神々の世界24
メグは黙って次の記憶が開かれるのを待った。しばらくすると、世界が氷の柱が突き立った雪の世界へと変わっていた。空は快晴で、この世界にはアンバランスな木の小屋がある。
「……ここは!」
最初に反応したのはミノさんだった。その後に更夜の落ち着いた声音が続く。
「鈴が拘束された世界だな。なるほど、ここは猫夜の世界だったのか。そういえば、鈴の暴行を無理やり笑っていたあの時は、猫夜の先程の過去ととても似ている……。こちらの世界で凍夜から暴行されているのは皆、少女だ……」
そこで更夜はある仮説にたどり着いてしまった。
……まさか……。
更夜はそっとメグを見る。
メグの頬には涙がつたっていた。
……猫夜に頼まれて、あなたは凍夜の魂を引っ張り出してしまったのか……。
「更夜さん、わかってる。今は言わないで……。猫夜が来る」
メグは涙を拭うと目の前に現れた猫夜を柔らかく迎えた。メグは記憶内のメグへと変わっていく。
更夜とミノさんはメグがやることを見守るしかできなかった。
「あ、メグ!お久しぶり」
猫夜はメグに人懐っこい笑みを向けた。不思議と今回はミノさんと更夜は猫夜に気づかれていないようだ。なぜか、見えてもいないらしい。
「猫夜、元気?しばらくぶり。今日はあなたからの誘いでしょう?珍しいね」
メグは猫夜に微笑むとそう尋ねた。
「うん、そうなの。今日は相談があって……」
「相談?」
「そう!私ね一度、お父様に会いたくなったのよ」
猫夜の言葉にメグは特に顔色を変えずに聞いていた。当時のメグは凍夜の人柄を知らないようだった。
「そう。まだいるの?お父さんは」
「もう、いなくなっちゃいそう。だから最後に……少し長めに一緒にいたい……」
猫夜は寂しそうに目を伏せた。
「そうか。知らないかもしれないけど猫夜の記憶を繋げば、消えかけている魂を一時だけ元に戻せるよ。魂はソウハニウムってエネルギーだから、世界に溶けかけている彼のソウハニウムと同じ物を集めていけば一時だけ彼ができるかも」
「ふーん。そうはにうむ……。人間が後に解明できるかわからないエネルギーね。お父様と同じエネルギー……私の記憶のお父様ってことね!でも、私の記憶だけじゃ足らないわよね?」
「思い出が足らないのかな?」
「うーん……実は私、あまりお父様と一緒にいた記憶がなくて……」
猫夜は寂しそうに下を向いた。
「そう。では、あちらこちらから少しずつもらってきてみよう。『K』はツクヨミ様の力の一部、ソウハニウムの管理ができる。記憶だから、こちらにいる魂達は関係ない。少しずつ集めていけば、たぶんしばらくの間だけ元通りのお父さんができる。私はその能力で寂しがっているこちらの人を助けてきた」
「なるほど……じゃあ、やってみるわ」
猫夜はメグの言葉に心底嬉しそうに笑うと、凍夜の記憶部分のソウハニウムを集め始めた。
「こんな力が『K』にあるなんて……弐の世界管理者権限システムにアクセス……『収集』」
猫夜が小さくつぶやくと、どこからか青白い光の粒が集まってきた。
「わあ……きれい」
「ソウハニウムは常に発光しているからね」
「……ねぇ、少しの妄想も入れてもいい?」
「大丈夫。あなたの魂に記憶されている内容なら妄想でも平気。あなたの心内部から外に出すだけだから。あなたの『世界』でしばらく一緒に生活して、幸せになって」
メグが微笑んだ刹那、異様に冷たい目をした男が現れた。
「……え?」
「お父様……はあ……」
猫夜はその男を見、顔を緩ませ、艶かしい吐息を漏らした。
「猫夜……そのお父さんに会いたかったの?」
メグはこの言葉を吐いた後に頭を横に振った。
「『更夜さん』、『ミノさん』!凍夜を倒す準備を!!」
突然にメグが元のメグに戻り、鋭く言い放った。慌てて更夜は刀を抜き、ミノさんは構えた。
名前を呼ばれたからか、二人は突然に存在感が出て、猫夜と凍夜に認知された。更夜は飛び込むように凍夜に刃を向け、それを守ろうとする猫夜はミノさんが突き飛ばして押さえつけた。
「おたくも斬られるぞ!」
「なんなのよ!あんた達!離して!!」
猫夜は暴れる。ミノさんは必死で猫夜を地面に押さえつけた。
その間に更夜はまだ意識のハッキリしていない凍夜を光る刃で斬り上げた。凍夜は再び白い光の粒となり消えた。
「……倒したぞ」
更夜の声を聞いた猫夜は呆然とミノさんを見上げた。
「嘘でしょ……。なんで?なんで?どうして?お父様を私の中から消さないで!!なんで?どうして?消さないでよ!」
猫夜がミノさんを振りほどこうとしたがミノさんは力を緩めなかった。
「離して!!」
「おたくは……本当にわからないのか?まわりを不幸にしているんだぞ」
「……巻き込むなって言いたいんでしょう?」
猫夜は冷めた目をミノさんに向けた。
「巻き込むな……ああ、その通りだ。それはその通りだが俺はわかったぜ。おたくは少女達が凍夜に泣かされているのをみて興奮していた。自分が興奮していることに嫌気が差していて、ひとりで苦しんでいた。自分はおかしい、頭がおかしいと、もがき苦しんでいても、それを求めずにはいられない。おたくの葛藤は今までを見てよくわかったさ」
「……わかってどうするのよ?」
猫夜は冷たい目でミノさんを見ていた。
「どうしようもねぇよ。それがおたくの心なら。でも、巻き込むのは間違いだ。それぞれで心がある。だから……おたくは踏みとどまらなければいけなかったんだ!」
ミノさんは叫んだ後、萎縮した猫夜に静かに言う。
「もう遅ぇ……。お前は……たくさんの女を傷つけた。お前はアヤも……アヤも傷つけようとした。俺は悲しい気持ちになったよ。どうしたらいいのかわからねぇよ。お前の心を救うにはどうすればいい?」
「私が知りたいわよ……。おかしいのよ!私!!狼夜が殺されて、悲しくて苦しくて……辛かったから逃げたのに……、また戻っているの……。あの『頭のおかしい』人の所に戻っているのよ!狼夜がっ……狼夜が……私の大切な狼夜が……」
猫夜は記憶が混同しており、叫んだり、泣いたり、怒ったりを繰り返している。
「狼夜を返してよぅ……。私を殴ってよぅ……。私ならいくらやってもいいのよ。痛くないんだから……。なんで狼夜を叩くの?なんで?どうして?狼夜じゃなくて私をやれェ!あいつが憎い!憎い憎い憎い憎い!!!私を叩け!殴れ!もっと叩いて!殴って!蹴って!壊して……私に罰を与えて……お父様……!」
怒り狂ってから突然に猫夜は泣き出す。本当に精神を壊された者の末路をミノさん達は見ていた。
「なんで、お前は狼夜を手にかけたやつに、罰を与えてほしいと望んでるんだよ」
「……誰も……私を壊してくれないの……。お父様しか壊してくれないの。最初は……殴られるのは愛情だと思っていた……。そしてだんだんそれが癖になった。それに気がついたお父様は狼夜に目がいった。私が狼夜に目を向けさせてしまったの!!だから私が悪い。お父様に殴られるのは私で良かったのに!!罰がほしかった……。でも私はそれが快感になっている……。何回お父様に殴られても興奮した後に悲しくなるだけ。恥ずかしいバカ女でしょ」
猫夜はミノさんに抗いながら、苦しそうにはにかんでいた。
ミノさんもなんて言って良いのかわからず、眉を寄せるだけであった。その時、入り込んできたのは更夜だった。
「……だからといって平和に生きている者達を虐げていいと言うわけではない。あなたは頭のいい女のようだからわかっていたはずだ」
更夜は刀を鞘に戻すとミノさんの所まで歩いてきた。メグも後からついてきていた。
「……は……はは」
猫夜はかわいた笑いを漏らす。
「……?」
「お父様は私達より早く消えようとした。私達の心はまだ、きれいにならないのに……。お父様に後悔はない。あの人には一番黒くて消えない感情がない。でも、私達には深い後悔がある。だからいつまでも消えられない。魂がきれいにならない。おかしいでしょ?あの人が苦しまないのはなんでなの?どうして私達のために苦しんでくれないの?私達を散々殴って服従させたくせに。おかしいわよね?」
「……ああ、そうだな」
猫夜の言葉に更夜は素直に頷いた。
「私を壊したのはあの人。もう、元には戻せない。平和に物足りなくなっている自分がその証拠。色んな感情がありすぎて……自分の気持ちも二転三転……。まるで自分がないみたい。たぶん、それを思い出すのが嫌で……暴力の快感を求めてる。私を救える人はいない」
猫夜はあきらめたように、かわいた笑いを漏らし続ける。
その笑い声を切り裂くように更夜が口を開いた。
「……いや、救える。俺達があなたに暴力ではない愛情を教えてやる。だからあの男から離れろ。あなたはまだ……心が子供のままなのだ。最初からやり直すんだ。魂年齢を……子供に戻せ。外見だけ大人になるな。あなたはこちらで魂年齢を磨いた狼夜よりも子供なんだ。戻れ……あなたが歪んでしまった時間まで」
「……いや。お父様に殴られたい、忘れたい……」
猫夜は子供のようにダダをこねた。
「……言うことを聞きなさい。猫夜」
更夜は子供に言い聞かせるように言うと、猫夜の上にいるミノさんをどかした。
「おっと……」
ミノさんは不思議そうな顔で猫夜を離す。
「猫夜、『兄』の言うことを聞きなさい」
「いやよ。どうする?叩く?罵る?憐夜にもやっていたんでしょ?『教育』として。私は否定したわよ。どんなお仕置きをしてくれるの?」
猫夜は挑発的な口調で更夜を見上げていた。
「下手な挑発だな。バカみたいだぞ」
「お、おい……更夜……」
更夜の小バカにした笑いにミノさんが恐々と声を上げた。しかし、更夜はミノさんを睨み付けて黙らせた。
「あなたは心が成長していない子供だ。一発ひっぱたけば言うことを聞くか?」
「どうぞ。一発と言わず、顔が腫れるくらい何度も」
猫夜は頬を赤らめ、どこか期待している顔をし始めた。その雰囲気はやはり異常だった。
「……むなしいか?」
唐突な更夜の問いに猫夜は目を見開いた。
「は?」
「あなたが先程、自分で言っていた。むなしいのか?」
「……ちっ。いらつく」
猫夜は雪を踏みしめながら更夜に背を向けた。
「逃げるのか」
更夜が鋭く声をかけた刹那、世界が徐々(じょじょ)に溶け始めた。
「……猫夜が心を閉ざし始めている……」
メグが猫夜の背中を見ながらつぶやいた。それを聞いた更夜は目を細めてもう一度、猫夜に言う。
「……踏ん切りがつかぬなら……待つ。あなたが歩み寄るのを俺達は待つ。俺達の大切な妹。心優しい妹。傷つき壊れてしまった俺達の……妹。もうあいつに……従わなくていい」
「……」
猫夜は特になんにも言わずにメグ達に手をかざした。
「……弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『排除』」
目の前が真っ白になり、メグ達は強制的に猫夜から引きずり出された。凍夜を更夜が斬った後、猫夜は現在の猫夜になっていた。なので、あの感情の起伏が激しい彼女は今の彼女だった。
メグ達が砂漠の世界に戻ると、目の前で猫夜が頭を抱えてうずくまっていた。
「いや……優しくしないで……関わらないで……」
「猫夜……」
メグが何か声をかけようとした刹那、隙をついてかトケイが現れた。
「トケイ……」
猫夜は脱力しており、いままでおこなっていたトケイ対策をなにもやらなかった。
トケイは静かに空から降りてくると、猫夜の横で呆然と立っていた雷夜を分解し始めた。
「……っ!?」
足先から電子数字になっていく雷夜にミノさんが怯えの色を見せたが、トケイは表情を変えずに淡々と分解していた。
「ちょっ……何してんだよ……」
「……」
トケイは誰の言葉にも反応を示さない。
「なんなんだよ……」
ミノさんは電子数字になり、消えていく雷夜を震えながら見据えた。
雷夜はどこか安堵の表情をしていた。
「どういう……」
「雷夜は……もうない魂。無理やり存在させられ、内面のない姿だけが存在している。あの後、猫夜がそれをやった……。知っていたの。私。サヨの中にいた彼らを猫夜が引っ張り出したこと」
メグはせつなげに目を伏せて苦しそうにつぶやいた。
「先程の……凍夜を出現させたのと同じやり方か」
更夜は消え行く雷夜の瞳を見ていた。彼らには光がなかった。凍夜に壊されたのだと思っていたが違っていたようだ。
この穏やかな、安堵した表情がおそらく彼らが消えた最期だったのだろう。
「弟……、あなたは幸せにこちらで消えたのか。そしてサヨの中に溶け込んでいった。サヨは前向きで強くて、幸せな女だ。これからも彼女を見ていてくれ」
更夜の言葉に雷夜は僅かに微笑んだ。本当に彼は何か言葉を発することなく、あっけなく消えていった。
……分解……終了しました……。




