第一話 ENTER 落下
地上千五百メートル、ここ日本で蒼穹に最も近いとされるこの街のシンボル、C22 セントリアタワーの屋上に彼はいた。
✣
《フルオートマティック・ナビゲーション・システム》
《FANS》
起動準備開始。衛星【カミナキ】とのコンタクト、現在地確定の認証が必要です。世界個人特定暗証番号《GLPIN》の入力を要求……入力成功。認証確認完了。
【現在地】
新東京開発特区/本町/一丁目/一番/一号/C22 セントリアタワー
【目的地】
新東京開発特区/本町/二丁目/十一番/二十三号/機器設計行使研究所/特別催事ブース
【推定定飛行距離】
九百二十五メートル
【目標到着時間】
八時五十八分
【算出結果】
時速十一・一キロメートルでの飛行を実行
✣
彼――世界焉至は、彼女――巫照美から受け取った飛行用機器の諸設定をし終え、集合場所である機器設計行使研究所へ向かい出していた。
先から彼の脳の感覚野へ電波で発されているガイド音声は、旧式の機器から大幅な進化を遂げ、いまや人の出す音と同等となっている。
“音”と言ったが、もはやその次元ではなく“声”とも言えるほどだ。
しかし、それでもなお未だ改良しきれず残っている改善点がある。
『感情が乗っていないこと』
なんというか無表情さが、真顔で言っている感じが否めないのだ。
冷ややかな、淡々とした、無機質な感じと言うのが正しいだろうか。
さておき、彼らは今、飛行用機器で目的地へと飛行して向かっている。
しかも、腕装着の機器である。
スマートなフォルムと操縦に特殊技術が要求されるというクールさで一世を風靡し、腕装着趣向者専門店なるものまで誕生したくらい人気のあった型。
しかし、現在では世間の熱は冷め、趣向者だけ取り残された状況となっている。
そんな機器で飛行しているわけだが、これを渡されてから焉至は彼女と一切話せていない。
こういう微妙とか気まずい空気は他人より慣れているのだが、慣れているはずなのだが、今の彼には何故だかそんな空気がとても歯がゆく感じられた。
「あ、あのぉー。質問なんだけど君は何科の生徒、なのかな? ちなみに僕は行使科、なんだけど……」
彼はたまらず痺れを切らし、新入生同士がよく交わしそうなありきたりな話題を持ち込む。
「ええ、そうね。私も君と同じ、行使科の生徒よ」
その瞬間、あたりの風が一気に活動を始め、機器の軸が揺らめく。
彼女の艶美で純な黒髪が風に煽られ、毛の一本一本まで細やかになびく。
その流動性を孕んだ動きに、彼は飛行中であることをすっかり忘れて見蕩れていた。
「なにをそんなにジロジロ見てるの。ほら、目的地に急ぐわよ。ちょっと何してるのよ! そんなに近づかないで! って、思考停止!?」
「ふわぁ……うわあぁ、落ちるーッ!? た、助けてーッ!!」
「――まったく、世話のやける人ね」
彼女は小さく呟くと、彼を追って急降下していく。
「間に合ってよ。あなたのこと信じてるからね、佐助」
自らの右腕に装着された機器に語りかけるように継ぐ。
「建物に追突するーッ。も、もう死ぬーーーッ!!!」
彼は恐怖からぎゅっと目を瞑る。
だが、彼女は諦めない。
「あと、ほんのすこし……だから……」
そして、
「ふぅ……割とギリギリだったわね」
ぼふん。
焉至はスレスレのところで照美に抱き抱えられ、何とか助かった。
彼女がわずか先に建物の屋上に降り立てたことで、一命を取り留めたまでは良かったのだが、
「あ〜、よかった〜! ねぇ君、どこもおかしくない?」
また別の意味で危険な状態に陥った。
救出に成功して舞い上がる彼女に熱い抱擁をされたのだ。
彼には、この十五年の人生で女の子にこんなことをされる経験がなかった。
母や親戚のおばさんたちとはあったが、従兄弟は全員男、学校では目立たぬ人物。
故に、女の子とそんな風になるほどの接点なんて焉至にはろくになかった。
よって、どこがどのようにとは言わないが焉至のえんじがもう破裂して死んでしまいそうになった。
女の子の香り。全身から、特にうなじ辺りからふわふわして甘美な芳香。
女の子の柔らかさ。あらゆるところが柔らかい。
ぺちぺちと彼の身を触れる手のひら、触れる太腿、そして何より、たわわに実った双丘。
たわわ、なのかは焉至にはよくわからなかったが、至極の柔らかさであった。
「だいじょうぶ、だい、じょ、ぶ……」
その言葉を口にすると同時に、紅い二つのナイアガラを轟音と共に放流した。
彼は頭の奥でぽくりぽくりと木魚の音がし、段々と気が遠のいていくのを感じた。
「ねぇ! ねぇ、ね、、ぇ、、、」
…………
………
……
…
遂には思考がプツッと途切れた。
✣
次に気が付くと、彼は目的地の特別催事ブースと思しき、何やら大規模な四方を打ちっぱなしの石壁に囲まれた大きな空間にいた。
周囲を確認すると、沢山の新入生らしき同年代の人々。
それに、様々な大人たち。きっと先生方だろう、と彼は思った。
彼の隣はと言うと、新入生ではなく二十代くらいの若めの女性教師が座っていた。
目を覚ました彼に気づくと、彼女は彼の方へ向き直って話し出す。
「あ、気がついたのね! 入学式早々大量出血に気絶、しかも機器による飛行中なんて。先生、とってもとっても心配したんだからね! まあ、男の子が女の子に連れられているのも不思議だったけれど……」
彼女は目の縁に二つの透明な水の玉をきらめかせながら、彼の肩をがっしり掴み、前後に激しく揺さぶる。
それと一緒に彼女も揺れる、彼女の双丘が弾けんばかりに上下に揺れる。
基準がわからない彼でもわかった。
先生のは確実におおきい、もうこっちが本体でも不思議じゃない、と。
そんなことを思いながら、彼は流れに任せて揺さぶられ続けた。
この前後動で、彼は超高速メトロノームにでもなったみたいだった。
しばらく揺さぶると、彼女は落ち着いたのか話を続けた。
「そうだ! 自己紹介がまだだったわね。先生、少し取り乱しちゃって。えと、我が名は美奈川才恵。汝の通うこととなる国立新東京開発特区第一高等学校の者共に治癒と安息を与える者なり……こ、こんな感じでどうかしら? せ、先生、何だか恥ずかしくなってきたわ……」
彼女は、ぽーっと赤らんだ顔を隠しながらそう言った。
「それはそうですよ。とても恥ずかしいことをしてるんですから。恥ずかしくならない方が怖いですよ」
なんて彼は言おうとしたが、それは心に留めておくことにした。
これを言うと、彼女の大人としての教師としての威厳が損なわれかねないから。
もっと言うと、
「先生。何ですか、それ。厨二病もほどがあるでしょう。大人がそんなんじゃあ、ねぇ」
なんてことも思ったが止めておいた。
これを言うと、今後あまりにも先生が哀れに見えてしまいそうだったため。
それに、
「顔を赤らめて恥じらっている先生は可愛い、もうすこし見せてくれませんか」
なんてちょっぴり思っているが、これを直接は死んでも言えない。
だから、彼は無難にこう言った。
「では、次は僕の番ってわけですね。僕は世界焉至。行使科の新入生です。これから三年間よろしくお願いします。多分、またお世話になると思います。なんと言っても、先生がこんなにも可愛いですから、用がなくても行ってしまいそうです。ところで、僕を連れてきた彼女は今どこに?」
なんて丁寧かつ程度をわきまえた挨拶なのだろう、と彼は思った。
思わず自画自賛したくなるほど完璧である。
ずっとイメトレしておいて良かった、と昨日までの努力を振り返りつつ思った。
トレーニングの範疇を超えた話もしてしまった、と反省して次に繋げようとするのも彼の真面目さが表れている。
ひとしきり挨拶を終えると、彼女が続けた。
「焉至君ね。もう、君はお世辞が上手ね。私が可愛いだなんて。彼女については、きっと行使科のところの席よ。そうそう、私たちの二列前ね」
彼女に多大な被害を被らせてしまったことを素直に謝りたいと思ったが、今は無理そうである。
式が終わったら会えるかな、そんなことを頭の隅に置きながら、彼は才恵とのやり取りを続ける。
「丁寧にありがとうございます。でも、先生のこと、お世辞なんかじゃないですよ。才恵先生は本当に可愛らしい方です。ほら、そうやって恥じらっているところとか、まさに」
「もう! ばかばかぁ!」
彼女はぽかぽかと彼の肩を小さく叩きながら言った。
こんな調子で彼は彼女との会話を楽しんだ。
その後、彼が携帯機器で時刻を確認すると、九時半だった。
集合時間の三十分後は入学式の開始予定時刻だ、そう思っていると、場内放送でアナウンスが入る。
「貴方方、設計科・行使科・普通科の各七十名。計二百十名は今日、四月一日付で我等が国立新東京開発特区第一高等学校に入学するわけですが、その式典に臨む準備はよろしいでしょうか。旧式含め、全機器の電源をお切り下さい。準備は出来ましたでしょうか。では、早速ではありますが、入学式を執り行いたいと思います。私は本日司会を務めさせていただきます、本校教頭の樫原秀治郎と申します。宜しくお願い致します。では、初めに本校校長からの挨拶です。本馬悠一校長、宜しくお願いします」
司会のなんとも強面で声色まで厳つい樫原教頭の合図で会場が一気に静まり返り、呼吸音さえ消え失せた。
そんな中、舞台袖から長身美白好青年、眉目秀麗といった印象の人物が現れる。
「えー、今年からこの新東京開発特区第一高等学校の校長になった本馬悠一、二十五歳、独身です。彼女募集中です。あ、なんかそれっぽいこと言わなきゃだよな……えっと、みんな頑張ろう!!」
「「「「「「「「えーーっ!?」」」」」」」」
一同騒然の校長挨拶は、ものの十数秒で終わった。