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城主殺害 後編

 「更夜か……。」

 「追手とはお前か。栄次。そうだとは思ったがな。」

 更夜はこちらを振り返りもせずにそう言った。更夜は追手が来る事を知っていたようだ。

 更夜は俺が知っている更夜とは全く違った。声は鋭く低い。

 「お前を殺さないといけなくなってしまった。」

 俺は静かにそう言った。

 「ああ、知ってる。」

 更夜は短くそう言うとこちらを向いた。更夜の右目は髪で隠されていた。あの時の情景が目に浮かぶ。あの少女が更夜の右目を奪った。あの娘を殺した後、更夜は顔色を変えずにこう言った。

 「もともと目があまり見えないのです。目が一つなくなったくらい別にどうだっていい。」

 俺はあの時、この男も正気ではないと思った。

 「さて。その後ろの五人は演武を見るためにいるのか?俺を殺すためにいるのか?」

 更夜の殺気は草木に身をひそめていた男達を恐怖させた。

 「後ろのは関係がない。追手は俺だ。」

 「そうか。ならばやる事は一つだな。」

 更夜は冷徹な笑みを浮かべながら素早く刀を抜いた。

 「お前は本当に殿を殺したのか?」

 俺はまだ確信していなかった。実際にその場面を見たわけではないからだ。

 「そうだ。今の殿が言っていなかったか?」

 「それはお前が逃亡したから怪しんでいるだけだろう。」

 「いや、俺がやった。あの殿では先が望めないからな。そう思わなかったか?」

 この時の更夜の言葉で俺が感じた事はこの国の行く末を案じて殿を殺したのではないかという事だ。鈴の記憶を見た後では更夜の印象はまるで違う。この言葉はそう思わせるための話術。

 今ならわかる……。だが当時の俺はわからなかった。更夜が忍であるという事も知らなかった。

 「滅びるのは時間の……問題だったかもな。」

 俺は刀を抜いた。更夜が俺を本気で殺すつもりだったからだ。片目では距離感もつかめないだろう。更夜が倒れるのも時間の問題だと思っていた。しかし、更夜は左目をそっと閉じた。

 ……目を使わないって事か?

 俺は刀を握り直した。これは手ごわい相手だ。更夜は目を閉じたまま、まっすぐ俺に向かって来た。まるで見えているかのように的確に刀を振るう。俺は更夜の逆袈裟を紙一重で避けた。

 「避けたか。おもしろい。」

 更夜は笑みを浮かべ、そのまま俺の視界から消えた。

 ……後ろか。

 俺は感覚で前に飛んだ。風が背中を通り過ぎる。そのまま振り返る。更夜が今度は袈裟斬りをしていたようだ。刀は下で止まっている。

 「凄いな。斬れそうで斬れない。さすが蛇。」

 更夜は刀を構え直す。

 「獲物の背後から近寄る、まさに鷹だな。」

 俺がそうつぶやいた時には更夜はもういなかった。

 ……右だな。

 俺は目を右に動かす。突きの姿勢をとっている更夜が映った。俺は更夜の突きを後ろにわずかに退いてかわし、刀を横に薙ぎ払った。

 「……っ!」

 更夜は強靭的な脚力で突きの姿勢のままであるにも関わらず上に飛んだ。俺の刀は更夜の足すれすれを横に凪いだだけだった。更夜は素早く着地すると刀を正眼に構える。

 鍔せりあいはしなかった。お互い避けて刀を振るう。しばらくその繰り返しが続いた。

 俺自身、こんなに敵と対峙した事はなかった。この緊張感も久しぶりだ。命の削り合いも散々やってきたがこの男ほど凄腕はいなかった。殺されるかもしれない。あまり感じた事もない感情が俺を渦巻いた。俺自身、少しおかしくなっていたのかもしれない。

俺は自分の刀を地面に刺した。

「何をしている? 刃こぼれでも見つかったか?」

 更夜は目をつぶったままそうつぶやいた。俺は構わず後ろにいた男達に叫んだ。もちろん目線は更夜に向けている。

 「誰か刀を貸してくれ。」

 男の内の一人が肩をビクつかせながら近くの地面に刀を刺していそいそと退いた。

 ……もっと近くまで持って来てほしかったな……。

俺はしかたなく刀に向かって走った。更夜が後ろから追って来るのを感じながら刺さっている刀を引き抜き、そのまま流れるように横に凪いだ。更夜は刀で俺の刀を受け止めた。はじめて刀と刀がぶつかった。

 お互い勢いよく弾かれ吹っ飛ばされた。俺は刀を構えたまま更夜と間合いをとる。ふと更夜を探すがもう更夜は俺の視界にはいなかった。

 ……今度は左か。

風を斬る音と閃光が絶えず続く。なかなか勝負が決まらなかった。俺も更夜も紙一重でかわしているため、身体中切り傷でいっぱいだった。髪紐はほどけ、更夜もひどい有様だ。さすがに息が上がってきた。この男は……強い……。 

地面に咲いている名もなき花達は俺達の血で真っ赤に染められている。更夜もおそらく疲弊している。顔には出さないが辛いはずだ。

 「うわああ!」

 ふいに後ろから声が聞こえた。何かが風を裂く。俺は咄嗟に避けた。何かは顔をかすめて飛んで行った。

 ……矢だ……。

 俺はすぐに気がついた。

 後ろの男がいきなり矢を放って来た。

……何もするな。どうせお前達ではこの男を殺す事はできない。

俺は奥歯を噛みしめた。

「はっ!」

その時、更夜の左目が開き、ふと後ろを見る仕草をした。そして矢に自ら当たりに行った。

「……っ?」

避けられたはずだ。……何故避けなかった。なぜ当たりに行った?

俺は更夜の行動が信じられなかった。それを考える間もなく俺の身体は勝手に動いていた。

更夜に隙ができた。俺の身体は更夜を殺す絶好の機会だと勝手に判断し動き出した。

 そして俺は更夜を渾身の力で袈裟に斬っていた。更夜は肩から足にかけて深々と切り裂かれてその場に仰向けで倒れた。俺の手はその時震えていた。いままでの戦で俺はとどまる事を忘れてしまっていた。思考よりも先に身体が動いた。それがたまらなく怖かった。

そして俺は更夜を斬ってしまってからなぜか後悔をした。もちろん、更夜を殺すために刀を借りた。だが俺は後悔していた。

 更夜は苦しそうに血を吐きながら笑っていた。

 「はは……。まったくお前はどこまでも俺を殺すつもりだったんだな。」

 「更夜……?」

 更夜は俺に対して言ったわけではなかった。更夜のすぐ後ろにある……墓。その墓に向かって言っていた。墓といっても粗末なものだ。木の棒が一本立っているだけだ。

 「なんで俺はお前なんて守ってしまったのかな。なあ、鈴。」

 鈴……あの娘の名だ。更夜は鈴の墓に矢が刺さりそうな所を自分の身体で防いだということか。なぜそんな事を……。

 「お前、骨もないのにそこに埋葬したのか。」

 俺は死ぬ直前の更夜に話しかける。

 「そうだ。忍は骨すら残してはいけない。だが、墓くらい残してやってもいいだろう。あんな子供が襲ってきたのははじめてだったんだ。あいつは立派だった。しかし、お前は本当に人間か? 強いな。」

 「お前もだいぶん人間離れしていたぞ。お互い様だ。……俺はな……今、すごく後悔している。」

 俺はうつろな目の更夜の前にしゃがみこむ。

 「後悔? それはおかしな話だな。お前は俺を殺すつもりだったんだろ? 喜ぶべきことじゃないか。まあ、俺を殺したところでここから先、何か変わるわけでもないがな。」

 「確かにな……。」

 「さあて。俺はこれから鈴にでも会いに行くか。また殺されかけるかもしれないが。それから栄次、お前ともっと話してみたかったというのは嘘じゃない。こんな世じゃなきゃわかりあえたかもな。」

 更夜の言葉を聞いて俺は後悔していた理由がわかった。更夜とわかり合えたかもしれない。俺はあの時、そう思ったのだろうな。

 「更夜……俺は……。」

 「もういい。……じゃあな。」

 更夜はそう言うと火打石で自らの身体に火を放った。元から油でも塗っていたのか普通では考えられない炎が更夜からあがった。更夜は切なげな青い瞳でこちらを見た後、炎に包まれ消えて行った。本当に何も残らなかった。灰と人間が焼ける臭いが鼻に突く。俺は呆然とその場に立っていた。俺の後ろでは更夜の死を喜ぶ男達の声が聞こえている。

 ……そんなにこの男が死ぬのが嬉しいか?

 俺は心の中で男達に問いかけた。

 ……俺は不思議と悲しい。なぜかな。

「これでは首を持って帰る事すらできんではないか……。」

 俺はそんな事をつぶやいていた。煤けて誰だかわからなくなってしまった更夜から目を離し、鈴の墓に目を向けた。鈴の墓には小さな花が供えてあった。その花は更夜の血で汚れ、真っ赤に染まっていた。夕陽が鈴の墓を悲しげに照らす。墓には不思議と血の一滴すらついていなかった。更夜はここにずっといた……。そして毎日花を供えに来ていた……。

 一瞬、過去が通り過ぎた。

 「お前はどんな花が好きだ? 女の子なんだから……何かあるだろう?」

 ぶっきらぼうに問いかける更夜と作りたての墓。更夜は座り込み、どこから持ってきたのか小さい花を何本か墓の側に置いていた。

 「俺は柔らかい表情ができない。……お前にどういう顔をしたらいいかわからない。俺はもう色々と疲れた。……俺が向こうへ行った時、今度は上手に俺を殺せるぞ。鈴。」

やわらかい風が更夜の髪をなで、供えた花が優しく揺れている。一瞬だけだったがそんな情景が浮かんだ。

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