第9話 聖域を持つ者
瞬きをする僅かな間――
回りの景色が消え、一真達は乳白色の空間にいた。
「ここは?」
雅が九嬢に尋ねた。
「聖域です。聖宮と同じ空気で形成された空間なんです」
「さて、これをどうするか、じゃが」
睡蓮が封印された邪獣を見る。
「すごいですねぇ……初めてみました。人宮って、こんな化け物もいる場所なんですねぇ」
九嬢が邪獣を観察するように、その回りをゆっくりと回り歩く。
「何を言っておる。これは、聖宮で生まれるもの。そして、本来そこで消滅すべきものじゃ。人宮になど連れてくるから、この様なおぞましき姿になるのじゃ」
「じゃぁ、何で、ここにいるのですぅ?」
「分からぬ。何者かが人宮に放ったか」
「闇邪か?」
一真がぽつりと言う。
「そなた、何ゆえ闇邪を知っておる」
睡蓮が眉をひそめた。
「あの猫が、そう言っていた。闇邪が、そこの金髪を食いに来ると」
「幻蛇が、そう申したのか」
一真が頷くと、睡蓮が考え込む。
「あのぅ……睡蓮姐さま、ここ、ひび入って来てますけど」
九嬢が封印された邪獣を指差している。
「火翼が弱っておるから、封印の力も弱くなっておるのじゃろう……残念ながら、にわかの外壁はまだまだ未熟じゃ」
睡蓮が横目でアンディを見ながら呟くように言う。
「おい、これがもし割れたら、こいつは……?」
一真が心配そうに聞く。
「また、出てくるであろうな」
「どうするんだ?こいつを消す方法はないのか」
「なくはない。外からでは手は出せぬが、内側からならば消すことも可能じゃ。手順としては、聖獣を九嬢の杖で、邪獣の中に転移させる。そして、消滅の杖で邪獣の核を消去する。それだけの事なのじゃが」
「何か問題が?」
「内側から消滅の杖を使うと、外壁がもたん。魂の欠片も残さずにな。消滅の杖と同時に再生の杖を使わねば、外壁を元に戻すことは出来ぬ……」
「外壁って……」
「邪獣が最後に食うた人間が、目下、奴の外壁になっておる」
――最後に……って、伊敷かっ。
「もっとも、邪獣に取り込まれるような者は、それなりに邪な存在ゆえ、自業自得と言って切り捨てるもやぶさかではないかの?」
「いや、さすがにそこまでは」
そう答えると、睡連がふっと意味ありげに笑った。
「……成程。嫌々言いながらも、その清廉っぷりが、小娘のお気に入りか……」
「は?」
「いやいや、こっちの話じゃ」
「それで?その再生の杖は、どこにあるんだ?」
「黄天神麟輪と共に、行方知れずじゃ」
ぴしっ、と不吉な音を立て、邪獣の封印に大きなひびが走った。
「おいっ」
一真が焦った様に言う。
「九嬢、猫め……幻蛇を呼び戻せ」
「あ、はいぃ」
九嬢が杖を構え、今度は顔の前でくるり円を描く。
「転移の杖っ!」
叫んで、杖を下から振り上げると円を縦に切った。
光の筋が立ち上っていく。それが弧を描き、降下する。光が足元に落ちて弾けた。その光の中から、太郎丸が現われた。
「おぬし、何をしておる」
睡蓮が太郎丸に冷ややかな視線を浴びせる。
「あ……」
口を開いた太郎丸の口から、くわえていた尾頭付きの魚が、ぽとり……と落ちた。
「わしではないぞ。この外壁が勝手にやっておるのじゃっ」
言い訳がましく太郎丸が言う。
「猫の本能に引き摺られおって……真面目に黄天神を探しておるのかと思えば」
「探した、探しておる。そして、重大な事に思い至ったのじゃ」
みしっ。
不気味な音がして、封印が僅かに裂けた。
太郎丸が目を丸くする。
「状況は、分かって貰えたかの?」
睡蓮が冷めた口調で言う。
「邪獣は封印に閉じ込められて、ご機嫌ななめ。いずれ時間の問題じゃ……したら、そなたを食いに来るぞ」
太郎丸の毛が逆立った。
「かりそめの外壁とは言え、食われるのは気色が悪いっ……早う、片付けるのじゃっ」
「黄天神を見つけねば、話にならぬ」
「黄天神ならば、ほれ、そこにおる」
太郎丸が、猫手をぴっと一真に向けた。
「え?」
一真がきょとんとした顔をする。
「何の根拠があって、その様な戯言を……」
睡蓮が失望した様な顔をする。
「まあ、聞け。そもそも聖獣がどうやって外壁を選ぶか、考えてみよ」
太郎丸が謎をかける様に睡蓮に言う。
「九嬢、そなたは、その外壁をどうやって選んだのじゃ」
太郎丸が今度は九嬢に聞く。
「えとっ……剛虎が、なるべくきれいなとこが良いっていうから、降りた所で、一番きれいな所を見つけて……」
「そうじゃ。きれいな所……それ即ち、聖域じゃ。睡蓮、そなたは、指輪を与えた人間に、聖域を守り継承させておったから、迷わずそこへ降りた。だが、九嬢には、そういう人間がおらぬ。よって、きれいだと思った人間……聖域を持った者に降りたのじゃ。剛虎が外壁に選んだ者は、封印の祠で浄めの煙を浴びておった」
太郎丸が、一真を見た。
「そなたも、あの場所におったな?」
「浄めの煙?」
一真は、例の祠で被った煙を思い出す。
「あれが?」
「聖獣雷麒が、この辺りに降りるのであれば、聖域を持つ者……即ち、こやつに降りるはずじゃ」
「成程」
睡蓮が目を細めて一真を見る。
「俺は、やだ」
虎丈のどろどろに溶けた体を思い浮かべて、一真が首を振る。見るだけだって気持ち悪いものを、冗談ではない。
「麟輪は汚染には免疫がないから、外壁の外には出られぬ」
「出ようが出まいが、外壁なんかになったら、闇邪とやらに食われるんだろうに……」
一真が後ずさる。
「邪獣は、放っておくとどんどん増えるぞ。汚染のひどい人宮は、やつらにとっては、格好の繁殖場所じゃ。邪獣は人を食うぞ。人を食ってその体を大きくする。天神の力を合わせて、残らず駆除せねば、人宮は、今に、邪獣の住処となるのじゃ。そなたが外壁とならず、闇邪の標的とならずとも、いずれ邪獣の餌じゃ」
「それは、困るが……しかし…………」
一真が顔をしかめた。
その背後から、雅がおもむろに一真を羽交い締めにした。
「何するんですか、師匠」
「こんな優柔不断な奴の戯言なんか、聞かなくていいです。何でもいいから、その聖獣とかいうの、呼んじゃって下さい」
「師匠ぉ……離しやがれ」
一真がじたばたと暴れる。
「世界の平和の為に、戦うのだ一真っ」
「他のことなら、いいですけどっ、こういうのは本当に、駄目なんですっ。勘弁して下さいよっ」
「九嬢……」
睡蓮が九嬢を呼ぶ。
「そろそろ雷麒達が、降りてくる時間じゃ。構わないから、おやり」
「はぁい、かしこまりましたぁ。麟輪ちゃん、出てきてねっ。転移の杖っ!」
九嬢が叫んで、一真に向けて杖を振る。光が一真を飲み込んだ。
「うわあぁぁぁっ……」
金色の光が一真を包む。その光が脹らんで球体を形成し、そして、光と共に一真の姿が消えた。
「どうやら、当たりの様じゃ。では、九嬢」
「はいっ」
九嬢が、今度は睡蓮に向けて杖を振る。同じように、睡蓮が蒼い光を帯びて、その光と共に姿を消した。
「あいつ……どこに消えたんです?」
雅の問いに、太郎丸が答えた。
「その中じゃよ」
太郎丸の猫手が、封印の中で暴れ始めた邪獣を指していた。




