志田富美子
「日本っていいよね。国連をかざすと大体のこと通っちゃうの。警察の捜査資料も多少渋られても大体出てくるのよ」
志田富美子を名乗る女はそう言いながらゆで卵に塩を振っている。
「ごめんなさいね。徹夜明けでおなかすいてるの」
麗華が集中してガンを飛ばしている間、志田は複数注文を通していたようで目の前にはパンケーキとパフェが既に並んでいる。
「あなた凄いね。たったひとりでだよね、一連の行動」
志田は食べては話し、話しては食べという感じでせわしない。麗華はきっと撮られているだろう音声データに警戒し聞くだけである。しばしば核心に迫る単語も出て来るが高鳴る鼓動を抑えて平静を装っている。
「まあ結論から言うと、あなたの行動を手伝いましょうかって話よ」
「へ?」
麗華は今まで暴力団組織相手に戦っているつもりはあった。警察組織に後ろめたさを感じる事も日常茶飯事である。しかしどれも都道府県や市町村レベルの範囲での話で、法を犯しているという観点でも精々日本という国家の中だ。それをいきなり国連職員を名乗る女が手伝うと言い出してきたのだ。
話を統括すると標的1と標的3はまだ疑惑の範囲、標的2の事故は麗華が絡んでいることに確信を持っているようだ。何にせよ、日本の警察に事故と判断させた偽装をいくつか見抜き、足跡を消して引っ越した先を突き止めたのだ。どんな組織が動いているのか皆目見当もつかないが、底知れぬ恐ろしさを感じていたところ協力を申し出られたのだ。素っ頓狂な声が出るのも致し方ない。
「警察は優秀ね。その情報提供がなければあなたにたどり着くのにもう少し掛かったわ」
志田によると標的2の捜査途中、麗華がその線上に浮かんだらしい。もし電車に乗らずホーム端から逃走していたらとしてその仮想逃走経路を辿る。動機は怨恨。端場武組に恨みを持つ人がいたらしい。何でも鉄道高架下に路駐しての逢瀬だったらしく、その滞在時間が事故発生の前30分と後1時間程度だったそうだ。服装など全く違ったが運悪く背格好に髪型が酷似していたらしく、その容疑者とされた人は三度ほど事情聴取されたらしい。結局当然だが嫌疑不十分で釈放されたのだが、元々事故として扱っていたものを事件になるかもと高まった熱が一気に冷め、以前一瞬浮かんだ容疑者に食指を動かすことなく元の事故として終結させたとのことだった。
「あなた尾行は上手いみたいだけど、される側になってるのは気付いてないみたいだし」
パンケーキを食べ終え、パフェに移る前に志田はタブレットとメモリーカードを麗華に差し出した。
「表向きは各国の人権や犯罪、犯罪被害者の調査、事後の動向など手広く監査する組織ってことになっているんだけど」
麗華がタブレットでデータを表示すると、明らかに言い分と違う内容が表示された。
「部外秘の文書で英語版しかないから日本語訳はわたしがやったんだけどね。一応原文も入ってるから見てみて。あなたなら多分私よりうまく翻訳できると思うし」
内容はにわかに信じられなかった、と言うより全く現実味がない。
『民主国家で死刑制度が次々廃止になる中、正しいものが虐げられ犯罪者が法の下守られている。現状を打開するため超法規の正しい暗殺者を国連を隠れ蓑にして育成する』
とのことだ。
当初は欧州の数カ国の国連職員が秘密結社的に立ち上げ、その人脈でICPOの一部も巻き込んで組織を構築、現在その人権何某機構に加盟しているのは56カ国、25カ国でその肩書の暗殺者が活動しているとのことだった。
「わたしたちは国連職員として配属先、まあ基本母国だけどそこでいろいろ調査をしている風で相応しい人物にいろいろと協力するの。当然責任は一切持たないし、逮捕されたり返り討ちにあっても一切関知しないわ。ただ今まで背負ってきた負担がちょっと軽くなるだけのこと」
志田は空のコーヒーカップを摘まみ上げ、お代わりを注いでくる意を示して席を立った。麗華はテーブルの上のタブレットに示されている機構の発起人の名前をテーブルの下のスマートフォンで検索してみた。同姓同名の可能性が全くない訳ではないが、上から二人、一番下の一人、それぞれ情報が出てきた。三人とも国連勤務の経験ありなのだが、不穏なことに50代ふたりに60代ひとり、三人ともすでに死去していた。
「もし信用できないとか、一人でやり遂げたいとかで断っても構わないわよ。現状あなたの行動はわたしの希望通りみたいなものだし、特に警察や被害組織に情報を漏らす気もないわ。まあ信用できずに断るならこの言葉も信用できないでしょうが」
確か一杯目を麗華同様ブラックで飲んでいたコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり注ぎながら志田は変わらぬ笑顔と共に言った。
「つまり今私は日本で正義の暗殺者候補を探してるって訳。第一候補のあなたが断るなら次を探さなきゃいけないの。決断は急かさないけど早めにお願いね」
激甘ミルクコーヒーが出来上がったところで志田は身を乗り出し内緒話風に手で口元を隠しつつ麗華に伝えた。姿勢を戻すと彼女は懐から英語表記の名刺を一枚取り出し麗華に差し出した。携帯番号とメールアドレスは裏面に記載されていた。
「ね、ホントに注文はいいの?」
締めのコーヒーを飲み干した志田が上目遣いで麗華に尋ねた。こんな美人が終始笑顔で話してくれる、一般男性ならかなり楽しい時間なんだろうなと思い、自分の滑稽さに小さな笑みがこぼれた。
「ああ、返事は近いうちに」
「そ。じゃあおやすみなさい」
そう告げた志田はレシートを持って出口へと歩いて行った。麗華はもう一杯だけコーヒーを飲もうと席を立った。