イタコdeごはん【#メシテロ杯2 参加作品】
※不屈の匙さん主催の「#メシテロ杯2」参加作品です。
疲れた体を引きずって、俺は自宅の玄関を開けた。
壁の鏡を見ると頬がげっそりとこけている。
もう二か月食欲がない。
原因はわかりきっている。
でも、どうしようもなかった。
キッチンに向かい、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
そしてそのままノートパソコンのあるリビングへと向かった。
プルトップを起こしながら、動画サイトをひととおりチェックする。
これは……ただのひまつぶしだ。
辛い現実から逃げ出すための、ただの現実逃避。
どいつもこいつも能天気な顔をしてやがる。
こいつらはきっと毎日が楽しいんだろうな。俺とは違って……。
ふとランキングの上位にある「幽RASIAの怪談ちゃんねる」とかいうサムネが気になった。
怪談、か……。
いつもオカルト系は避けてるのに、なぜか今日だけはクリックしたくなった。
再生。
『はいどうもこんばんはー。【幽RASIAの怪談チャンネル】はじまりましたー。お相手は、司会進行の幽RASIAとー?』
『イタコの霊媒調理師、霞テル子でーす!』
なんだこいつら。
イタコの……霊媒調理師……?
幽RASIAとかいうのは着物を着た三十代くらいの男で、霞テル子とかいうのは割烹着を着た茶髪の若い女だった。
見るからに怪しい。
オカルトってのはだいたいそんなもんだが、ビールを口にしながら俺はつい苦笑してしまった。
しかし画面下の再生数を見ると、なんと十万以上もある。
はあ? 何でこんなに人気なんだよ……。
『いやあ、それにしても前回のコラボ動画もたくさん見ていただきましたねー! ありがとうございまーす!』
『ありがとうございます!』
『これもひとえにゲストに来ていただいた、テル子さんのおかげですね!』
『いえいえ。わたしはただ、みなさんの思い出のお料理を作れて、それを召し上がって喜んでいただけたら本望なんです』
思い出の料理、か――。
ふと、アイツの飯を思い出す。
いまはもう二度と食べられない、あの料理……。
『さあさあ、今回はテル子さんとのコラボ第三弾! みなさんには、一応企画の方、もう一度ご説明しておきますかね! えー、いつもはゲストに怪談を語っていただくだけの、このチャンネルですが! 霞テル子さんはイタコの霊媒師さんなので、依頼者さんのお宅に直接行き、降霊状態で料理を作ってもらいます! そして――』
司会の男いわく、霞テル子は、依頼者の思い出の料理――たとえばすでに他界している祖母の煮物等、いまでは絶対に食べられない料理――を、降霊術を駆使して作るらしい。
なんとも信じがたい話だが、今回はその第三弾だという。
『名付けて【イタコdeごはん】! いやー、今回もこのコーナーではまたすばらしい降霊術が見れそうで楽しみですねー!』
『ありがとうございます! また依頼者さんが満足してくれるように頑張りますね! みなさんも応援していてください!』
『はいはい~。ではテル子さん、本日もよろしくお願いいたします』
『お願いいたします~』
『あ、そうそう! ひとつだけお知らせがあるんですが、本日はテル子さん宛てに依頼があった方ではなく、この私、幽RASIA宛てに連絡があった方のお宅に伺う予定ですー』
『わー、それ、ちょっと緊張してるんですよね~!』
『すみません。実は、前回ヤラセじゃないか? という声が寄せられまして。で、今回は完全にテル子さんを介さない方をご用意する、ということになったんです』
『あはは……本当、なんですけどねぇ』
テル子なる女性は、そう言って苦笑いをしている。
まあ、そう思うやつらがいてもおかしくはないだろう。
だって、どう見ても怪しいしな。
けど……そんな失礼なことを言われても、この女はあまり動揺していなかった。
きっとあらかじめ、そういう話を司会者からされてあったのだろう。
『というわけで、さっそく我々は依頼者の元に向かいたいと思いまーす!』
場所が変わり、今度は依頼者の家の前と思われる風景が映し出される。
モザイクがかかっているが、どこかのマンションのようだ。
その玄関前に幽RASIAと霞テル子が立っている。
『えーではさっそくチャイムを鳴らしたいと思いまーす』
ピンポーンと小さく呼び鈴が鳴る。
あたりが暗いのでどうも夜らしかった。中から出てきたのは眼鏡をかけた私服の若い女性。
少々神経質そうな顔をしている。
『お待ち……してました。どうぞ……』
リビングに通されると、二人はさっそく依頼者へのインタビューを開始した。
お互いの自己紹介と、今回の依頼内容「母親の作ったオムライスが食べたい」ということを聞き出す。
そして、いよいよテル子の降霊術がはじまった。
幽RASIAという男性が、もう一人同行させていたカメラマンの方に向かって、実況をはじめる。
『さあついにテル子さんの降霊術がはじまりました! 果たしてAさんのお母さんは来てくれるんでしょうか……?』
様子を見守っていると、依頼者の前に座ったテル子が、突然ゆらゆらと体を揺らしはじめた。
そして一瞬白目になったかと思うと、すぐに真顔になる。
『……来ました。今、わたしの中にAさんのお母さんがいらしてます。主導権を……今すぐAさんのお母さんに明け渡すこともできますが、まずは買い物を……食料調達をしてこようと思います。ちょっと近場のスーパーまで行ってきますね……』
そう言うと、さっさと家を出ていってしまった。
やがてテル子は、二つのビニール袋を手に提げて戻ってくる。
『ではさっそくお台所をお借りします! ここからはAさんのお母さんに主導権を明け渡し……ます』
言うと、またガックリと首を前に倒し、そしてすぐに顔をあげた。
別段変化はないようだが、料理が始まると、依頼者がぶるぶると体を震わせはじめる。
『あっ、ああっ……!』
『Aさん? どうかしましたか?』
『あ、あの卵の割り方……それに野菜の切り方……。か、母さんです……!』
どうもテル子の手つきが、母親のそれを思い出させるようだ。
本当か……?
演技している、という見方もできるが、依頼者のAさんは本当に感激しているようにその調理風景を眺めている。
カメラマンはそれを克明に撮影し、そして――やがてオムライスが完成した。
テーブルの上に置かれたそれは、ほかほかとあたたかな湯気をたてている。
依頼者のAさんはその黄色い山の一端をくずし、すくった。
半熟気味のスクランブルエッグの下には、赤いケチャップライスが見えている。それをじいっと見つめて、Aさんはおもむろにパクッと口に入れた。
『うっ……ううっ……』
『Aさん?』
急にボロボロと泣き出すAさん。
俺はその表情にくぎづけになってしまった。それは、ようやく求めていたものに巡り合えたかのような、救われたような笑みだった……。
Aさんはゆっくり嚥下すると、とつとつと語り出した。
『いつも……いつも自分で作ってみても、全然母さんの味にならなかったんです。でもこれは……まぎれもなく母さんのオムライスでした……あ、ありがとうございます。ああ、母さん……!』
涙を流しながら、Aさんはオムライスを完食した。
その後いくつか会話をした後、元の部屋に戻る。
司会の男が「それではまた、次回をお楽しみに~!」と言って配信が締めくくられた。
最後の画面には「テル子さんに直接依頼したい人はこちらへ」などと連絡先が表示される。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
俺は床に寝転がって、天井を見つめた。
あんなもの絶対インチキに決まってる。あの三人目の依頼者だって絶対仕込みだ。そうだ。そうに決まってる。騙されるな……。
そんな風に思うのに、同時に違う感情も湧いてくる。
あの女は、本当に料理を作れるのか?
あのサヤカの料理を……。
いやいや。いったい何を考えてるんだ俺は。
そんなことをしたって、結局……。アイツは……。
――。
気が付くと、朝を迎えていた。
俺は重い体を起こして、シャワーを浴びにいく。
アイツの料理をまた食べられたら……だって?
あのイタコが「本物」とは限らないじゃないか。
一晩経っても消化しきれない思いが、身の内でくすぶっている。
俺はシャワーを止めて、もう一度ちゃんと考えてみた。
「本物じゃなかったら、別に金を払わなくったって……いいんだよな。ああ、そうだ……。嘘だったら、馬鹿にするなって追い返せばいい。そうだ……そう……」
希望なんか抱きたくない。
けれど、万が一ということもありえる。
もしあの女が本当に「本物」だったとしたら?
もう一度アイツに会えるかもしれない。
そうしたら、最後に伝えておきたかったことを、ちゃんと伝えられるかもしれない。
俺は体を拭いてリビングに行くと、昨日の動画の最後の部分を見て、電話をかけた。
※ ※ ※
一か月後。
俺の家にあのイタコの霊媒調理師がやってきた。
あの動画で人気が出たせいで、あれからたくさん予約が入ってしまったらしい。
そういうわけで、俺の番は結局こんな後になっちまった。
今日はこいつ一人だけだった。
あの動画の男は一緒じゃない。
もともとひとりで仕事するのが普段のスタイルだったというから、あのコラボの方がイレギュラーだったようだ。
テル子をリビングに通すと、さっそく依頼内容の打ち合わせをすることになった。
「えー、この度は『霞テル子の出張霊媒クッキング』をご利用いただきましてありがとうございます! えっと、さっそくですが木村さん、本日のご依頼内容の確認なんですが……」
「ああ、三か月前に亡くなった、俺の元恋人……サヤカの得意料理を作ってほしい」
「わかりました。それで、料金の方なんですが……お代は見てのお帰り、といいますか、実際に木村さんに満足していただいてからお支払いを、ということでお願いいたします。あ、あと食材費も同様で。満足していただけなければお代はいりません。それで、よろしいでしょうか?」
「あ……? 俺はいいが……そっちはそんな取り決めをしていいのか? たとえ俺が満足しても、ケチって金を払わなかったら……」
「それは、あなたの良心を信じるしかないですね。わたしも一応、依頼人は選んでやってます。いきなり襲ってきたりするような人とか、詐欺をしようと持ち掛けてくる人とかいますしね。でもそういう方とは仕事をしないって決めてるんです」
馬鹿か?
こんな男の家に女が一人でやってくるなんて、馬鹿にもほどがある。
本来ならとても危険な行為だ。密室だしな。
こいつは人を見る目がある、と自負してるつもりなんだろうが、とんだ思い上がりだ。
実際、人はいつ豹変するかわからない。直前までわからないもんなんだ。
まあ当然、俺にこいつを襲う気はこれっぽっちもないんだが。
サヤカは死んだけど、アイツを裏切るようなマネはしたくない。今も俺をどこかから見守ってくれているだろうしな。
それにしても……。
イタコってのはみんなこういうもんなのか?
なんでもかんでも霊能力でお見通しっていうか……。
「ご心配、ありがとうございます。でも、ほんとに大丈夫なんです。実を言うと、霊感で少しわかるんですよね。あなたなんか特に、大丈夫そうです」
「……そうかよ」
まったく、余計な心配だったようだ。
マジで払わなくてもいいかな? そうしたとしても恨むなよ。
「では……あとひとつ、木村さんの彼女さん、サヤカさんの得意料理ですが」
「ああ」
「お電話では、たまごかけごはんって言ってましたよね。それで……合ってますか?」
「ああ、合ってる。得意料理、というか……アイツはもともとそんなに料理が上手くなかったんだ。けど、唯一俺に作ってくれたのがそれで……。何が入ってたのかわからないが、とにかくめちゃくちゃ美味かったんだ。俺もあとでまねしようとしたけど、どうも再現ができなくって。今日はそれを……アンタに頼みたい」
「はい。ぜひお任せください!」
そう言うと、テル子はさっそく床に正座し、ゆらゆらと体を前後に揺らしはじめた。
これが噂の降霊術らしい。
動画の時は尺の関係上早送りだったが、今はゆっくり行われていた。
「サヤカ……」
本当に来てくれるだろうか。
緊張して見ていると、テル子はいきなり白目をむき、真顔になった。
「……来ました。今、わたしの中にサヤカさんがいらしてます。主導権を、彼女に明け渡す前に……まずは買い物をしてきます。少々お待ちくださいね」
そう言って、またさっさとひとりで外に行ってしまう。
ここから最寄りのスーパーへは片道十分ほどだ。
しばらく待っていると、テル子はバタバタと戻ってきた。
手には食材のつまったビニール袋が一つだけ。
まあ、そんなに多くの材料を使う料理じゃないからな……。
「では、木村さん。これから料理をはじめますね。サヤカさん……お願いします」
言うと、すうっと顔の印象が変わった。
見る間に穏やかな表情になり、柔らかな目元でちらっとこちらを見る。
「サヤカ……?」
まさかと思いながらそうつぶやくと、にこっと微笑む。
それはまさにサヤカだった。
ちょっと困ったように眉尻を下げて、はにかむ、その笑み。
思わず目頭が熱くなってしまった。
嘘だ、嘘だ、と思いながら、彼女の動きをただ見つめる。
テル子は霊媒になっているときは声を出せないと言っていた。
だから調理が終わるまでは話すことはできない。
でも、俺は確信めいた直感を抱いていた。
あの女の中に今、サヤカがいると……。
霞テル子は、まるで自分の家のようにふるまいはじめた。
ずっと使っていなかった炊飯器の釜を洗い、どこにしまったか忘れかけていた米を戸棚の奥から引っ張り出す。
そして、コメを研いだ後早炊きの予約ボタンを押すと、その間に他の材料の下準備をはじめた。
それは何度もこの部屋にきたことがある、というような動きだった。
「やっぱり、サヤカ……なのか」
続いて、スーパーのビニール袋の中から福神漬けが取り出された。
それは茶色い色のタイプだ。
カレーを食べるときにいつも俺が入れるやつである。
台所の引き出しを開けて、テル子はまな板と包丁を出す。そして、その福神漬けをリズミカルに切り刻みはじめた。
スプーン一杯ほどしか使わないようなので、残りはタッパーに入れられ冷蔵庫にしまわれる。
この動きも本当にサヤカみたいだった。
勝手知ったる彼氏の家で動き回る彼女、というような。
『ちょっと二人で使うには多すぎたねー』
なんて言いながら、サヤカがレトルトのカレーに大量にこれを乗せていたのを思い出す。
でもいくら好物だからって、まさかこれを、あのたまごかけごはんにまで入れてたとは思わなかった。
なんかしゃきしゃきするなとは思っていたけど……。
どうりで俺だけでは再現できなかったわけだ。
テル子は、次にネギを切りはじめた。
大部分が余るので切り口にラップをして、これも冷蔵庫にしまわれる。
サヤカは、こういう食材を包丁で切るのだけは上手かった。
逆に火を入れたり、味付けは……かなり独特だったが。
六個入りの卵パックからひとつだけ取り出して、これもあとは冷蔵庫にしまわれる。
この卵は、きっとご飯が炊けてから割り入れられるのだろう。
そう、あとはご飯が炊けるのを待つだけだった。
しかし……まだ三十分ほどある。
買い物に行く前に仕込んでれば時短になったのに。
こういう段取りの悪いところもサヤカらしいなと思った。
「ショウイチ……」
ふと声がして、見るとテル子が俺を見ていた。
いや、テル子じゃない。
テル子の中にサヤカが入っているんだ。
「サヤカ、か?」
「うん。ご飯が炊けるまで、まだ時間があるから。他にすることもないし……その間話せるって。テル子さんが」
「そうか……」
サヤカは俺のいるリビングにやってきて、ローテーブルの向こう側に座った。
本当なんだと、信じはじめてはいたが、やはり見た目がテル子なのでどうにも妙な感じである。
「ごめんね。死んじゃって」
「いや……。お前の、せいじゃない」
「でも……仕事で夜遅くなって……それで……」
「お前のせいじゃない」
「わたしが、もっと周りに気を付けてたら……家に入る前に、誰か後ろに来てないか確認していたら……」
「犯人が悪いんだ。お前は、まったく悪くない」
「でもっ!」
今まで直視できなかったが、思い切って向かいのサヤカを見た。
そこにいるのはテル子だ。
だが、サヤカだと思った。
サヤカは……泣いていた。そして、絞り出すようにつぶやいた。
「もうすぐ、ショウイチと……結婚、できるはずだったのに……」
そう。今頃俺たちは、とうに結婚式を挙げているはずだった。
でも、その前に……。サヤカは見知らぬ男に家をつけられ、そして……殺されてしまった。
犯人は捕まったが、それでも俺は……いまだに気持ちの整理がつけられずにいる。
「もうすぐあなたの……妻になって……。そして毎日、ご飯を作ってあげられてたはずなのに……」
「……サヤカの、せいじゃない」
「あなたと幸せに……。あなたを幸せに……できるはずだったのに……。ごめん、ごめんなさい」
「謝るな。お前が一番、悲しいはずだ、悔しいはずだ……俺なんかよりよっぽど」
「ううん。ショウイチが……この三か月、どんなに苦しんできたか知ってるから。わたしはもう死んじゃったから。なにもできないけど……でも」
「なあ、もういいよ。サヤカ。俺にとっちゃまだ全然良くないけど、でも……お互い悔やんだって、死んだことをなかったことになんか、できないだろ? だからさ……だから……。こういう機会が持てて、良かったって思うんだ……」
「うん……うん……」
サヤカは、号泣しながら、こちらを真剣なまなざしで見ている。
俺は胸が苦しくて、何度も口を閉じそうになったが、言った。
「もう一度、お前の料理を食べられるなんて、思ってなかったから……さ。嬉しいよ。楽しみだな。ほら、前にも何度も食べさせてもらったけどさ。お前の、お前のあのたまごかけごはんが一番……美味しかったから。あの美味しさの、謎がわかって、よかったよ」
「そうね……。もっと早く、教えておけばよかった」
「ほんとだよ。そしたら俺がお前に、福神漬けたっぷりのたまごかけごはんも作ってあげられたかもしれない」
「ほんとね。でも、あれは、わたしだけの企業秘密だったから……スペシャルじゃ、なくなっちゃうから。あんまり教えたくなかったの」
「そうだったのか」
「うん。そう。ふふふっ」
困ったような泣き笑い。
ああ、やっぱり……俺はサヤカが大好きだなって、思った。
「なあ、サヤカ」
「うん?」
「ちゃんと……言ってなかったことがあるんだけど、今、それ言っていいか?」
「……うん。なあに」
「お前を、生涯幸せにする。死ぬまで大事にするし、先に死なれたとしてもずっと、お前だけを愛するよ」
「ショウイチ……それ……」
「ああ、もう死んじまったからな、お前は。言ってなかったとしても、達成できてた……ことになる。本題はこっからだ」
「うん? うん……」
「お前が生まれ変わるまで……いや、また生まれ変わってもずっと、ずっと、お前を愛する。会えなくても、どこにいても、お前を想ってる。だから……お前は、死んでも幸せでいてくれ」
「ショウイチ……」
サヤカも、俺も、涙が止まらなかった。
ほんとは生きてずっと一緒にいたかった。でも、死んでしまったなら、こう言うしかない。
サヤカにあの世で悲しんでいられるのは辛いんだ。
「わたしも……わたしも……死んじゃったけど……どこにいたって、ショウイチを愛してるよ。想ってる。そして、あなたがずっと幸せな気持ちでいてくれることを願ってるわ」
「ああ……」
その時、ピーっと炊飯器の音が鳴った。
サヤカはさっそくどんぶりに炊きたてのご飯を盛り、先ほど作った刻み福神漬けとねぎをかけ、卵をそこに割り入れる。
今は行動しているので声は出せない。
でも、自信たっぷりに料理しているのを見てなんだか嬉しくなってきた。
あれは、俺がしてもらえる最後のカノジョらしいことだ。
最後に、めんつゆとポン酢をかけ、ブラックペッパーをふる。
これも全部うちの冷蔵庫にあったものだ。
テル子、ならぬサヤカがローテーブルにそれを運んできて、俺に差し出す。
「いただきます」
箸ではなく、スプーン。
それで卵液に濡れた白米を、大きめに掬い取る。
サヤカによってすでに良く混ぜられていたが、見ると、卵の一部が炊き立てご飯の熱で固まっているのがわかった。
それを口元に運び、舌の上に慎重に乗せる。
途端、口いっぱいにだしの香り、しょうゆの香り、そして柑橘系の香りが広がった。
ああ、美味い。
そこに卵のマイルドなあじわいと、白米の甘さが加わる。
ゆっくりと咀嚼すると、細かな福神漬けとねぎが、なんともいえない歯ごたえとなって存在を主張してきた。
ポリポリと音がするたびに、酸味や辛みも、わずかににじみ出てくる。
思わず次の、さらにその次のひとさじをかきこんだ。
この幸せな味のハーモニーはいつまでも味わっていたいほどの素晴らしさだ。
でも、それは十口と続かない。
俺はあっという間に、残りの数粒をかき集めるほどになっていた。
それは、サヤカとの思い出をかき集める行為に似ていて。
まだ終わりたくない、と思った。
「それでは、これでわたしのお仕事は終わりになります。最後に、サヤカさんに言うことはありますか?」
向かいのサヤカ……じゃない。テル子はそのように俺に言い渡す。
そうだ。
これは、イタコの降霊術によって実現している奇跡なんだ。
もう、お別れか。
「……ごちそうさま。お前はいつも、いつまでも、最高の俺の女だ。ありがとう。ありがとう、サヤカ……」
「うん。ショウイチ、わたしこそありがとう。いつまでも元気でね。忘れないから、ずっと見守ってるから、あなたも幸せでいて……」
「ああ……お前もな、サヤカ」
そう告げると、がくんとテル子はうなだれた。
ややあって、顔をあげると、もうそこにサヤカの気配はなかった。
「ありがとう、テル子さん。報酬は……ちゃんとお支払いするよ。アンタも、最高の仕事をしてくれた」
「ご満足していただけましたか」
「ああ。ありがとう」
こうして、俺はイタコの霊媒調理師、霞テル子にきっちり代金を支払ったのだった。
あとにはサヤカの秘密のレシピだけが残された。
明日も、明後日も、俺はこれからいつだって、サヤカのたまごかけごはんを食べることができる。
彼女の遺産を文字通り糧にして――生きていく。
完
【おまけ・サヤカのたまごかけごはんレシピ】
・炊き立てのごはん、一杯分
・卵、一個
・刻み福神漬け、お好みの量
・刻みねぎ、お好みの量
・めんつゆ、適宜
・ポン酢、適宜
・ブラックペッパー、適宜
※ちなみに作者はごはんに卵、めんつゆ(追いガツオつゆ)、たっぷり玉ねぎポン酢、ブラックペッパーをかけて食べてます。




