反応は見られない。ただ組織内でひとつの事件関係者の連続事故死は次成功すれば4件目になる。原因を超常的なものに求めてお祓いなどで対処するなら問題ないが、人為的と疑われれば行動や手段がかなり制限されるだろう。志田の助力提案は渡りに船でもあった。
「で、今追ってる平良久吉、やっぱり自動車事故狙いかしら」
志田は事も無げに訊いてきた。確かに彼女の仕事を考えれば至って普通の質問なのだが、自ら手を下さない分、人の死に対する感覚がズレているか、倫理観が一般的な線から外れているような感覚があった。違和感がないわけではないが、既に3件の死亡事故を実行した麗華が唱えられる異議ではないだろう。
「え、ええ。一応数か所狙いどころをピックアップしてるんだけど」
麗華がそう返すと志田は待ってましたと言わんばかりの表情を作り、再びパソコンの前に滑り込んだ。
「いいのがあるのよ、これが」
パソコンに表示されたアイテム、それぞれ直径5センチに厚さ3センチ程度。遠隔操作の指向性爆薬らしい。その脇で動画が再生される。いくつか見覚えのある道路で見覚えのある車がクラッシュする動画だ。標的1に対して麗華が下調べしたようなデータが既に押さえていたようだ。
「これの設置位置、個数、対象の速度のシミュレーションよ。アレが走るルートは一定じゃないから複数のカーブでの事故予想。シートベルトをしている前提で運転手死亡確率80%以上になる条件のもの限定よ」
志田は嬉々と動画を次々再生させている。いくつか高架から落下して炎上する動画があるが幸い壁面激突からスピン炎上のものもある。当然後続車が巻き込まれる可能性はあるだろうが、それでも歩行者さえいるかも知れない地上への落下を考えれば二次被害の可能性は圧倒的に低いだろう。
「ここ、いいわね」
全ての事例を見終わった後、麗華は5番目の動画をもう一度再生した。
「ここね、確かここは対象の通過速度がかなり均一で狙いやすい場所ではあると思ってた」
100メートルほどの直線から半径の大きな左に曲がるカーブに入り、奥に行くにしたがって曲率がきつくなる場所だ。爆薬は右前輪付近破壊用に2個、左後輪で1個、他に1か所設置した場合だと死亡率は96%、とのことだった。
「でもこれって他殺の証拠が残らないものなの?」
麗華は復讐が終わった後のことは一切考えていない。逆にその完遂までは捜査の目をかわし、とにかく逃げ延びねばならないと思っている。多分今回の対象が最後の標的だったらこの質問は出なかっただろう。
「これ結構優秀らしくてね。作動と同時にその発火装置などの回路部分全部をほぼ炭にして粉々にするんだって。一応ミリ単位で破片の回収をして元素解析?とかすれば、もしかしたら車に本来付いていなかった電子回路が付いていたと鑑識が判断する可能性もあるらしいけど」
志田はその爆薬の説明書のようなものを表示し一括翻訳にかけた。爆薬の原料は作動後の痕跡ではガソリンやエンジンオイル類似の燃焼に偽装されるものとある。
ほとんどのシミュレーションで爆薬設置その他1か所としてガソリンタンクの破壊を指示している。設定はガソリン残量1リットルで計算されているようで、そんなガス欠間近でも炎上すると結果が出ている。
「うーん、これこのパソコンで計算できた結果なの?」
実際行動して見なければわからないが、必死で落ち葉を集め、水を運び、バイクの転倒事故を演出したことを思い出すとあまりに楽過ぎる。今までの苦労を思うと事がうまく運び過ぎていて何の根拠もないのに疑念を持ちたくなるのだ。
「本部がスパコンでやってるからね。結構きっちりよ」
志田はシミュレーションの際に使ったデータを表示した。標的4が乗っている車の型式や年式からわかる諸元表の値に、志田が撮ったらしい写真から推察される変動値が加味されている。走行距離やエンジンチューンによる出力変動は無視しているが、間違ってもカタログ値を下回ってはいないだろうとの判断のようだ。タイヤやホイールの銘柄や下げた車高、サスペンションのアライメントなど、車の全周近い動画撮影からデータを導き出しているらしい。
「これなら、いけるのかしら」
麗華は遠隔か時限か未確定だったが、目的地点直前にブレーキラインを切る装置を作る予定だった。ラインが強化されていることも勘案したら相当強烈な切断機が必要になるだろう。そんな装置が事故の検証で見落とされるはずもない。ここの所の調査は装置の考案と共に先作戦で、直前でアレルギー持ち発覚みたいな劇的な最善手段の登場を願いつつの行動だった。それが今、目の前にぶら下がっているのだ。
「ウチらの計算を信用するなら、ね。じゃあ装置の発注するから到着待ちで」
志田はまるでピザの宅配でも頼むような気軽さで応えた。
「失敗しても物証は残らないのを最優先に設計されてるらしいし、リトライは考えたくないけど、まずは計画通りやってみてよ」
麗華は停滞していた作戦が動き出したことを好転と捉えて進むこととした。