幼少期、ラヴィアンローズ!2
からっと空が晴れた翌日を、私は実に憂鬱な気持ちで迎えた。
婚約が決まった途端、善は急げとばかりに親達は婚約者同士を引き合わせようと企んでくれやがったらしい。あまりのことに私の口調も崩れている。
そもそも、今日は日曜日なのだ。日曜日といえば休日。休みの日はゴロゴロすると決めているこだわりの強いお子様である私としては、この急なお出かけは大変に不愉快なのだ。
野菊 は 遺憾の意 を 表明 した ▽
ふわふわしたスカートのキッズドレスをひとりでは着ることができず母に手伝ってもらいながら、私はふざけた妄想で気を紛らわすことしかできない。
昨日は自分の一歩でバラ色の未来を手に入れると意気込んでいたが、子どもの熱意は冷めやすい。一晩を過ぎたら自信なんてきれいに消え去っていた。
そもそも、原作では幼少期のエピソードなんて何一つなかったのだ。何をすればいいのか皆目見当もつかないのである。
原作では、私はメインヒーローの婚約者として登場する。顔の良い婚約者を私はとても気に入っていて、だからこそ、八方美人なヒロインが気に入らずいじめて自滅するのだ。
しかし、これは前提として私が婚約者のことを好きになっているという条件が必要になってくる。婚約者のことが好きな場合に待ち受けているのは寂しい独り身人生。好きになれなかった場合に待ち受けているのは愛のない結婚生活、もしくはバツ付き人生だ。離婚を選択することに偏見は特にないが、なにぶん狭い上流階級社会だ。肩身の狭い思いをすること請け合いである。
私、詰んでいるのではなかろうか。
思わず遠い目をしてしまった私は、大きくため息をついた。
「まあ、野菊!せっかくの婚約者との対面を前にしてため息なんてついて。せっかく可愛いドレスを選んだのに、台無しよ」
「はあい。ごめんなさい、お母様」
猫背になってしまった背中を伸ばすようにポンポンと叩きながら、母が声をかける。私が原作の野菊と別人であるからか、母は私をないがしろにすることなく気にかけてくれる。おそらく、私の評判がいいことも現在のこの関係に一役買っているのだろう。
少し怒ったような口調で私を励ましてくれる母のことが、私は存外好きだ。
「あなたは物心ついたころから大人びているけれど、まだ子供なのよ。緊張しているならしているで、素直に表現すればいいの!…はい、これでおしまい。鏡の前でくるっと回ってみなさい」
空色のシフォン生地でできたサシュをキュッと腰で結んだ母が、私を鏡に向かって押し出す。弾かれるように鏡の前に躍りだした私は、そのままくるっと一回転した。
サシュと同じ色をしたドレスは空気を含んでふわっと広がり、ボリュームのある柔らかい髪の毛が遅れてそれについていく。
「可愛い!」
思わず目を見開いて母のほうを振り返ると、母は満足そうに頷いた。自分の見立てがよかったことにご満悦といった表情だ。
二人してにこにこしていると、軽いノックの音と共にガチャっとドアが開く。ひょっこり入ってきたのは兄だった。兄も、今日はおめかしをしている。明るいグレーのキッズスーツにワインレッドの蝶ネクタイを締めて、私のドレスの色とおそろいのハンカチーフをポケットから覗かせていた。今年9歳になる兄は、私よりもちょっとだけ大人みたいでなんだかずるい気がする。
「野菊、準備はできた?…わあ、可愛い!お姫様みたいだ」
「お兄様も、ぱりっとしていてかっこいい」
お互いに褒めあったあと、兄は私の手を取り、腰を少しかがめて私の顔を真っ直ぐ見た。この仕草は、兄が私を甘やかそうとするときのものだ。原作では私のわがままに付き合ってうんざりした様子だった兄とも、現世では良好な兄妹仲を築けている。
「よかった、元気が出たみたいだね。朝ご飯の場では顔色がなんだか悪かったから、心配だったんだ」
嬉しそうに言う兄にハッとする。そうだ、おめかしをして褒められて、すっかり忘れていたが私は不機嫌だったのだ。6歳児、実に現金なものである。
「ありがとう、お兄様。それにお母様」
「どういたしまして」
「あら、お母様は何もしていなくてよ」
二人を見ながらお礼をすると、兄は目をぐるんと回して応え、母は冗談めかして返事をくれた。私が愛されているとわかる仕草である。
そうだ、今無理をして頑張らなくてもいいのだ。将来婚約を破棄されたとして、帰る場所のなかった原作の私と今の私とでは、全く状況が違う。もしそういう事態に私が陥ったとしても、父と母は私を世間の目から守ってくれるだろうし、兄も私を邪険にすることなどないだろう。そこにあるのは紛れもない家族に対する信頼で、原作の私が望んでも手に入らなかった家族の関係だ。
婚約者への対策がわからない今、後ろ向きに考えても仕方がないのだ。私は開き直って前向きに考えることにしよう。
「お母様、お兄様。きっとお父様は準備をとうに終えているわ。あまり待たせないうちに行きましょう」
あらあら、まあまあなんて笑う二人の手を引いて、私は玄関へと足を向けた。