97 魔法の濾し布
今日は授業の後、中級再生薬の作り方の続きを教えてもらう日。注文されていた濾し布を鞄に詰め、ヒヨコを入れたバスケットを手にプロセルピーネ先生の研究室へと向かう。
「遅いわよ。濾し布はちゃんと用意してきたでしょうね?」
「このとおり」
ドクロワルさんと魔性レディはすでに来ていて材料の準備を始めていた。タルトはさっそく窓際の日当たりのいい場所に陣取って、ヒヨコとグリフォンにエサを与え始める。
「さっそく実験よ。どうなるか楽しみだわ」
ウヒヒヒ……と笑いながらプロセルピーネ先生が鍋の上にザルを乗せ、僕から受け取った水だけを通す濾し布をそこに敷く。まずは魔力を流さずに、先日僕が作った初級再生薬の濃縮液を注いでみる。濃縮液はそのままダバァと鍋の中に流れ落ちた。
「これは当然の結果ね。じゃあ次は魔力を流してみるわよ」
濾し布に魔力を流し込み魔法陣を起動させる。その状態で濃縮液を注いでみたところ、濃縮液はザルの中に溜まった。少しずつ水が抜けていってるみたいで、ドリップコーヒーのようにゆっくりと嵩を減らしてゆき、最後に血を溶かしたように赤い液体がザルの中に残る。
「水だわ……」
ザルを持ち上げて鍋の中を除いたプロセルピーネ先生が言葉を失っていた。鍋の中に溜まっていたのは、底の小さな汚れもくっきりと見えるくらい澄みきった水だ。
「魔力を流したまま絞ってみてちょうだい」
ドクロワルさんがギュギュッと絞ると、まだ残っていたいくばくかの水分が抜けてくる。濾し布に残った成分をガラス容器に空けてみると、濃縮液は調理油のようにねっちょりとした液体になっていた。
「これ……ほとんどの水が抜けていませんか?」
「むちゃくちゃ濃縮した状態なんでしょうけど、見るのはこれが初めてだわ……」
続いて水だけを通さない濾し布を試してみると、ルビーのように赤い色をした結晶が濾し布の底面に付着し始めた。ただし、量はかなり少ない。絞ってみても全部は抜けてこないらしく、ザルに残った濃縮液は薄まったとはいえ赤いままだ。
「こっちは完全に水と分離できますけど、取り出せるのは一部だけという感じですね」
濃い濃縮液を得たいなら水だけを通す濾し布。純粋な成分を取り出したいなら水だけを通さない濾し布と使い分けられる。これはとんでもない秘匿術式ではないかと、濾し布を手にしたドクロワルさんは震えていた。
「イィィィヤッキョェェェ――――イッ!」
ヤバイ。プロセルピーネ先生が意味不明な叫び声をあげて、パンツが見えるのもお構いなしにブリッジの体制のまま床をガサガサと這い回りだした。奇声を発しながら腰を高々と突き上げ、ゼンマイで走るおもちゃのように何かにぶつかっては方向を変えたりグルグル回転したりしている。
「先生っ。気を確かにっ!」
「あぁぁ……あれも実験しなきゃ……これも……そっちもっ!」
どうやら実験したいことが多すぎてパニックを起こしてしまったらしい。ブルブルと震える手であっちこっちの薬品棚を指さしている。優先順位を決めることができないようだ。
「これを飲ませて落ち着かせるのです」
タルトが差し出してきたコップを受け取って先生に飲ませたところ、すぐにウトウトし始めてコテリと寝入ってしまった。そこの薬品棚にあった睡眠薬を入れておいたという。
「いつの間に鍵を……あれ? 開いていません」
危険な薬品も多いので鍵をかけていたはずなのにと薬品棚を確認したドクロワルさんが、鍵はかかったままだと首をかしげている。
「わたくしにチョロまかせないものなんてありはしないのです」
どんないたずらも思いのままだと、3歳児は見せびらかすように薬瓶を振っていた。
薬で寝かされてしまったプロセルピーネ先生はしばらく目を覚まさないので、タルトが陣取っていた日当たりのいい場所に転がしておく。エサをもらってご機嫌なヒヨコたちは、あったかい敷物がきたと先生のおなかの上で丸まっていた。中級再生薬の作り方はドクロ先生が教えてくれるようだ。
教本によれば、濃縮した初級再生薬に刻んだホタルゴケを投入し、熱を加えながら抽出と調合を行うとある。もっとも、これは初級解毒薬と同じくコスト最優先の製法で、このやり方では品質3、効果3の粗悪品がせいぜいだとドクロワルさんは言う。
授業では品質、効果ともに3が標準品だと教えているのに……
まずは干したホタルゴケをフライパンで茶色くなるまで乾煎りする。手早くかき混ぜないと焦げついてしまい品質が著しく落ちるらしい。ドクロワルさんは精密機械のような手捌きで簡単そうにやってみせるけど、全体がムラなく変色していくのは均一に火が通っている証拠だ。
次に煎ったホタルゴケを下茹でする。ホタルゴケから必要な成分が出てくるのは他の成分が抜けた後なので、下茹でしていらない成分を先に抜いてしまうそうだ。パスタ鍋のように二重になっている容器に湯を沸かし、ごっそりとホタルゴケを投入。ヘラで数回かき混ぜた後、内側の容器を引き上げて手早く水を切る。ホタルゴケの投入から水切りまで30秒とかからない早業だ。
ここまで出来れば、後は難しくない。沸騰したお湯にホタルゴケを浸からせて成分を抽出。水が黄緑色に変色するので色合いを確認し、沸騰させるか水を足すかして濃度を調整する。よく冷ましてから初級再生薬の濃縮液と混ぜ合わせて調合すれば完成だという。
「今は作業の流れを説明するためにパパッとやっちゃいましたけど、初めてのおふたりはゆっくりやりましょうね」
口調は優しげなものの、満足のいく中級再生薬が出来上がるまでは帰さないとドクロ先生の魔力が語っていた。
「失敗です。やり直してください」
さっそくホタルゴケを焦げつかせてしまった魔性レディがリテイクを言い渡される。やっぱりここはドクロ塾だった。一瞬でも焦げ臭いを立ててしまうと失敗。勢いよくかき混ぜすぎて溢してしまっても失敗。煎りムラができてしまっても失敗である。魔術のヒーターでは温度が足りないので火を使うのだけど、焦げないようにとフライパンを火から離し過ぎたら茶色くならずに失敗と判定された。煎るときの温度が低すぎだそうな。
「ドクロ先生。我はもう腕が……」
「騎士は腕が上がらないくらいで泣き言を漏らすんですか?」
武器を振り回すことには慣れていても、調理器具を器用に使うことには慣れていないのだろう。腕が痺れてしまったと魔性レディが言ったものの、現役の騎士が何を甘ったれたことを言っていると一蹴されてしまった。
失敗を12回も繰り返し、僕の腕にも震えがきているのだけど、もちろん口には出さない。ドクロ塾はそうなってからが本番。そんな言い訳は聞き入れてもらえないと、とっくに学習済みだ。
僕は18回、魔性レディは22回の試行の末にようやく合格をいただいた。次は下茹でなのだけど、鍋を火にかけたままやるのはホタルゴケを引き上げるタイミングがシビアなので、火から下ろして砂時計で時間を計るという。
「慣れてくれば、水の変化を捉えられるようになります。練習あるのみですよ」
いらない成分が溶けてくると水が柔らかくなって、かき混ぜた時の波の立ち方に違いが出てくるそうだ。もちろん僕にはさっぱりわからない。匠の世界は奥が深すぎた。
下茹でを終えて成分を抽出したところ、若干色が薄いとドクロワルさんに言われてしまう。下茹での際に必要な成分まで抜けてしまったせいらしい。せっかくだからと濾し布を使って水を抜き、必要な分だけ注ぎ足してみる。
「すごいです。これがあれば濃度の調整が自在ですよ」
自由に調整できるだけではなく、蒸留器では得られない濃度にまで高めることも可能。プロセルピーネ先生が狂喜乱舞するのも頷けるとドクロワルさんはしきりに感心していた。
最後に、やはり濾し布を使って濃度を調整した初級再生薬の濃縮液と混ぜ合わせ、魔法陣を刻んだ鍋に魔力を流し込んで調合する。さほど時間はかからない。と思ったら、魔性レディはずいぶんと時間をかけて調合していた。
「御子の魔力は桁違いね」
「アーレイ君は一気に魔力を流し過ぎです」
なんと、調合の際に流す魔力も調節しないといけなかったらしい。大量の魔力を送り込めば調合自体は短時間で終わるものの、必要以上の魔力のせいで安定するまでの期間が長引いてしまう。ほとんどの人族はそこまでの魔力を流し込めないから気にする必要もないのだけど、ロゥリング族の魔力を力任せに流し込まれると機材の消耗も激しくなるそうだ。
「確定ではありませんけど、品質4、効果5といったところですね」
出来上がった中級再生薬を試験紙で確認し、なかなかの出来だと褒めてもらえるかと思ったのに、ドクロ先生はご不満な様子。濃度調整は完璧なはずなので、乾煎りした際にムラがあったのだろうと品質が5にならなかった理由を分析している。魔力が安定すれば変わってくる可能性はあるものの、良い方向に変化することは稀だという。
「合格水準が甘すぎたみたいですね。先生に叱られてしまいます」
品質5にできなかったと、ドクロワルさんはしょんぼりと肩を落としていた。さんざんやり直しをさせられてようやく合格したのに、甘すぎたと言われた魔性レディは顔を引きつらせている。
日が落ちるころになって、ようやくプロセルピーネ先生が目を覚ます。僕たちの作った中級再生薬を見て駄作だと評価した。なお、プロセルピーネ基準では品質4なら駄作。効果が4に落ちたら失敗作。ひとつでも3になったものは、もう色のついた水だそうな。
「この濾し布のことは他言無用よ。秘密を漏らした者は、ザリガニの鰓を取り付けて声を出せないようにしてやるわ」
とんでもない宣告を受けてしまったけど、生徒のみならず教員や研究員だって、およそ調合を専攻している人なら誰だって欲しくなる代物。教養課程の生徒がこんな秘匿術式を持っていると知れたら、窃盗や強奪しようとする輩まで現れかねないという。
「魔法陣を刻んだ濾し器があるといいのですけど……」
「研究する分には使い捨ての濾し布で充分よ。ちゃんとした機材は有効な利用方法を確立した後で発注すればいいわ」
とりあえず、それぞれ10枚ずつ作るようにと依頼される。報酬は大金貨1枚。染料と濾し布は先生が用意してくれるので、僕が負担するのは手間だけだ。これでフルーツパーラーの代金を返済する目途がついた。
「先生。アーレイ君も工師課程の品評会に?」
「この程度の中級魔法薬なら、教養課程の課題評価の方が評価点は高いわね」
課題評価か……その手も考えていないわけでもないけど……
春学期の成績は試験の結果に運動会の得点が加えられたように、秋学期の成績には競技会の得点が加算される。ただ、競技会で得点が見込めない生徒は代わりに課題を提出し、その評価点を成績に加えることができた。もっとも、これは救済措置なので評価点の上限は低く、ある程度の成績を残せるなら競技会に参加するほうがいい。
秋学期の試験の結果、Aクラス入り確実といえる順位であれば課題評価というのもアリだ。危ないようなら、イチかバチか競技会に賭けるしかない。
ドクロワルさんは特例として工師課程で開かれる品評会への参加が認められたらしい。教養課程の課題評価と違って、評価点の上限は競技会と同じ。ただし、評価基準はその分厳しく、中級以上の魔法薬でなければ評価対象にすらならない。僕の中級再生薬も決して悪い出来ではないと思うのだけど、この程度では平均以下。課題評価であれば上限に近い評価点が得られるだろうとプロセルピーネ先生が請け負ってくれた。
「じゃあ、アーレイ君は今年も競技会に?」
「う~ん。そうなりそうだね」
昨年は『ゴーレムバトル』という競技に参加したのだけど、1回戦で敗退して得点はゼロだった。まあ、優勝者が相手だったのだから、運が悪かったという他はない。
競技会のトーナメントで2試合勝てれば、課題評価の上限以上の得点が得られる。Aクラス入りを狙っている奴らのうち、アンドレーアとクダシーナ君はまあ僕よりマシといった程度。ダエコさんについてはよく知らないけど、問題はバグジードである。まず間違いなく『ライフポット』の競技で優勝するはずだ。
優勝者の得点を加えても順位が覆らないくらいの差をつけておく必要がある。
「今年はタルトちゃんがいますから、『使い魔レスリング』にしてはどうです?」
「あれは優勝しても得点が低いから……」
レスリングとはいうものの、これは使い魔たちによるおしくらまんじゅう。タルトなら喜んで参加しそうではあるものの、競技というより余興のような位置づけで得られる得点が少ない。
「そろそろ決めないとなぁ……」
来年のクラス分けを決める勝負の時期が近づいてきていた。ドクロワルさんは成績発表のたびに少しずつ順位を上げるタイプ。順位を落としたことは一度もなく、ジワジワと突き放されていく一方だ。ここでAクラスになれなければ、彼女に追いつくことは絶望的となる。
田西宿実は夢を掴むことなく終わった。でも、今度こそ……




