春に散る花 八話
凍夜に、仕事で静夜を使いたいと言ったらあっけなく許可がおりた。別の忍一族であり、武家の木暮家は現在、隣国の戦で共闘中であり、ちょうど嫁をほしがっていた。木暮とはやがて戦争終了時に報酬の関係などで揉めるかもしれない。静夜を嫁に出してエサにし、木暮の動きを探る。
と、いうことにしてある。
木暮はこの望月とは違い、温厚で仲間思いの一族。
弱小一族だが、強い。
戦の終わりに俺達、望月に対し、何かを言ってくる確率は低い。
本当はな。
そして、俺の勘は凍夜望月は近々滅亡するというものだ。
戦が終われば、凍夜がやったことが非難されるはずだ。
凍夜のようなやり方は長くはもたない。
はるを含め、女や子供はまるで物のような扱い。
俺は時代に反してそれが許せぬ考えだった。
戦なぞ、終わってしまえ。
狂気に満ちた奴しか出てこないではないか。
人の命が軽すぎる。
俺も……。
簡単に人を殺せるようになってしまった。殺したら戻らない。
殺した人の人生は丸々失くなるのだ。
人生を奪うのは俺だ。
俺は……。
「おとう……さま? あ……ごめんなさい! 更夜さま! 更夜さまでした! 叩かないでください!」
ふと、静夜が俺の手を握り、震えていた。
ああ、今日は静夜の嫁入りのために木暮家に行っている途中だった。
こんなに怯えさせるくらいに俺は静夜を叩いていたのか。
暖かい春の日差しの中、俺は必死だったことを思い出す。
あの屋敷にいるとおかしくなる。
「叩かないでください……」
「……すまない。俺を許さなくてもいいが、沢山傷つけたことをあやまる。すまない」
「……」
静夜は不思議そうに俺を覗き込んだ。
かわいいな。
静夜はかわいい。
俺の自慢の娘なんだ。
当たり前だ。
かわいいに決まっているさ。
「それで……なんだ? 静夜」
「あ……えっと。どこまで歩くのでしょうか……」
静夜はホコリだらけの足を忙しなく動かしながら、俺を不安げに見つめた。
「疲れたか?」
「い、いえ……その……」
俺はまわりの気配を探り、忍がいないかを確認すると、静夜をおぶって歩き出した。
わずか七歳の少女に一月ほど毎日歩かせるのもかわいそうだ。
静夜の足にあわせると、一月ほどかかってしまうからだ。
「……あたたかい背中」
静夜はそうつぶやいて、安心したのか眠ってしまった。
……静夜といられるのも後少しだ。
かわいい俺の娘。
本当に優しい俺の娘。
わかれたくない。
青空に鳥が飛んでいく。
俺はひたすら、農地の道を進む。
どこまでも進む。
夕方、静夜が目覚めた。
毎日気を張っていて、疲れていたんだろう。
「あっ! ごめんなさい! えと……更夜……さま」
「起きたか。今日は遅い故、近くの村に寄るか。金はある故な」
「え……あ……私、歩けます」
静夜が夜でも歩くと言ってきたが、俺は「ダメだ」と言っておいた。
夜は静夜に子守歌を歌ってやった。以前は大泣きしてはるに助けを求めたが、今は健やかに眠っている。
はるに似ている顔で眠る静夜。
俺になんか似なくていい。
本当は、お父様と呼んでほしいのだ。俺は父でいたいのだ。
俺の娘が、俺を様付けで呼ぶなどおかしな話ではないか。
凍夜がそうさせたのだ。
俺はあの男を恨む。
夜になるといつも、俺はあの男に憎悪するのだ。
次の日、木暮の里がある山道に入った。俺は静夜を抱き抱えて、道なき道を歩く。
「……私は捨てられるのでしょうか?」
静夜は嫁入りを理解できていなかったのか、不安げな表情を向けた。
「いや、捨てるわけないだろう。お前は希望だ。大切にしてくださるおうちに行くのだ。俺にはお前を守る力がない故な」
俺は言っていて悲しくなった。
なんと、情けない。
娘も守れないのか。
妻も守れなかったくせに。
「更夜さま、ありがとうございました。私は沢山守られましたよ。身体に傷がないまま、宝物のように育ててくださいました。感謝しかないです」
「静夜……」
俺は何か言おうとしたが、何も言えなかった。
山を登ると屋敷があった。
あれか。
平坦の道に静夜をおろし、手を引いて歩いた。
屋敷は望月の半分もなかった。
門をくぐると、子供達が楽しそうに遊んでいた。
「子供が……遊んでいる」
俺は目を疑った。
俺達の世界ではあり得ない光景だ。しばらく、呆然としていた俺に、女が話しかけてきた。
「あら、あなた様がもしや……」
「ええ……はい。望月家でございます。我が望月は貧乏故、輿入れもまともにできませんでしたが、静夜を連れて参りました」
俺は嘘をつきながら、笑顔を向ける。演技だ。
「まあ! かわいらしいお姫様。私は下女でございます故、旦那様と婿様と奥様を連れて参りますね」
……下女……。
俺達の下女とは違う。
まるで、家族のようだ。
俺は去っていく女の背中を見据え、目を閉じた。
すぐに男二人と女が出てきた。
「望月静夜様と更夜様ですか。遠いところ、お疲れ様でございました。木暮行政でございます。そして、息子の政伸です」
旦那だと思われる男が優しげに笑う。その横にいた青年は顔を赤くして目を泳がせていた。
「妻の千代です」
女も幸せそうに笑っていた。
何もかも違った。
「……静夜……」
俺も自然に優しげな顔になり、静夜の背中を押した。
これで終わりだ。
俺と娘の関係も終わりだ……。
「最後に……お父様と呼んでくれないか。静夜」
俺は最後に、静夜の父でいたかった。静夜は目を見開いて驚いていたが、やがて笑顔で
「おとうさま、大好きです」
と、言葉をこぼした。
自然と涙が溢れた。
本当は一緒にいたかった。
七歳の娘をはると三人で育ててやりたかった。
「すまない……静夜……。俺は……」
俺は呼吸を整え、最後の言葉を発する。
「俺は……何もしてやれなかったが、静夜は俺の自慢のっ……。……あなたは俺の自慢の娘だ。静夜、愛している」
なんとか言葉を伝え、俺は頭を下げた。
「静夜をよろしく……お願いします」
「静夜、素敵なお父様だな! これから俺と木暮を守ろう」
息子の政伸が顔を真っ赤にして静夜の手をとった。
静夜の頬も赤く染まった。
「もうしばらく、こちらで過ごされますか?」
木暮の妻の千代がそう言ったが、俺は断った。
「離れられなくなる故、私はこれで失礼いたします。木暮と望月が良好な関係を保たせられるよう、力を尽くします」
「そうでございますか……。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
木暮の家長に俺は頭を下げると、足早にその場を去った。
……俺はもう死んでもかまわない。
もうひとりの娘の墓を作りにいこう。
鈴……。
俺が殺した娘の名。
最後の仕事だ。
俺はもう、望月を抜ける。




