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転機


 麗華が標的3の結末を知るには想定外の時間が掛かった。アレルギーの事故死は相応に社会問題となっているが、その事案各々が報道に乗ることはない。その時点で事件性はないと判断されていると推察されるので特に緊張感があったわけではない。入院治療や療養中で一命をとりとめた可能性が潰えたのが一週間後に執り行われた組事務所での葬儀だった。こんなところで動向調査の監視カメラ映像が役立つとは麗華は思っていなかった。とにかく一週間持ち続けた心の引っ掛かりが取れて安堵した麗華だが、そもそもその実行日の翌日から既に標的4の調査を始めていた。もし失敗に終わってたとしても再挑戦は後回しにするつもりだった。


 調査開始から実行に半年以上掛かった標的3。その間に標的4は出所してきており、あくまで軸足は標的3としていたが、空いた時間や定型の行動をとって監視不要な時などで少しずつ標的4側の情報を集めていた。二兎を追いながらきっちり標的3を仕留められたのは、標的4が標的1と似たようなタイプ、と言うか早々に実行手段が挙がったからだ。


 標的4は土曜か日曜、頻繁に高速道路を暴走に出掛ける。隣に人を乗せたこともない。まるでそこを狙ってくれと言わんばかりだ。ただ幾つか挙がる事故候補地が全て都会の高架上ということで大惨事化、第三者への被害が懸念された。

 

 また『ある事件』で有罪となった複数の受刑者が出所後、一年以内に三人事故死していることの世間の反応の薄さも不気味だった。麗華が実行に当たって最も注意を払ったのが端場武組構成員の目、次いで警察機構の調査だ。ただここまで来ると目聡い週刊誌や新聞社、ネットタレントが嗅ぎ付けて詮索しそうだ。『ある事件の実行犯達、出所後に謎の連続死』とか民衆の興味を引きそうな見出しが頭に浮かぶ。今後はその方面も気にする必要もあるだろう。


 『ある事件』とは警察の訓練宿舎爆破事件である。


 その唯一の被害者は公には天涯孤独の警官とされているが、書類上殉職年金が振り込まれる先を生前指定していた。興味を持って調べない限り、提出書類によって自動で事務手続きが完了し、振り込みが毎月発生していること自体気付かないだろう。逆に気付けば受取先が誰か、保護対象の個人情報だがその認識が薄そうな手合いなら軽い袖の下で口を割ることもありそうだ。

 幸い今まで全てを事故と偽装できていたため報道の扱いも軽いもので済んでいる。アレルギー反応で実行した標的3は病死扱いなのか、麗華が検索した範囲では報じられてもいない様だ。それ以外のふたりは小さくも実名で報じられている。多くの人目に着けばその分勘付く人が現れる可能性も増す。事件性の秘匿は今後ますます重要になるだろう。


 標的4はやくざというよりは半グレのようなタイプだった。乗り回している車は借金の形で没収した旧型、高性能、不人気車で色はグレー。爆音で辺りかまわず迷惑を掛けていることを除けばおよそヤクザが乗っているとは認識されない車だ。

 さらにその保管場所がけち臭い。自宅、組事務所の中間にあるコインパーキングを車庫扱いにしているが、有料を感知するフラップを踏まずにいつも停めている。張り紙で何度か警告はしたらしいが改善はされなかったそうだ。両側面と後部ガラスに貼られた指定暴力団の紋章シールが諦めるきっかけになったそうだ。駐車場のオーナーは近辺で大小複数所有経営しているちょっとした富豪らしく、下手を踏んで厄介事に巻き込まれるくらいなら一つ損切り感覚で平穏な経営を考えているのではないかとの話も聞けた。実際調べてみると10台以上の大型の場所も複数所有していて大半が契約中でほぼ満車状態だ。駐車台数4の小振りな標的4の不法占拠の駐車場、見たところ近くの個人商店の営業車が他に1台契約しているだけだった。確かにあんな不穏な車の傍に愛車を停めてもいいと思う人はそんなにいないだろう。


 標的4は週末の暴走行為を除けば平日はほぼパチンコと風俗関係で占められている。その先々で何かみかじめ料のようなものを徴収していたり、単に遊びまわっているだけだったり、常時ふたりの舎弟を連れて肩で風を切って歩いている。女性関係は特定多数で確認できただけで3人いた。性的嗜好はちょっとズレているようで40手前の標的4の相手は全てひとまわり近く年上だった。二週間ほどの調査では周りに好かれるタイプではないが殺意を向けられるほど嫌悪されている訳でもない。縄張り意識だけは徹底されているのか、一度酔った勢いで他のシマで騒動を起こしたが、意外なほど簡単に頭を下げ、相手が納得する額が入っているだろう封筒を手渡していた。ただし相手もやくざ者。さらに上乗せを要求しそうな雰囲気を醸し出していたがそれに対してはきっちり態度で黙らせていた。

  

 

 『やっぱり交通死亡事故かな』


 品出しや陳列を終えたバイト先、カウンターに戻った麗華はぼんやりとだが決断に至ろうとしていた。コンビニはここでしかバイトをしたことがない麗華は比較対象を知らないが、立地や時間帯の割に来客があるように感じている。それも深夜ドライバーや暴走族集団、水商売の帰りみたいな夜行性の人たちではなく普通のサラリーマン、学生風な人の方が多い。傍目には麗華も対価を得るため労働中に見えるだろうが、彼女の実情は兄の保険金と年金で慎ましく暮らすなら一生労働する必要がない程度の資産がある。その対価のため一様にくたびれた風体で食事や栄養ドリンクを買ってゆく人たちに同情を覚えることもあった。

 たまに宅配荷物や納税といった深夜に似つかわしくない客もあるが、基本カウンター中で棒立ちの時間がほとんどだ。雇用主に客が居なければ座るなり、スマートフォンで遊ぶなりしていいと許可は出ているが、つま先立ちや電気椅子風味の中腰で足腰の鍛錬を兼ねたり、思考は常に標的の始末の仕方に思いを巡らせていた。


 「橘、麗華さんよね」


 深夜二時過ぎ、先ほど入ってきた女性客がレギュラー缶ビール2本とつまみを数点カウンターに載せながら言った。身長は160センチちょっと、凛とした佇まいに濃紺のスーツが映える。可愛い系の顔つきだが目元だけ何か鋭いものを宿している。


 「年齢確認お願いします」


 麗華は名を問われたのを只の店員への呼びかけだったかのように流して業務を続けた。頭の中ではその行動とは別に様々なことを考えていた。


 『誰?知り合い?何故バレてる?目的は何?』


 麗華は人の顔をあまり覚えない。物心ついてから出会う人ほとんどが敵だったからだ。それはイジメてくるクラスメイト、腫れ物に触るように扱う教師、似た境遇なのにひとりだけ最下層と認定して輪から疎外する施設の児童。もし麗華が執念深く恨みを持ち続けるタイプなら多くの人相が彼女の頭の中に入っていただろう。しかし麗華は敵とは極力関わらないと言った信条で距離を取る。それが更なるイジメに繋がろうとも揺るがなかった。彼女の人生に多少なりと関わった人間は学生時代の同級生や同窓生など、多分4桁は越えるだろう。その4桁が仮に麗華を友人認定していても麗華は顔はおろか大半は名前すら覚えていないのだ。

 しかし仮に一方通行の旧知であっても男装中の今時点で麗華を看破するのは難しいだろう。唯一の親友美樹が辛うじて雰囲気を嗅ぎ取れるかどうかだろう。

 少ない選択肢から消去法で残るのは事件絡みの詮索者だろうと言う推察。覚悟はしていたがついに来たかという感じもある。

 その覚悟はしていたが対処法は全く思いついていない。短絡的に殺して口封じは自滅への第一歩にしか見えない。そもそも標的以外を害するなど以ての外だ。次に、何かしらの手段で脅迫し口をつぐんでもらうのが妥当と思っているが、対象が現れないとそのネタがあるかや通用するかもわからない。最後に、実行可能かどうか検証すらしていないが、目的達成するまで拉致監禁すると言うのが最有力の対処手段になっていた。

 四六時中四肢を拘束し、与える食料も最低限。おむつ装着の排泄物処理で人としての尊厳を破壊すれば一ヶ月も経てば逃走する意欲や体力は削げるだろうと。幸い現れた対象は麗華より小ぶりな女性である。このまま無視を貫けられなければこれで行こうと考えた。


 『まあいいわ。バイト上がり6時でしょ。それまで前の車で待ってるから』


 提示したIDをしまい会計を済ませた女は店を後にした。身を乗り出して見てみると商用ライトバンが停まっていた。

 コンビニで酒を買った客が駐車場で車に乗って動こうとしない。一応飲酒運転防止の報告事案が出来上がっている。通報して運よく任意同行などで追い払えてもバイト先が割れている以上自宅も既に押さえているだろう。状況説明で警察に自分のことを話す可能性もある。悩んだ末、麗華はバイト上がりにこの謎の女と対峙することに決めた。



 「お待たせしました」


 麗華は地声で前触れもなく助手席のドアを開けた。


 「いえいえ。時間取ってもらって悪いわね」


 女はそう告げるとエンジンをかけた。助手席の足元には先ほど買ったビールやつまみが手つかずで入った袋が転がっている。後部座席を見るとゴミはないが服や小物が乱雑に散らかっている。麗華は週刊誌関係者だろうと踏んだ。この人なら監禁制御できそうだと思うのと同時に、もしこの人が連絡を絶てば多分取材対象くらいは上司に報告しているだろうし、結局麗華に調査の手が迫るのではないかと挫折にも似た感情で思い直していた。ずっと単独行動をしている麗華は人ひとりの行動が周りに与える余波と言うものを考慮しない傾向にあった。一縷の望みは女がフリーの記者か、フォロワーの少ないネットタレントであることだ。特ダネ報酬が個人総取りなら取材対象を他に漏らしている可能性は低くなるだろうし、もしかしたら失踪の発覚すら時間が掛かるかも知れない。


 

 「経費で落ちるから好きなのどうぞ」


 ぽつりぽつりとモーニングコーヒーを飲む客がいるファミレスで麗華は女と向き合っていた。


 「コーヒーで」


 目の前のメニューも開かず麗華はじっと女を見据えたままウェイトレスに告げた。


 「今の時間ドリンクバーとモーニングになります」


 傍目は美男美女の早朝デートに見えなくもない。麗華はウェイトレスの印象に残らないように男の声色を使っていた。


 「じゃあ私取ってきてあげる」


 女はニコニコしながら席を立った。彼女が戻ってくる前にトーストとゆで卵が運ばれてきた。ウェイトレスの営業スマイルは変わらない。


 「はいおまちどうさま」


 麗華はミルクも砂糖も入れず、熱いコーヒーを一口含んだ。視線は女の一挙手一投足を見逃すまいとするような鋭さで女に向けられている。


 「まあ、警戒しるのはわかるけど、多分わたしはあなたの味方よ」


 女は穏やかな笑顔のまま、バッグからIDを出して麗華に見せた。コンビニで酒を買う際に提示した日本のものではない。UN何某と英語の記載と目の前の女性の顔写真が入っている。


 「とりあえずそのID番号、国連のHPでチェックしてみてよ」


 警察、刑事、メディアに端場武組絡み。麗華はいろいろ女の正体を想定はしていたものの、全く明後日の方から鈍器で強烈に殴られたような衝撃を受けた。言われた通りスマートフォンで検索すると、人権や法制度、犯罪関連の組織の下部組織にその名前がある。直上の組織がみっつあるという不思議な組織図が添えられている。手の込んだ悪戯を警戒して複数の検察サイトを経由したが、毎回きちんとそこにたどり着いた。


 「国連人権刑事犯罪監視機構の志田富美子です」


 怪訝そうに視線をスマートフォンから戻した麗華に向かって女は穏やかな笑顔と共に言った。

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