わたしの秘密基地
「ねえ、お父さん、わたし秘密基地が欲しいの! 学校の友だちみんな持っているんだよ」
金曜の夜、仕事から帰った父親にねだる音子。
昼間、学校の男友だちにさんざん秘密基地を自慢されて、好奇心に火がついてしまったらしい。
「音子もみんなの秘密基地に入れてもらえばいいんじゃないか?」
みんなが知っている時点で秘密基地もないだろうと思いながらも、そう言えば自分もそうだったなあと懐かしむ父親。
「だって……秘密基地、木の上にあるんだもの」
音子はぷくっと頬をふくらませ項垂れる。
もちろん音子も来いよと誘われはしたのだが、身体の弱い彼女に木登りは無理な話だったのだ。
「あ~、そうか……よし、父さんに任せろ」
音子には何かと我慢ばかりさせてしまっている手前、父親は娘のお願いに滅法弱い。なんとか喜ばせてあげたいと思っている。
「本当!? 約束だよお父さん」
音子は、声を弾ませ笑顔の花を咲かせる。
「ああ、楽しみにしてろよ。そうだ、もうすぐ夏休みだし、一緒に作ろうか?」
音子を抱き上げ肩車しながら父親がそんな提案をする。
「うんっ! 作る、ああ、早く夏休みにならないかな~」
「そんな安請け合いして大丈夫なの?」
すっかりご機嫌になった音子を横目に、母親は心配そうにたずねる。
「まあ、なんとかなるだろ」
母親はまたかと呆れ顔だが、父親はさして気にした風もない。もともと前向きな性格だし、手先も器用だ。その気になれば秘密基地のひとつやふたつ作れるだろう。
「問題は場所だな……」
大都市のマンション住まいでは、秘密基地どころか犬小屋ひとつ置く場所もない。
しばらく悩んでいた父親だったが、すぐに表情が明るいものに変わる。携帯を手に取り、電話した先は彼の実家。
「もしもし父さん? 実は頼みたいことがあるんだけど……」
熱っぽく話す父親もまた、いつしか少年のように瞳を輝かせている。
「ふふっ、よくわからないけれど、楽しい夏休みになりそうね」
すでに頭の中は夏休みに突入している似たもの父娘の姿に、母親は呆れたように笑うのだった。
それから二週間後、夏休みに入った音子は、家族揃って、父親のいなかへと遊びに来ていた。
父親の実家は、九州の港町から少し離れた里山にあり、音子は毎年祖父母に会いに来るのが楽しみだった。
ここには海も山も川もある。大好きな森や林もある。
大都市に住む音子にとっては、夢のような場所なのだ。
「うわあ……お父さん、ここに秘密基地作るの?」
「そうだよ。せっかくだからみんなで作ろうと思ってね」
広い庭には大きな柿の木があり、すでに綺麗に枝が整えてある。基地を作るための材料も準備万端だ。
おじいちゃんたちが事前に準備していてくれたのだと聞いて嬉しくなる音子。
それから三日後、秘密基地は完成した。
おじいちゃんの知り合いの大工さんも手伝ってくれたおかげで、想像以上に本格的な秘密基地が完成した。
実際のところ、秘密基地というよりはツリーハウスなのだが、そんなこと誰が気にするというのか。
身体の弱い音子でも登れるように頑丈な階段も付いており、小さなテーブルまで備え付けてあるので、お茶会もできる素敵仕様だ。
地上からわずか一メートルの高さではあるものの、立ち上がれば音子の視点でもニメートルを優に超える。
音子は滞在中、毎日のように鳥やリスになった気分で遠くの海や山を眺めて過ごす。たまにみんなで秘密のお茶会をしたりもする。
みんなで作った秘密基地。家族だけの秘密の場所。それは音子にとって、かけがえのない場所になったのだ。
「ねえ、お母さん、わたし秘密基地が欲しいの! 学校の友だちみんな持っているんだよ」
音子はにっこり笑ってこう言うのだ。
「ふふふ、それならとっておきの場所があるのよ?」
夏休みに入った音子は、家族揃って、あの場所へと帰ってくる。
今は両親が住んでいる大きな柿の木があるあの場所へ。
「うわあ……ねえお母さん、早く入りたい! ねえ早く!!」
娘に袖を引かれながら音子はあの夏の日に帰ってゆく。
また夏が来れば思い出す。
みんなで作った秘密基地、かけがえのないあの夏の記憶を。