93 背負わされた負債
タルトが言うところの「邪教の聖典」とは、男性同士のイケナイ関係を描いた、いわゆるBL本のことだった。冷静になって周囲を見回してみれば、売る側も買う側も女性ばっかりだ。どうやら僕たちは、BL本の即売会に足を踏み入れてしまったらしい。
「ねえタルト。これが邪教ってほどのものなの?」
「おおっ。そなたは端女の作品を理解してくれたかっ」
中身が腐っているとはいえ、たかだかBL本にそこまで目くじらを立てる必要があるのかとタルトに尋ねてみた。それを耳にしたヴィヴィアナ様が、自分の理解者が現れたと歓声を上げる。
いいえ、作品に関してはまったく理解できません。
「世界の創造の終わりに、この地上を子供たちの生命で満たすようにと【神々の女王】が命じたのです。まさか、ロゥリング族は忘れてしまったのですか?」
それか……
もちろん僕も知っていた。幼児向けに簡略化された絵本にだって必ず出てくる創世神話のラストシーンだ。それは生命を象徴する女神様の祝福であり、今現在この世界に数多くの生き物がいるのはそのためだと創世の物語は結ばれている。
「それは僕だって知っているけど、この本とどういう関係が?」
「このような邪教が広まったら生き物が子供を産まなくなってしまうのです。これは地上の生き物を滅ぼそうとする悪しき教えなのです」
極少数にしか受け入れられないニッチな嗜好だと思うのだけど、これは神々の意思に反する邪悪な思想書だとタルトは一歩も譲らない構えだ。アプローチを変えてみる必要がある。
「でもほら、もう作っちゃったんだし、次はないってことで今回だけでも……」
「ヴィヴィアナが【神々の女王】の怒りを買ったのは、今回だけ今回だけと3度も裏切ったからなのです」
仏の顔も3度までと言うけれど、ヴィヴィアナ様はとっくに残機を使い果たしていたらしい。僕が視線を向けると、誤魔化すように口笛を吹いて目を逸らした。
まさか、王国の守護精霊がここまでダメな精霊だったなんて……
論理的に説得するのは難しい。泣き落としももはや通用しないとなれば、後は欺くしかない。
なにかいい方法はないか……考えろ……考えるんだ……
タルトが問題にしているのは子供が産まれないということ……ならば……
「いいかいタルト。これはちゃんと子供が産まれてくるんだよ。ページの都合でそこまで描いていないだけなんだ。そうですよね微美穴先生?」
「そそそっ。そうですともっ。端女は神々に逆らうような作品など描いておりませぬっ」
僕も詳しいわけじゃないけど、前世のBL本には男の子が妊娠しちゃったという話もあったと耳にした記憶がある。そういうことにしてしまえっ。
「下僕はウカツ男の赤ちゃんを産めるというのですか?」
やめろ。そんな目で僕を見ないでくれ……
「これは作り話で僕ともヘルネストとも関係ないよ。ここにちゃんと書いてある」
奥付のページにあるお定まりの表示を示したけど、タルトはまだ疑わしそうな目をしている。ダメ押しが必要だ。
「タルト、ちょっとこっちに……」
3歳児の手を引いて話を聞かれないよう部屋の隅っこに連れて行く。
「下僕はわたくしよりも【真紅の茨】との契約を望むのですか?」
「冗談じゃないよ。こういったものは潰したところでまた出てくるから、誰も欲しがらないものにしてしまうのがいいんだ」
妊夫モノなんて作品を求めるのは、ここに集まっている女性たちの中でもさらに極一部だけ。邪教がよりニッチな方向に特化していけば受け入れる人も少なくなる。見つけるたびに燃やして回るよりも、自然消滅するように仕向ける方が得策だとタルトを丸め込む。
「下僕がそこまで深い考えを持っていたとはビックリなのです」
目を真ん丸にして驚いているタルト。人を考えなしみたいに言うなんて失礼な3歳児だ。ぶっちゃけ、この手のものが無くなることはないし、一定以上に広まることもないと思っている。とりあえずそういうことにしておけば、作品を燃やせとは言わなくなるだろう。
「そういうことであれば、ちゃんと赤ちゃんが産まれてくるところまで描くのです」
「続編で描く予定だったのです。今回は間に合わなかっただけなのです」
微美穴先生のブースに戻って、どうして最後まで描かないのだというタルト。すかさずヴィヴィアナ様は続編があるのだと言い訳した。次の作品ではモロネストが妊娠させられるのかと思うと気分が悪いけど、こんなところに来るのはこれで最後。さっさと忘れてしまえばいい。
「【忍び寄るいたずら】様を説得してしまうとは、そなたは知恵者であるな。端女と契約してアシスタントにならぬか?」
「なりませんよっ」
あんな作品を自らの手で描けなんてもはや拷問である。絶対にお断りだ。
「なんとも残念なことよ。であれば礼として、端女が昔書いた書物を渡して進ぜよう」
「初期作品の在庫処分ですか?」
「描いた作品ではのうて、書いた魔術書よ。端女と契約していた男は不勉強であったゆえ、役に立てる方法を思いつかなんだ」
汁だらけの初期作品を押し付けられるのかと思ったら、なんと魔術に関する書物だという。建国王のために書いたのだけど、使い道を思いつかなかったらしい。僕にも思いつかないという可能性は大いにあるものの、とんでもなく希少な魔術書である。情けは人の為ならずとは、よく言ったものだ。
近いうちに使いを遣わすからと言いながら、ヴィヴィアナ様は手慣れた様子でテーブルの上に販促用のポップやパネルを配置してBL本を売り始めた。微美穴先生はビッグネームらしく、すぐにお客さんの列ができる。僕好みの童顔ムチムチお姉さんも並んでいたので売り場はどうしたのだろうと思ったら、彼女のいたテーブルには「完売しました」という立札が立てられていた。
くそぅ。モロリーヌがそんなに売れるのか。いったい何者なんだあの女性は……
魔力で識別できるタルトに尋ねてみたものの、自分でわかるようになるまで答えはおあずけだと教えてくんなかった。
秋のヴィヴィアナ様祭りは3日間にわたって執り行われるものの、僕に3日間も遊んでいられる余裕はない。魔法陣の清書もしなければならないのだけど、お祭り2日目の今日は魔法薬の調合をすることにした。中級再生薬の材料として使うので、初級再生薬を瓶8本分用意しておくようにプロセルピーネ先生から言われているのだ。
材料を持って調合室に行ってみると、首席と次席に【皇帝】が先に来ていた。他の生徒たちがお祭りに行っている間は空いていて邪魔されずに済むので、『調合』の授業で課題として提出する初級解毒薬を今のうちに作ってしまおうということらしい。
「アーレイは初級再生薬なのね……課題の方は進んでいるの……?」
「ドクロワルさんに裏技を教えてもらったから、品質、効果ともに5のヤツが作れ……なに? なんで僕を縛るの?」
僕は3人の手によって椅子に縛り付けられてしまった。材料を刻む包丁をペシペシと掌に打ちつけながら首席が見下ろしてくる。
「なにをどうやっても品質が3を超えませんの。困りましたわねぇ」
「秘密というものは……時に危険を招く……秘密が秘密でなくなれば……わかるわね……」
首席たちは効果5の初級解毒薬を作れたのだけど、どうやっても品質が3以下にしかならないという。品質3、効果5の薬なら充分に良い評価がもらえると思うのだけど、強欲な3人は品質を上げる方法を教えろと迫ってきた。
はっきり言ってたいした秘密ではない。材料に含まれる成分が水に溶け出してくるのには順番があって、初級解毒薬に必要な成分は他の成分より先に溶け出してくる。抽出に時間をかけ過ぎると、増えたいらない成分が品質を落としてしまうのだ。
教本に載っている製法は成分の抽出と調合による魔力の同一化を一工程で行うから、最適な抽出時間を遥かにオーバーしていた。品質を上げたければ、抽出と調合を別々に行えばいい。
それだけの話なのだけど、こんな脅迫めいたやり方で白状させられるというのも癪に障る。僕はいかなる圧力にも屈しないと、ここらで一度思い知らせておく必要があるだろう。
「包丁なんかで何しようっていうのさっ。そんな脅しになんて乗らないよっ」
刃傷沙汰なんて起こしたら、それこそ放校処分にされかねない。侯爵家のご令嬢が同級生をブスリとやるわけにもいくまい。
「素直に吐かないというのであれば仕方がありません。この包丁でアーレイ君の――」
首席が包丁の刃を僕の目の前でちらつかせる。
「――片方の眉毛だけを剃り落としてしまいますわよ」
くっ……。考えやがったな……
眉毛を剃り落とすだけなら問題視されることはない。僕が笑いものになるだけだ。だけど、それならそれで僕にだって考えがある。
「クッ……クゲナンデス先輩みたいに引き眉にするさっ」
片側の眉毛を剃り落とされたのなら、もう片方も剃り落としてしまえばいい。開き直った僕を首席がぐぬぬ……と歯噛みしながら睨みつけてくるけど、どうすることもできまい。
「あなたの眉毛を剃り落とす前に……伝えておきたいことがある……」
今度は次席か……
「フルーツパーラーでの食事代金……大金貨2枚よ……耳を揃えて払ってちょうだい……」
「なにそれっ。ぼったくりは犯罪だよっ」
「値段は適正……お客さんは……みんな満足して払ってくれた……」
苦情のひとつも届いていないと次席が胸を張る。魔導院祭を訪れるのは富裕層ばかりだから、貴重なもぎたてフルーツに金貨を払うことくらい何とも思わないのだろう。シルヒメさんがリアリィ先生からもらってきたお手当、大金貨1枚があれば何とかなると思っていたのに……
「私も鬼ではない……出資者割引に友人割引……精霊がお客さんを呼び込んでくれた分のお礼……」
どうやら少し割り引いてくれるようで、次席が指を折りながら数える。半額とまでは言わないものの、どうにか手元のお金で払い切れる金額になって欲しい。
「もろもろの特典を……すでに適用しておいた……本来は大金貨3枚……」
「そこは先に言った金額から割り引くところじゃないのっ!」
園芸サークルの売掛金をギリギリのところまで割り引いた自分はマジ天使と口にしながら、悪魔がさぁ今すぐ払えと請求してきた。好き放題注文しやがった3歳児は僕のことなんてどこ吹く風。日当たりの良い場所で精霊やペットたちと遊んでいて助けてくれそうにない。
「え~と、手元には大金貨1枚しか……」
「ならばその秘密を……小金貨1枚で……私にだけ教えなさい……」
「次席、それはないんじゃないかい……」
ちゃっかり自分にだけ教えろという次席に【皇帝】が抗議の声を上げるものの、情報料として小金貨を請求される。
「なんて卑劣な……」
「債務者の負担能力を超える分は……権利を売って回収する……」
情報を独り占めするのかと責めるような口調の首席にも、これは標準的な債権回収の手段であり、卑劣などとそしられるいわれはないと次席は涼しい顔だ。ふたりが情報を買えば、僕は小金貨3枚を返済したことになるらしい。
どこの銀行マンなんだ……次席は本当に12歳なのか……
ふたりは渋々と同意し、次席は取り立て屋と化した。圧力に屈しない僕も債権を盾に要求されたのでは抵抗すること能わず、仕方なく先に抽出だけをして濾した後に調合すればいいのだと裏技を教える。
「どうしてその方法が教本には載っていないんですの?」
「製造コストの問題だってドクロワルさんは言っていたよ」
裏技を知った時の僕と同じ疑問を首席も抱いたようだ。もちろんそれには理由があった。
「なるほど……教本にあるのは……製品として大量生産する製法なのね……」
「どういうことだい次席?」
課題用に少量を作る分には問題にならないけど、工房なんかで大量に作るとなると抽出と調合に別々の機材、スペース、燃料、人手を用意しなければいけなくなる。教本に載っているのは品質に目を瞑って製品価格を抑えた製法なのだと、【皇帝】の疑問に次席が答えた。
「確かにコスト度外視の製法ですわね。アーレイ君が裏技と称したのも頷けます」
課題で高い評価を得るためだけのやり方。実際に行えば価格競争についていけなくなる。
「こんな情報に小金貨1枚なんて高くついたね」
「いいえ。むしろ小金貨で得られたなら安いものでしたわよ」
ざまぁみろと首席に言ってあげたら、情報それ自体には小金貨を払う値打ちはなかった。だけど、得られた教訓はそれ以上に価値があったという。
「教本の製法が生産性を考慮したものだなんて、先生は教えてくださいませんもの」
ただ一般的に普及している製法を教えてくれるだけ。材料も工程もコストパフォーマンスに重点が置かれているというのは、なにも初級解毒薬に限った話ではないだろう。研究をする上でそのことに気付いているのといないのとでは大きな違いがある。
小金貨1枚なんて安いものだと、首席は得意そうに顔を綻ばせた。




